砧を頂いた在日女性の思い出(5)―宮城道雄(2)2020/11/02

 前回 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333 で、「宮城道雄が朝鮮滞在中に作曲した『唐砧』は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲」「宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人」と論じました。 これについて宮城自身が「朝鮮にて」という回想文のなかで次のように記しています。 

朝鮮に来て誰しも感じるのは砧の音であろう。 殊に秋の夕方にあの音を聴くと何ともいえぬ感じがする。 どこからともなく砧を打つ音がし始めると、そのうちに、あちらからも、こちらからも、聞こえて来る。 あるいは早くあるいは緩やかに、流れるように、走るように、聴く人の心をもまた、その調子に引き込まれる。

私が仁川から京城に移った頃である。夜になるとよくこの砧の音を聴いて、面白いと思っていた。 それからちょっと思いついて作曲する気になったのである。 これが「唐砧(からきぬた)」である。 それは西洋音楽風に、箏と三味線の合奏曲で、四重奏にした。

曲の初めは静かな朝鮮の夜、ことに秋の感じを持たせ、漢江のゆるやかな流れを思わせるような、気持ちを取り入れて合奏曲にしたのである。 これが箏と三味線の合奏の始めであった。そんな動機から作曲を続けるようになった。 (以上は宮城道雄「朝鮮にて」 『新編 春の海 宮城道雄随筆集』千葉潤之介編 岩波文庫2002年11月所収 223~224頁)

 このように、宮城は朝鮮女性から発せられる砧打ちの音を聞いて、名曲「唐砧」を作曲したと自ら記しています。 

 また宮城は朝鮮の家屋に降る雨の音や、朝鮮の厳しい冬の合間の温かい日(三寒四温)に雪解け水が滴り落ちる音を聞いて、「水の変態」という名曲を作曲します。 これについての宮城自身は次のように回想します。

まず春先になると、色々の鳥が来て囀(さえず)ったり、秋になると様々な虫が鳴いたりした。 その上、雨でも降る時は、家が古かったので、軒の雫(しずく)が落ちるのが聞こえたりした。 一体その頃、朝鮮ではバラック建の家が多くて、屋根はトタンが張ってあるので、雨の時にはそのリズムもはっきりと聞こえる。

内地では五風十雨という言葉があるが、朝鮮では冬三寒四温というのがあって、雪などが降ると、その四温の時に、降り積もった雪が解けてシトシト落ちる雫の音が面白い。 まだ年はいかなかったが、それらのことを実感していたので、弟の歌の言葉(『小学読本』所収の七首の短歌)を聞いて作曲する気になったのである。 (『宮城道雄随筆集』222頁)

 宮城の「水の変態」は、私は学校の音楽の時間に聞かされたことがありました。 今もそうなのですかねえ。 おそらく日本のほとんどの方はこの曲名を知らなくても、また邦楽なんか大嫌いだと言う人も、メロディーを聞くと「ああ!あの曲か!」と思い出されるでしょう。 それほどに耳に馴染んでいる曲ですね。 この曲には朝鮮の雨音や雪解け水の雫音が込められているとは、私は近年になって知ったもので、驚いたものでした。

 宮城は朝鮮で暮らしながら作曲した当時を、次のように振り返ります。

私は少年の頃朝鮮に育ったせいか、朝鮮の自然の感じを教えられたような気がする。 今でも暇があったら、朝鮮にいって暢(の)んびりと作曲をしたいと思うけれども、朝鮮も今日ではその頃より開けているから、そんな自然の感じがないかも知れぬ。 (『宮城道雄随筆集』224頁)

 そして宮城は朝鮮人の音楽的素質について、次のように論じます。 

朝鮮人は割合音楽の素質を持っている。 どんな労働者のような者でも、どこかで音楽をしていると立ち止まったり、腰をおろしたりして聴いている。 それが、面白いという感じばかりでなく、真面目に聴いているのである。 また物売りにしても、その呼び声がよいのがいた。 殊に今でも感じているのは、毎日塩を売り歩いていた老人であるが、私の家では、その塩売りの老人を東郷大将と呼んでいた。 その老人の声が品がよくて、私はよく聴いていたことがあった。薪売りが「ナフサリョ」といって売り歩く声も暢んびりと聞こえる。  (『宮城道雄随筆集』224~225頁)

