伝統的朝鮮社会の様相(3)―貧富格差2019/09/20

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768

 伝統的朝鮮社会の様相(2)―両班階級 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/05/9149522  の続きです。

 津田節子は、伝統的朝鮮社会における貧富格差の激しさを報告します。

半島の八割をしめる農民の大部分は小作農であり、健全な自作農は少ないということ、地主は非常な大地主が多く、しかも不在地主が多いのです。 このことは資本主義的経済の移入によって、より激化した傾向はありますが、ただそれだけの原因でないことは確かであります。 即ち、半島は、今日もなお大金持ちと貧乏人とが多くて、健全な中流生活者が少ないと言ってもよいのではないでしょうか。

私どもが半島の生活を研究し調査しました時に、いつも二つの対照的な面がありました。 一つは不合理にあり余る面、一つは貧しすぎる面。 例えば食事にしても、朝昼晩に肉や魚がつき、九品、十三品というような皿数が出る。 タンパク質過剰な上流生活者の生活をどう当たり前(普通)にするかという問題。

一方では京畿道内の国民学校のお弁当調査でも、キムチ(漬物)しか持って来ない児童の数が73%から94%を占めていて、栄養が案じられているのです。

農村の国民学校に職を奉じる先生も、また京城府郊外の国民学校に勤める先生も、口を揃えておっしゃることは、どうかして子供たちにもう一枚ずつ着替えを持たせたいということであります。 冬なども綿入れを一枚素肌に着ているだけで下着もないし、汚れても着替えがない。 

 この貧富の格差は、両班と常民という李朝時代以来の伝統的身分差別社会を引き継いでいると見るべきだというのが津田の考え方です。

 彼女は次のようにまとめて、儒教の影響を語ります。

極端な男尊女卑から、女を人並みに扱わず、男系の子孫を欲しがるあまり、蓄妾の風が平然として残り、最初に述べましたように有識の婦人たちを憤慨させ、幾多の婦人を涙の底に沈めております。 また、最近までどんなに勧めても農村の婦人たちが、内地の婦人の如く田園で働かなかったことも、勤労を賤しむ儒教の影響であり、女が無知であることも、衣食住が発達進歩しなかったことも、みな儒教の非生活的な面の現われでありました。

 日本は植民地化した朝鮮において、「極端な男尊女卑」「勤労を賤しむ儒教」という前近代的な価値観を否定して新たに近代の価値観を持ち込もうとしたことが、この津田の文章からも分かります。 そしてこのことが現在韓国では、日本は朝鮮文化を抹殺して自分たちの文化を押しつけたという評価になるわけです。

 ところで植民地時代の貧富格差ですが、これは津田の言う通りに伝統的な身分差別を引きずっている面があります。 しかしもう一つ、近代化しつつある社会にあって、近代化の波に乗った階層と乗れなかった階層の違いが格差をもたらした面もあることに、今であれば注目する必要があります。

 近代化は日本も含めてどの国も同じことですが、国全体は豊かになっても、近代化に取り残されて貧窮する人々が多数現れます。 植民地下の朝鮮でも、経済・制度・医療・教育等々、それ以前の李朝時代と比べて社会全体が近代化していって朝鮮全体では豊かになりましたが、個々人では近代化についていけずに貧困に陥った人も多く、貧富格差が拡大した、ということです。