土葬と火葬 ― 2020/10/27
10月25日付の毎日新聞によれば、日本に在住するイスラム教徒が墓地に困っているそうです。 イスラム教は土葬文化であり、火葬を嫌います。 彼らは日本で亡くなると教義に従い土葬を望むのですが、土葬する墓地がないという悩みです。 https://mainichi.jp/articles/20201025/ddp/001/040/001000c
国内の信者数が今や23万人に上るイスラム教徒。 「ハラル」などの文化や慣習が少しずつ浸透する一方で、イスラム教徒が困り果てている問題がある。 家族を埋葬する墓がないのだ。 日本で結婚、出産し、定住する人も増えているのに信者用の墓地は東日本を中心に約10カ所あるのみで、神戸市より西にはない。 大分県では墓地の建設計画が住民からの思わぬ反発で頓挫している。 仏教徒は火葬して埋葬するが、イスラム教徒は土葬。 現代の日本ではなじみの薄い土葬への抵抗感や異なる宗教への不安が反発の背景にあるようだ。
イスラム教徒の聖典、コーランでは死者の復活が信じられており、信者の間では生き返るための肉体が必要だとして土葬が選ばれている。 このため、火葬後に納骨する一般的な墓地には埋葬できない。
私はこれを読んで、50年ほど前に関西のある農村地域を定めて、そこでの葬送方法を調査しようとしたことを思い出しました。 というのはその地域では、何十かある「地区」のほとんどが土葬の風習でしたが、一部に火葬の風習のあるところがあったのです。
「地区」というのは、当時は「部落」と言われていました。 いわゆる「部落」は、地縁共同体という意味で当時一般的に使われていた用語です。 昔は日本各地の地域運動会で、「部落対抗リレー」なんてものがありましたねえ。 ですから「部落」はもともと差別用語ではなかったのですが、解放運動の進展によって差別用語化されてしまったと言えます。
調べて直ぐに分かったことは、土葬地区は禅宗や法華宗などの宗派で、火葬地区は浄土真宗でした。 つまり浄土真宗だけが火葬の風習を行ない、その他はどの宗派も土葬だったのでした。 そしてその火葬地区というのは、実は被差別部落(「同和地区」―その昔は差別用語で「エタ部落」とか言われていた)だったのです。
ということは数十の「地区」を有するその地域では、あなたの家は家族が亡くなると土葬ですか、それとも火葬ですかと尋ねることは、あなたは被差別部落の人ですかと聞くことと同じ意味を持つことになるのです。 またあなたの家の宗派は何ですかと尋ねることもまたその地域では、あなたは被差別部落ですかと聞くことと同じになります。
これが判明して、私はすぐさま調査を止めました。 それ以来、土葬や火葬を詳しく調べることはありませんでしたが、関心は持ち続けました。
その頃に、狭山事件の裁判が大きな問題となっていました。 これは埼玉の狭山で起きた強姦殺人事件で、容疑者として逮捕起訴された人が被差別部落出身者でした。 この裁判の過程で弁護側は、被害女性はその地域で一般的な土葬のやり方で埋められた、しかし容疑者は火葬風習の同和地区出身で土葬のことは知らなかったのだから、そんなやり方で埋められる訳がないと主張しました。
詳しいことは別途調べていただきたいですが、私はその話を聞いた時、農村地域では一般的に土葬だが被差別部落だけが火葬であるという風習の違いは、関西のある限られた地域だけでなく、関東でも共通することを知りました。 ということは、これは全国共通するのではなかろうかと思いました。 これはこれで興味深い研究テーマになると思うのですが、上記のようにこれは部落差別問題に直接関わるもので、ひょっとして厳しい糾弾を受ける可能性があります。 だからこそ私は関心だけに留めて、調べることはしなかったのです。
冒頭の、イスラム教徒が墓地に困っているという毎日の記事を読んで、ちょっと昔を思い出した次第。
なおこの記事で、ムスリム教会のカーン・タヒル代表が
昔は日本でも土葬が一般的だった
と言いましたが、私の上記の知識により関西と関東ではその通りだったと言えます。 おそらく九州・大分でも昔は土葬が一般的で、一部被差別部落だけが火葬だったのではないかと思います。
なお以上はかつての農村地域での話です。 京都・大阪などの都会では、火葬・土葬はまた違った様相を示します。 土葬・火葬という葬法の研究は極めて面白いと思うのですが、当時の私はそれをやる勇気がありませんでしたねえ。 部落問題のタブーが薄れてきている今なら、研究する価値があると思います。 若い研究者に期待したいところですね。
最後になりましたが、イスラム教徒の墓地問題が早く解決して、彼らが安心してお墓参りできるようになることを祈ります。