 

日本の人は朝鮮の音楽を、亡国の徴があるというけれども、私は決してそんなことはないと思っている。朝鮮で聴くとなかなか暢んびりとしていてよいものである。

私は官伎(キーセン)の練習所に朝鮮の音楽を聴きに行ったことも、交換演奏をやったこともある。 拍子なども、朝鮮の方が、三拍子、四拍子など取りまぜてあって、変化が複雑である。

先年、朝鮮から正楽団というのが来たことがあった。それは朝鮮の雅楽を研究している楽団で、私が、故近衛直麿さんに紹介して、日本の雅楽を聴かせたことがあった。 その時正楽団の人々がいうには、曲はよいが拍子が朝鮮のから見ると、単調であるように思うが、もっと複雑なものをとったらどうかといったことがある。

朝鮮の音楽は、一の笛で長く引っ張る節をやって、打楽器で三拍子とか、六拍子とかに変化させるのが多い、従って、民謡にしても面白いのがある。 思い出したが、今でも不思議でならないのは、朝鮮人には、調子外れの人というのがほとんどないことである。 語学なども早く覚えるのも、これらに関係があるのではないかと思う。 (以上は『宮城道雄随筆集』226~227頁)

 この中にある「ナフサリョ」はおそらく、「ナフ」→「나무(ナム―木や薪)」、 「サリョ」→「살래(サルレ―買ってくれるか)」でしょうねえ。

 宮城は盲人の音楽家でしたから、朝鮮人の音楽や歌に鋭い関心を寄せており、その音楽的素質を見抜いていたと言えるのではないかと思います。 盲人だからでしょうか、同時代の他の日本人のように「汚い」といったような差別的言葉が出てきません。 そういう意味で、宮城は朝鮮人には純粋な気持ちで接していたんだなあと感じられます。

 宮城道雄の曲には朝鮮の文化や自然からの影響があったことは、もっと知られていいと思います。 それなのに韓国・朝鮮人は在日でも本国でも、宮城に関心がないというのが残念ですねえ。 彼らは宮城の筝曲を身近に感じることができず、逆に朝鮮からの影響なんて全くと言っていいほどにない古賀政雄の演歌の方に馴染んでしまい、“日本の演歌の源流はわが韓国だ”と声高に主張するようになったということです。

 しかしこれはこれで、트로트(トロット―韓国演歌)が今でも韓国で大きな人気を得ている理由や、引いては彼らの民族性を考察するのにいい材料になるのかなあ、とも思います。 (끝 ‐終わり)

【拙稿参照】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

「演歌の源流は韓国」論の復活   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

第66題 砧(きぬた) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第90題 朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

第106題 砧 講演  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

第107題 砧 講(続)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第108題 「砧」に触れた論文批評  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

第109題 ネットに見る「砧」の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

第114題 韓国における砧の解説  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai

第115題 다듬이  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

北朝鮮の砧               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

韓国ロッテワールドの砧          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220

韓国ロッテワールドの砧のキャプション  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741

「砧」の新資料(1)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655266

砧ー日本の砧・朝鮮の砧         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/05/6888511

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

「砧」の新資料(2)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/10/6656721

「砧」の新資料(3)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/11/6657527

「砧」の新資料(4)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/13/6659222

「砧」の新資料(5)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/14/6659970

「砧」の新資料(6)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/16/6661166

佐藤春夫の「砧」            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/05/8008944

徴兵検査後の買春エピソード2020/11/09

 9月11日付の拙稿「在日朝鮮人には徴兵されたのか」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/11/9294268 では在日ではなく日本人の徴兵検査の話で、次のような体験談があったことを書きました。

そして徴兵検査を終えたら、みんなで女郎屋(当時は淫売屋とも言う)に繰り出す。 徴兵検査で性病に引っかかれば恥と思っていたから、それまでは大抵の者が童貞。 だから徴兵検査を終えて、みんなで童貞を捨てに行く。

