伝統的朝鮮社会の様相(2)―両班階級2019/09/05

 津田節子は、前近代的で不合理な伝統的朝鮮社会を報告します。 朝鮮の支配階級だった両班の後裔たちは、誇り高い両班意識を持ち続けます。

儒教精神の両班意識が社会最高の理念でした。 「どこにお勤めですか」と青年紳士に質問することは、失礼でさえあったと言います。 「働いて俸給を得るほど貧乏ではありません。 何もせずに暮らせる家柄です」というのが、彼らの抗議なのです。‥‥ 召使を多く使い、無為徒食、勤労しないことを誇った貴族生活の名残があります。

 身を粉にして働くのは下流階級、自分たちは働かないで生活できる上流階級、という両班意識は、現代韓国社会でも時々現れますね。

 一方没落した両班はこの両班意識から脱け出ることが出来ず、使用人を雇う余裕がないのに、まるで使用人がいるように行動するという演技をするようになります。

主人の友人が訪問して来たとする。 主人が不在で主婦が一人しかいない時も、直接「ただ今主人は留守でございまして」という風にはものが言えない。 部屋の中から「ただ今、奥様に伺いましたらご主人はお留守だとのことです」と、召使の声色で主婦がものを言う。 客もまた奥さんしかいないことを知りつつ「いつお帰りになるか、どうぞ奥様にお聞き下さい」と、召使の言葉づかいをしている奥さんに挨拶をすることになっております。 これは召使をあまた使っているという上流生活のあこがれと、支那儒教の形式主義の表れです。

 日本では勤労を尊ぶ価値観がありますから、この朝鮮の両班意識と衝突することになります。 それは物理的衝突ではなく、日本人は‘彼らは上流階級に行けば行くほどに怠けるようになる’と軽蔑し、朝鮮人は‘彼らはあくせく働いてばかりいて下層階級のようだ’と軽蔑する、という意識の衝突です。 当時、日本は支配者、朝鮮は被支配者でしたから、この衝突は朝鮮両班の後裔たちに、下層階級のような日本人に支配されているという被害者意識をもたらしたと考えられます。

 近代化を進めるにはこの両班意識は否定されねばならないと思うのですが、韓国ではこれを正面切って否定するような思想がなかなか出てきませんねえ。 それどころか、両班が韓国近代化を推進していたのに日本が植民地化してそれを妨害した、というようなトンデモ言説が目立ちます。

 ところで両班階級の実態は、尹学準の『オンドル夜話』(中公新書)、『歴史まみれの韓国』・『韓国両班騒動記』(亜紀書房)に詳しく描かれていますので、関心ある方は一読をおすすめします。