孫基禎は植民地支配に抗議したのか?2021/03/03

1936年ベルリンオリンピック マラソン表彰式

 3月1日付け毎日新聞に「忘れ去られた『日本代表』 統治下、差別への反発と誇り 台湾出身の五輪陸上選手・張星賢」と題する記事がありました。 https://mainichi.jp/articles/20210301/dde/007/040/032000c

 戦前に台湾からもオリンピック出場する選手がいたことに、新鮮な驚きと新たな知識を得ました。 この記事のなかで、朝鮮の孫基禎選手も触れられています。

こうした葛藤を抱えていたのは張だけではなかった。 張と同じく「日本代表」としてベルリン大会に出場した朝鮮出身の孫基禎(ソンキジョン)もその一人。 日本植民地時代の朝鮮に生まれ育った孫は男子マラソンで金メダルに輝いた。 だが、植民地支配への抗議の意味を込め、表彰台ではうつむき、月桂樹(げっけいじゅ)で胸の日の丸を隠した。

 孫選手はオリンピックのマラソン競技で金メダルを取ったことで有名ですが、その彼が「植民地支配への抗議の意味を込め、表彰台ではうつむき、月桂樹(げっけいじゅ)で胸の日の丸を隠した」と書かれているところに、え!?と疑問を感じました。

 孫選手は表彰台でヒトラーから金メダルとともに月桂冠と月桂樹を授与されます。 月桂冠は頭に被りましたが、月桂樹は苗木ですから両手に持つしかありません。 だから孫選手は表彰台では月桂樹を両手に持ち、それが彼の胸にあった日の丸を隠すようになりました。 それが写真に撮られて全世界に報道されたのですが(↑写真参照)、これは月桂樹を持ったから胸の日の丸が隠れたのであって、何も彼が意図して日の丸を隠したものではないと私は考えてきました。

 こう考えたもう一つの理由は、孫選手の報道写真はいくつかあるのですが、そのうちの一つに金銀銅メダルの三人(孫基禎、ハーパー、南昇龍)が並んで撮られた記念写真があります。 そこには孫、南の二人が胸に堂々と日の丸が着けられているのです。 孫には日の丸を隠そうという意図がなかったという傍証になると思いました。

 さらに「表彰台ではうつむき」とあります。 確かに表彰式の写真↑では、金メダルの孫とともに銅メダルの南の二人がうつむいています。 銀メダルのアーネスト・ハーパー(英国)が顔を上げて真っ直ぐに見ているのとは対照的です。 これは当時の日本の行事で国家演奏とともに国旗掲揚する場合、一般参席者は国旗をじっと見るのではなく、黙礼するようにうつむくことになっていたから、孫と南はその日本の流儀に従ったと私は考えてきました。

 それが毎日の記事は「植民地支配への抗議の意味」としたので、疑問というかビックリしたのです。 私の考えが単なる思い込みで、本当は「植民地支配への抗議の意味」があったのかも知れません。 ただそうなると、さらに疑問が出てきます。

 孫選手のオリンピック優勝は当時の朝鮮人たちに歓喜と熱狂をもたらし、『東亜日報』は孫の胸に掲げられていた日の丸を消して報道するという、いわゆる「日章旗抹消事件」という大事件を引き起こしました。 これは↑とは別の写真で、孫を斜め横から撮ったものです。 月桂樹を持った孫の胸にある日の丸が鮮明に見えていたのですが、紙面に載せる際に消されたのです。

 『東亜日報』の記者は厳しく取り調べられ、新聞は発行停止処分を受けます。 そして朝鮮の民族運動家たちは民族の英雄となった孫に近付こうとしますから、朝鮮の警察(朝鮮総督府警務局)はこれを警戒して孫の動きを監視します。

 そんな状況でしたから、孫が本当に「植民地支配への抗議の意味」で「表彰台ではうつむき」「日の丸を隠す」ような行為をしたのなら、しかもその写真が全世界に報道されたのですから、当然警察は孫を直接取り調べると思われます。 しかしそういう事実が管見では出てきません。

 孫が「植民地支配への抗議の意味を込め、表彰台ではうつむき、月桂樹(げっけいじゅ)で胸の日の丸を隠した」というのは、やはり私には疑問です。 後付けの知識でこの表彰式の写真を解釈したのではないかと思えてなりません。

コメント

_ 辻本 ― 2021/03/03 16:03

写真をよく見たら、メダルがありませんねえ。
二位銀メダルのハーパー、三位銅メダルの南もメダルがありません。
「メダルは首に下げ」は、間違いのようです。

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