 これは徴兵検査を受けた日本人のエピソードです。 故郷で仲間と一緒に徴兵検査を受けた後、みんなで女郎屋(淫売屋、遊女屋、娼家、売春宿、遊郭ともいう)に行くのですから、十数人とか数十人とかが一斉に行くことになります。 大都市ならば規模の大きい売春の場がありましたから対応できます。 しかし田舎では大都市まで遠く、車が普及していない時代でしたからそこまで行くことは不可能でした。

 ですから当時の言葉で「淫売屋」業者は田舎で徴兵検査が行われるという情報を聞けば、その近くで臨時に女郎屋を開業するのです。 ところが何かの手違いか、娼婦を十分に調達できないことが間々起きます。 こうなると数少ない娼婦が、何十人も相手に商売せざるを得なくなります。 一人の娼婦が何人もの若者たちを10分か15分間隔で、はい次、はい次と処理していきます。 娼婦は疲れてしまってサービスなんてする余裕がなく、股を広げて寝ているだけです。 それでも若者のほとんどが童貞で直ぐに終わるので、何とかやっていけたということでした。

 売春が合法であった時代の、徴兵検査のエピソードでした。 なお徴兵検査を受ける若者が本当に童貞だったかどうか、本人以外は分からないので何とも言えないところです。 また当時は地域によって夜這い風習が残っていましたから、地域差もあるのではないかと思います。 ただ徴兵検査で性病が見つかることを恥と考えていたのは、おそらく全国的に共通だろうと思います。

 戦前のこんな話、私は体験者から聞くことができましたが、今はもう誰も聞けないでしょう。 また話の性格上、旧日本軍を描く映画にもこんなエピソードは出てこないでしょうから、間もなくこの世から忘れられる話になるでしょうねえ。

 ところで韓国は今でも徴兵制で、19歳に徴兵検査を受けます。 かつての日本のように、徴兵検査で性病が見つかれば恥とする考え方があるのかどうか、ちょっと分かりません。 韓国の男性は徴兵検査前に包茎手術をするという話がありますから、性病よりも包茎を恥と考えているかも知れませんねえ。

オーラルヒストリー(口述歴史)の危険性2020/11/16

 オーラルヒストリーというのは関係者から直接話を聞いて記録する歴史のことです。 人間というのは、本人が実際に体験したりして印象に残ったことだけを記憶する場合が多いものです。

 しかしその体験部分だけは事実でも、前後の脈絡が変であったり、時代に合わなかったりすることがしょっちゅう出てきます。 また誇張・錯誤も多いし、後付けの知識で語ったり、時には何かを隠そうとして虚偽を言う場合もあります。

 従ってオーラルヒストリーをしようと思えば、当時の社会状況や歴史をかなり細かく知った上でやらないと、間違った記録が残ってしまうことになります。 私の経験から、二つお話しします。

ある在日女性が子供時代の思い出話で、戦争中に民族差別にあったと話した。 曰く、学校で朝鮮人だけ集められて、それまで仲良くしていた日本人の友達と別れることになり、悲しくて泣いた、というものだった。

 当初これは戦中の民族差別事象だと思ったのですが、どうもおかしい。 戦前・戦中の日本本土の学校で、朝鮮人だけを集めるということはなかったはずで、当時の歴史には全く出てきません。 出てくるのは戦後で、在日朝鮮人連盟が中心になって朝鮮人学校を設立し、そこにそれまで日本の学校に通っていた朝鮮人生徒を集めて朝鮮語を教えたというのが出てきます。 

 これしか考えられなくて、改めてその女性の年齢を見ると、戦中から戦後にかけて学齢期であることが分かりました。 つまりこの女性は、朝鮮人の子供ばかりが集められて差別されたという記憶があって、それを戦争中のことと思い込んでいたことが判明しました。 ですからこれは「民族差別」ではなく、「民族回復」だったのです。

 このようなオーラルヒストリーは検証しなければ、戦中の厳しい「民族差別」事例として間違って記録しただろうと思います。 次にもう一つ、挙げます。

「朝鮮人強制連行」があったかどうか世間で議論になっていた時期に、あるキリスト教会の韓国人牧師が、戦中に強制連行は確かにあった、自分が子供の時に目の前で畑から兵隊が人を無理やり連れ出すのを見た、この目で確かに見た、と言った。

