かつての入管法の思い出 ― 2020/10/17
10月17日付の毎日新聞の「今週の本棚」欄に、中島京子さんが『使い捨て外国人-人権なき移民国家、日本-』という本の書評を書いておられます。 https://mainichi.jp/articles/20201017/ddm/015/070/019000c
在留資格のない外国人を入管施設に長期収容することなども、昨今、批判を浴びているが、本書を読むと、入管の劣悪な医療環境や、家族を引き裂く収容そのものにも、疑問を持たざるを得ない。いずれも「人権と人道」を軽視する姿勢が生み出してきたものだと著者は指摘する。移民を受け入れ、人権を尊重する国にならないと日本に未来はないことを、考えさせられる。
これを読んで、30年以上前ですが、出入国管理制度に詳しい方から聞いた話を思い出しました。 この方は市役所の外国人登録を担当したことをきっかけに出入国管理や難民に関する法律などをかなり勉強したということで、その担当を外れても外国人からの相談に応じておられました。
最初は自分も勉強になるからと気軽に相談にのっていたのですが、無料で動いてくれるという噂が広まったのか、不法・犯罪者までが連絡することもあるなど、段々と深刻な問題にも関わるようになったと言います。 もうやっていられないからと、こんな相談はすべて断ることにしたそうです。
私はそんな方の話を聞いたことがありますから、今度の中島さんの書評を読んでちょっと疑問に感じました。
「在留資格のない外国人を入管施設に長期収容する」とありますが、在留資格がないというのは本来この日本で居住する資格がないということです。 しかし当の外国人が日本にいつまでも住み続けたい、あるいは日本を出たくないと考え行動するというのなら、日本国家の立場からして強制退去か、そうでなければ入管施設に留め置くしかありません。 当人はなぜ正規の在留資格を得ようと努力をしないのか、おそらくは最初から資格を得る見込みがないからではないのか、それは不法行為者であるとか反社会組織に関係していたとかではないのか、という疑問です。
「家族を引き裂く収容」とありますが、家族が有効な在留資格を有し、正業についていて税金もちゃんと納めているなどであれば、家族が保証人となることができますから当人は収容所から出ることが難しくありません。 それが出来ないということは、家族とは既に縁が切れているとか、家族そのものに問題があるとかの事情があるはずです。 そこに疑問点が出てきます。
何年か前に、収容所に長く入っている外国人が、元妻がいて子供もいる、子供には長い間会っていない、収容所を出て子供に会いたいと訴える記事がありました。 元妻も子供も面会に来たことがないのですから、この外国人は家族と完全に縁が切れていると判断できます。 子供に会いたいから出してくれというのは口実でしかないように思われ、私には同情できるものではありませんでした。
ところで30年以上前の当時は、外国人と言えば韓国・朝鮮人が過半数以上を占める時代でした。 在日韓国・朝鮮人は126―2-6や4-1-16-2、協定永住等で法的には永住する権利を有し、日本人と変わらぬ生活を送っていました(今もそうです)。 しかし彼らも外国人ですから、国外に出る時は出入国管理局で再入国許可をもらわねばなりません。 期間は1年です(今は5年)。
ところが国外に出た在日韓国人がこの期間をうっかり忘れることが間々ありました。 特に一世のお年寄りが韓国の故郷に帰ると、居心地がいいのか1年の期間なんて忘れてしまって、ずっと居てしまうのです。 このお年寄りが日本に帰国する段になると、有効期限が過ぎて日本の永住資格を喪失しており、慌てることになります。
日本の空港に着いたら永住資格がなくて入国できず、家族がビックリしてあちこち問い合わせて交渉し、何とか入国できたという実話がありました。 この時の一番有効なことが、家族はみんな正業につき、税金を払い、犯罪者は一人もいない、その自分たちが保証人になるからということでした。
毎日新聞の書評欄を読んで、ちょっと昔を思い出した次第。 評者の中島さんはご自分がこういった外国人の身元引き受け人になって、収容所から出られるように努力をすればいいのに、と思います。
取りとめのない話になりました。
【拙稿参照】
昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536