植民地時代のエピソード(2)2019/11/14

朝鮮の人が申したのであります‥‥ 我々にはこういう諺がある。「家を焼いてもピンデ(南京虫)が死んだと思えば嬉しい」というのである。 すなわち一族安住の家を焼いて、住む所がないようになったけれども、いつも噛みついていたピンデが火とともに死んだと思えば嬉しいというのである。 これは理性の判断ではなくして感情の要求であります。

昔、北漢山上に大きな寺があったそうです。 寺領が多く、一度その住持となれば一生安楽に暮らすことができた。 しかるに多くの僧がそこに行っても、永続する者がなかった。 ある僧侶が、俺こそは住み通して見せると高言を放って行ったのでありますが、泊まった晩から無数のピンデが来て、噛みつく。痛さ!痒さ!とても堪らぬ。 しかし、ここにじっとしておれば、この壮麗なる殿堂を自分のものとすることができる。 多くの寺領から上がってくる資産によって楽々と生活ができる。 幸福と平和と栄華とがあわせて得られることが分かっても、毎晩来て侵すピンデの痛さ・痒さには耐えられない。 そこで怒って火を放ち、寺を焼いたといいます。(40頁)

 ピンデとは南京虫のこと。 第二次大戦時に従軍中の兵士たちが南京虫に悩まされ、戦後の日本では警察の留置場、山谷や釜ヶ崎のドヤ(簡易宿泊所)の布団にたくさんいたといいます。 今ではアジアからの旅行客が持ち込むことがあるようで、南京虫の被害が増えているようです。 シーツの洗濯や掃除の不十分な安宿は要注意ですよ。    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191107-00000068-sasahi-soci

 今日の韓国の諺に「빈대를 잡으려다 초가삼간 태운다」(南京虫を殺そうとして家を焼く)があります。 この諺が百年の昔に、日本人に記録されていたのですねえ。 日本の諺では「角を矯めて牛を殺す」に該当します。

 南京虫に悩まされて寺を焼いたというのは、それぐらい南京虫の被害は凄いことを例える話であって、実際にあったことではないようです。

 ところでこのエピソードは朝鮮総督府秘書官の守屋栄夫が、朝鮮人は「理性の判断ではなくして感情の要求」という特性を有していると論じるのに当たり紹介したものです。

 この民族的特性については、今の日本でもインターネットや嫌韓雑誌等で相変わらず論じられています。 他民族の属性を批判する時には慎重を期さねばならないと思うのですが、そんな配慮がないのは残念ですね。

植民地時代のエピソード(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/09/9174435

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