 牧師さんからこの話を聞いたとき、当初はやはり強制連行は本当だと思ったのですが、どうも変なのです。 牧師さんの年齢からすると太平洋戦争中ならごく幼い時期ですから、そんなに鮮明に記憶しているものなのか、という疑問です。 それに当時の歴史では、朝鮮は植民地化されていたとはいえ治安は比較的よかったとあります。 もし民間人を軍隊が強制連行することはあり得るとしたら一体どういう状況だったのか、という疑問が湧きました。 

 韓国の歴史を調べると、朝鮮戦争中に朝鮮人民軍が攻め込んだ際、その占領地では地主・資本家・反動などと目された者を連れ出し、人民裁判にかけたとあります。 改めて牧師さんのことを調べると、この方の住所は朝鮮戦争では朝鮮人民軍の占領地に当たる地域で、年齢からすると小学生であり、そしてその方はこの戦争後に来日したことが分かってきました。

 とすると彼が見たという「強制連行の記憶」は日本の戦時中ではなく、その数年後の朝鮮戦争中の出来事ではないか、だから強制連行したのは朝鮮人民軍ではないか、という推定ができます。 目の前で強制連行されたのはおそらく事実でしょうが、それが日本の強制連行の歴史の資料と断定するには躊躇せねばならず、北朝鮮による強制連行の可能性があるとすべきところです。

 オーラルヒストリーは、本当の真実を語っていれば矛盾や疑問は出てきません。 むしろ、へー!そんなことがあったのかと感心し、新たな知識を得ることが多いものです。 しかしそこに何か不自然なことがあると、そしてその不自然さが消えないとなると、果たしてこの人の言っていることは本当なのか、何か勘違いしているのではないかと疑わざるを得なくなります。 だから歴史資料としての価値が減じることになります。

児童虐待2020/11/20

 児童虐待は非常に深刻な問題として、多くの国民の関心が寄せられています。 韓国でも児童虐待は深刻です。 11月18日付の『朝鮮日報』に児童虐待事件の裁判記事がありましたので、ちょっと訳してみました。  https://www.chosun.com/national/national_general/2020/11/18/EQED54YYRND6RBFGJMTHESNGIA/

1歳にもならない子女二人を窒息させ殺害した20代夫婦の控訴審で、「弟が泣くたびに、お父さんが首を絞めた」という陳述が公開された。

この夫婦は一審で明らかな証拠がないという理由で、殺人容疑について無罪を宣告された。

18日、ソウル高等裁判所チュンチョン裁判部刑事1部(裁判長パク・ジェウ)の審理で開かれたファン某(26)とカク某(24)氏の控訴審の第二回公判で裁判部は、証拠して採用した、長男(5)の陳述の様子が録画された映像を公開した。

映像で、長男は「末っ子の弟が泣くたびに首を絞められ、咳をして手足をばたばたさせていた」と陳述した。

検察は「満4歳の児童であることを考えると、昔の妹弟のことを記憶しているのかという疑問が多少残るが、ファン氏は子供が泣くたびに首を絞めて、その子が手足をばたばたさせていた状況は正確に記憶している」 「この点に照らしてみると、ファン氏の行為を推論できることはもちろん、その行為を先に陳述したカク氏もまた子女が泣くたびに夫が首を絞めて泣くのを止めさせていたことを知っていた」と言った。

裁判部はこの日、児童虐待致死の容疑を公訴事実として追加した公訴状変更申請も受け入れた。

ファン氏とカク氏は2016年9月13日に長男A君と長女B嬢の二人の子供と、原州のモーテルに投宿していた時に、B嬢が泣いてむずかると「うるさい」と言ってB嬢を布団で覆いかぶせて殺害した。 二人はB嬢が亡くなってもこれを届け出ず、3年余りの間に710万ウォンの養育手当を不当に受け取っていた。 遺体も遺棄した。 また昨年6月には生後10ヶ月の三番目の子供C君がむずかって泣くや、喉を締めてC君を殺害し遺棄した。 この過程で、カク氏はファン氏の子供たちに対する物理的行使を見守るだけだった。

これと関連して、検察はファン氏に殺人と死体隠匿などの容疑を、カク氏に児童虐待致死と死体隠匿などの容疑を適用して起訴したが、一審裁判部はファン氏の殺人容疑とカク氏の児童虐待致死を「故意性がない」として無罪と判断した。

ただし、夫婦の死体隠匿と児童虐待、児童遺棄・放任、養育手当の不当受給容疑は有罪と判断して、ファン氏に懲役1年6ヶ月を、カク氏に懲役1年に執行猶予2年を宣告した。

 殺人に関しては無罪とした一審判決に対して、控訴審で出て来たのが冒頭の長男の陳述「弟が泣くたびに、お父さんが首を絞めた」という記事です。

 亡くなった妹や弟はまだ1歳にもなっていないというのですから、ぐずって泣くのはよくあることでしょう。 だからといって父親が布団を被せて窒息させたり首を絞めるとは!! 父親に殺されたのというのは事実でしょう。 あまりにも胸が痛みますね。

 韓国での児童虐待の数は、虐待と認知された件数では2016年2万9674件、2017年3万4169件、2018年3万6417件、2019年4万4169件と毎年急増しています。

 一方、日本では児童相談所での虐待相談件数になりますが、2016年12万2578件、2017年13万3778件、2018年15万9850件、2019年19万3780件と、こちらも毎年激増しています。

 児童虐待は日本でも韓国でも深刻な問題といえます。 なお児童虐待件数が近年に増えたのは、昔はなかったのに近年の社会・家庭状況の変化によって増えたのか、それとも昔からあったのだが近年になって問題化したから数字だけ増えたように見えるのか、ちょっと分からないですねえ。

 また同じ虐待でも日本と韓国では共通点と相違点があると思うのですが、そのあたりも気になるところです。

【拙稿参照】

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

「東方礼儀の国」と「独立門」2020/11/25

 韓国の有力紙『朝鮮日報』11月21日付けに「『東方礼儀の国』は称賛ではなく侮辱の表現」と題する記事が出ました。 https://www.chosun.com/politics/politics_general/2020/11/21/XTJGX6CCFNHALGZQWS6ZOBKPP4/ 

 その日本語版は11月24日付けに出ています。 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/11/24/2020112480038.html

 韓国は自分の国を礼儀正しい「東方礼儀の国」だと自賛しているが、実はこれは「侮辱的な表現」だというのが記事のタイトルです。 関係部分を引用します。

千・元首席は‥‥「東方礼儀の国」という言葉の含意を指摘し、中国に対する正しい認識が必要だということを指摘した。

「韓国人の精神世界において、日本に40年間国権を奪われたことは骨に染みる恥辱として残っているのに、中国の属国として500年過ごしたことは悔しがらない傾向があります。 属国の中でも中国によく仕えて他の模範になるという意味で、中国は朝鮮を『東方礼儀之国』と呼びました。 ところが、これが朝鮮にとってどれほど侮辱的な表現であるかを理解せず、中国の称賛と考える間抜けな人々もまだいます」

 記事では「東方礼儀の国」について触れているのがこれだけです。 これでは何故それが「侮辱的な表現」なのかを説明していませんので、読者は何のことやら分からないでしょう。

 簡単に言うと、朝鮮は中国皇帝の徳を慕って朝貢し礼儀を尽くしている、ということです。 私は7年前に拙ブログで「東方礼儀の国」の意味をもう少し詳しく説明したことがありますので ご笑覧くだされば幸甚。

「東方礼儀の国」は屈辱的な言葉だった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064872

 ところで朝鮮日報の記事は、ソウルにある「独立門」について、次のように解説しています。

千英宇・元首席は記念演説で「独立門は123年前、日本ではなく中国から独立したことを記念するため、徐載弼(ソ・ジェピル)先生が建てた記念物」だとし「徐載弼先生が、迎恩門と慕華館を取り壊してその跡地に独立門を建てたのは、中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打って近代的な自主独立国家としてよみがえろうという意思を内外に確認させるため」と語った。

 これはその通りです。 実は韓国ではこの独立門の由来を学校では教えていないようで、日本からの「独立」と勘違いしている韓国人が多いです。 独立門はソウルの観光案内書に紹介されており、韓国人が日本人にここを案内することがあります。 そんな時に、独立門の完成は1897年と解説されているので「1897年は日韓併合より13年前。 韓国は日本の植民地にもなっていない。この『独立』というのはどういう意味か?」と問うと、説明できずに戸惑っていたというエピソードをよく聞きました。

 今はどうなんでしょうかねえ。 これが新聞記事になっていることから見ると、今も勘違いしている人が多いのでしょう。

若者世代の「保守・保身」性向はあるのか?2020/11/30

 2020年11月24日付け毎日新聞の「若者ほど『内閣支持』 将来不安、『保守』より『保身』? 毎日新聞世論調査」を読む。 https://mainichi.jp/articles/20201124/ddm/005/010/090000c

毎日新聞と社会調査研究センターが今月7日に実施した全国世論調査では、世代間の意識の差がくっきりと表れた。 内閣支持率は若い世代ほど高く、年齢が上がるにつれて減少。 菅義偉首相による日本学術会議の会員候補の任命拒否は「問題とは思わない」との回答が若年層ほど高かった。 米大統領選では、若者ほどトランプ大統領が当選した方が日本にとって好ましいと答えた。

 世代間でどれほどの違いがあるのか。 内閣支持率について、記事では次のような数字を出しています。

全体では57%だった内閣支持率を年代別に見ると、18~29歳は80%▽30代は66%▽40代は58%▽50代は54%▽60代は51%▽70代は48%▽80歳以上は45%――という結果だった。 安倍内閣では若年・中年層より高齢層で支持率が低くなる傾向があったが、今回はより明らかな支持率の「右肩下がり」の傾向が見て取れる。

 若い世代ほど今の自民党政権を支持する傾向が強いのは、もう何年も前から指摘されてきました。 この傾向は今度の毎日新聞の世論調査でも、はっきりと確認されたことになります。 

 何年前でしたか、あるリベラル評論家が選挙年齢の引き下げに賛成していたところ、若者世代の自民党支持率が高いと聞いて、あわてて反対意見に変えたという話がありましたねえ。

 今問題になっている学術会議の任命拒否についても、世代の見解差がくっきりと現れます。

首相が学術会議の会員候補6人の任命を拒否したことについては「問題とは思わない」と回答した人は、18~29歳が59%▽30代が54%▽40代が48%▽50代が43%▽60代が41%▽70代が37%▽80歳以上が21%――と若い世代ほど高かった。

「問題だ」と答えた人は、逆に18~29歳が17%▽30代が25%▽40代が33%▽50代が39%▽60代が45%▽70代が48%▽80歳以上が49%――と若年層ほど低かった。若者ほど首相や政府の主張に理解を示していると言える。

 学術会議任命拒否について、マスコミは「学問自由の侵害」「民主主義の危機」だとキャンペーンに近いくらいに報道し、戦前回帰だとか時にはヒットラーやスターリンまで持ち出して危機感を煽っていましたねえ。 しかしそれでも内閣支持率があまり下がらないことに苛立つ意見が多くみられました。 若い世代になるほど学術会議任命拒否に問題はないと考え、また内閣支持率が高くなっているのですから、年寄りが「このごろの若者はなっとらん」と嘆いているのと同じだということになります。

 これをどう考えるか。 記事では次のような見解が出ています。

社会調査研究センター社長の松本正生・埼玉大教授(65)=政治意識論=によると、1980年代後半まで、自民党の支持率は若い世代ほど低く、グラフは「右肩上がり」の線を描いた。 今とは正反対だ。松本教授は今回の結果について「若い世代の『今を変えたくない』『変わってほしくない』という『現状維持』の志向が表れている。 『保守』というよりも『保身』と言うべきで、政治的な意味での保守化とは次元が違うのではないか」と指摘する。

 これはどうでしょうか。 安倍晋三は「戦後レジームの脱却」を唱え、戦後70年以上続いている体制の変革を訴えました。 これに対しリベラル派は憲法を守れ!と対抗しました。 つまり変えようと主張したのは自民党政権であり、変えたらダメだと現状維持を主張したのが野党です。 従って松本教授の「若い世代の『今を変えたくない』『変わってほしくない』という『現状維持』の志向…‥『保守』というよりも『保身』と言うべき」という見解は、私には異議があります。

「若者保守化のリアル」などの著作がある中西新太郎・関東学院大教授(72)=社会学=は、「意識調査をすれば、若い世代は日本社会の将来について明るい見通しを持っていない人が多数派だ。 現状は格差社会で『生きにくい社会』だ。それでも、若者が現状維持志向なのは『これ以上ひどくならないように』との思いからだ」と語る。

 この中西教授は今の若者が「将来について明るい見通しを持っていない」という見解を出していますが、どうでしょうか。 1970年代の学生たちは左翼・革新系を支持し、自民党支持なんて口に出せないような雰囲気がありました。 当時の若者も「日本社会の将来について明るい見通しを持っていない」と考える人が「多数派」で、だから「革命」「変革」が必要だとして左翼・革新へと流れていったのです。 若者にとって「将来に明るい見通しがない」と感じるのは、今も昔も変わらないと思うのですが。 教授はさらに次のように述べます。

中西教授によると、若い世代は「ルール」や「秩序」を重視する傾向があるという。今の生活がより悪くならないよう、守ってくれているのが「ルール」や「秩序」だという発想だ。 「現在の『ルール』や『秩序』をつかさどっているのが、菅内閣であり自民党というイメージがある。 若い世代の内閣や自民党への支持は、『政治を動かしているのは菅内閣、自民党でしょ』ぐらいの感覚なのではないか」と推測する。

 「若い世代は『ルール』や『秩序』を重視する傾向がある」のは事実です。 2000年代に入って、少年犯罪が急減しています。 10万人当たりの検挙少年の数は2003年までの約30年間は10~16人で推移していたのがそれ以降減少し、2017年には4人です。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/30/9135053

 この少年たちが今若者世代となっています。 これは非常に喜ばしいことです。 ルール・秩序を守ってこそ自分たちの権利が守られ、社会に向かって主張することが出来るという民主主義的な思考が、若者に定着してきたと言えるのではないかと思っています。  

 しかしこれを内閣や政党の支持に結びつける教授の見解には、異議があります。 若者が与党政権を支持するのは野党への信頼性が低いからであって、「ルール・秩序の重視」とは関係のないことでしょう。 逆に年寄り世代の方が野党への信頼性が高いと言えます。

次に記事では、20代から次のような意見が出ています。

「NO YOUTH NO JAPAN」代表の能條桃子さん(22)は、同世代の内閣支持率や自民党支持率の高さに、違和感はないと言う。 「他の政党には期待できそうにないから自民党を選び、菅さんがダメなら誰がいいか思いつかないから『このままでいいか』となる。 積極的な支持というより、消極的な支持では」と分析する。

能條さんは同世代が「不支持」を選ぶことは、「支持」を選ぶよりもハードルが高いと考えている。 「政治に限らず『ノー』と言うには、きちんとした理由が必要。内閣についても基本は『イエス』から始まり、どうしても許せないときに初めて『ノー』という選択肢が出てくる」と説明する。

少子高齢化や格差拡大が進み、若年層には閉塞(へいそく)感も漂う。 「これまでの人生で、世の中が上向きだったことがない。20年後はもっと悪いだろうなというイメージがある。 政治に対する期待感は他の世代と比べて低い」という。

 このような分析が正しいのかどうか。 若者が「政治に対する期待感は他の世代と比べて低い」のは、上述したように昔も今も変わりません。 ただ昔はだからこそ政治を変えねばならないと「左翼・革新」に流れ、それが挫折した今は与党政権の「支持」に流れているということではないかと思います。

 若者世代は否が応でも2・30年後には日本の中枢を担うことになります。 その時に松本教授や中西教授、能條さん、そして私の分析・見解が検証されることになると考えます。

【拙稿参照】

 若者世代の大きな変化   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/30/9135053