朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート(2)―『毎日新聞』2021/04/06

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948 の続きです。

 前回の『中央日報』の記事のネタ元は『毎日新聞』です。 インターネット版では2021年3月13日付けにあります。 https://mainichi.jp/articles/20210313/dde/007/040/017000c  ただし有料記事ですから、勿体ないと思われる方はお近くの図書館に行って探してくださいね。

 この記事のなかで、次のような一節があります。

20年夏、BLMを巡り、「日本には人種差別はない」という言葉がツイッター上を駆け巡った。 同じ年の11月には、在日コリアンを含む外国ルーツの女性アスリートたちが、差別やいじめを受けながらもスポーツを通じて乗り越えようとする姿を描いたナイキのCMが話題になり、これに対して「捏造(ねつぞう)だ」「私の周囲に差別はない」という批判が殺到した。 だが、調査結果や取材から見えてくるのは、日韓、日朝関係が硬直化する中、「嫌韓」感情が一部の極端な言説だけでなく一般市民の間に広がり、在日コリアンの若者たちを追い詰めている今の日本社会の有り様だ。

 このなかの「『嫌韓』感情が一部の極端な言説だけでなく一般市民の間に広がり、在日コリアンの若者たちを追い詰めている」というのは、私には異議があります。

 今は「第三次の韓流ブーム」と言われています。 韓国ドラマやK‐POPにはまって韓国語を勉強したいという人が増えているそうです。 また韓国映画を見に行く人も、このコロナ禍でも相変わらず多いです。 以前の日本では韓国に関心を持つのが圧倒的少数だった時代を思い起こすならば、今は「韓国好き」が一般市民に広がっていると言い切ることができます。

 従ってこの毎日の記事は「韓国好き」が忘れられていると言わざるを得ません。 なぜ「嫌韓」ばかりを取り上げるのか、しかもなぜ「日本社会が在日コリアンを追い詰めている」とまで言うのか。 毎日は日本人を差別者=加害者、在日を被差別者=被害者という構図を作り上げようとしているようです。 「嫌韓」も広がってはいるが、同時に「韓国好き」も広がっている、こう書いてほしかったし、またこれが正解でしょう。

ジャーナリストの安田浩一さんはこう語る。「特定の民族は出て行けとか、殺せとかいう言葉は、街頭の中で叫ばれる一部の過激化した特殊な言葉だった。 でも今、その差別の言葉がどんどん標準言語として定着している。 街頭やネットだけでなく、日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ、発出しているんです。これは日本人側が解決すべき問題です」

 「特定の民族は出て行けとか、殺せとかいう言葉は‥‥その差別の言葉がどんどん標準言語として定着」とはビックリ。 安田さん自身が、そんな言葉が「標準言語として定着」している場所で暮らしておられるのでしょうねえ。 そんなごく狭い所だけで通用している「標準言語」を持ち出されても、私のような部外者は戸惑うだけです。

 「街頭やネットだけでなく、日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ、発出している」 これにもビックリ。 「街頭」は在特会とかいうトンデモ団体なんかがやっているヘイトデモで、「ネット」は確かに嫌韓偏執狂ともいうべきヘンテコ人士がやっています。 しかし安田さんは「日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ」と書いていますから、ご自身が、特定外国人に対して「出ていけ」「殺せ」が標準言語である場所で「日常生活」を送っているということです。 彼の周囲には在特会とか嫌韓偏執狂ばかりがいる、かなり特殊な環境におられるのですねえ。 彼と私とは住んでいる世界が違うと言っていいのかも知れません

 また彼は「これは日本人側が解決すべき問題」としておられますが、一部の狭い空間での問題とはいえ、日本社会内での出来事です。 そして在日外国人も日本社会を構成しているのですから、両者が共同して解決すべき問題だと私は考えます。 しかし彼は解決の主体がなぜ日本人側だけにあると言うのか、そこが私には理解できないところです。

 それでは私のことについて話しますと、私は彼のいう「標準言語」が存在しない場所で日常生活を送っていますから、普段は韓国語を学び韓国の文化を楽しむ、時には本国や在日韓国人たちと愉快にお付き合いする、そして在日や韓国には苦言を呈することに遠慮はしない、そんな風に過ごしています。

【拙稿参照】

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート―『中央日報』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948

なぜ嫌韓は高齢者に多いのか―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/25/9076605

嫌韓を実践するおばあさん    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/14/9059752

韓国語のできない嫌韓派     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052386

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

最初の韓流ブーム        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934724

日本語と韓国語の微妙な違い   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/19/9074339

朝鮮奨学会のアンケート調査(3)2021/04/13

 前回と前々回では、朝鮮奨学会が実施した民族差別体験アンケート調査について、まず毎日新聞が記事にして、次に韓国の中央日報が記事にしたことを紹介しました。 それでこの朝鮮奨学会の調査というものを見たくて探したところ HPで公開されているのですねえ。   http://www.korean-s-f.or.jp/doc/201912survey.pdf

 「韓国人・朝鮮人生徒学生の嫌がらせ体験に関する意識調査」と題するものです。 設問は四つあって、①「言葉による嫌がらせ体験(言葉)」 ②「嫌な思い(差別的処遇)」 ③「ネットでの嫌な体験(ネット)」 ④「ヘイトデモ・街宣の見聞き(デモ街宣)」。

 毎日新聞が報道したのは、このうちの ①「言葉による嫌がらせ体験(言葉)」だけで、「体験あり」30.9%、「体験なし」が69.1%です。 それ以外をみると‥‥

 ②「嫌な思い(差別的処遇)」は、「体験あり」が39.4%、「体験なし」が60.6%です。 差別的処遇というのは、「公共機関や住宅利用などにおける差別的処遇」となっています。 家を借りようとする際に、“外国人お断り”で苦労する話はよく聞きます。 家主さんにとっては日本語が通じるのか、不法滞在者の溜まり場にならないか等々の懸念があって、外国人に貸すのを嫌う場合が多いです。 

 「公共機関における差別的処遇」というのが何を指すのか分かりません。 これまで何人かの外国人に、公的機関の人から受けた嫌なことを聞いたことがあります。 それは入管や警察なんかから疑うような目つきで外国人登録証(今は在留カード)を見せろと言われることでしたね。 こんなことを指しているのかなあと想像します。

 ③「ネットでの嫌な体験(ネット)」は、「体験あり」が73.9%、「体験なし」が26.1%です。 多いですね。 これはいわゆるネットウヨ(嫌韓偏執狂)の書き込みでしょう。 こういったものには法的規制をかけるべき時期に来ているのかも知れません。 ごく一部の愚か者のために言論の自由が阻害されることになるのですが、止むを得ないと思うようになりました。

 ④「ヘイトデモ・街宣の見聞き(デモ街宣)」は、「体験あり」が75.7%、「体験なし」が24.3%。 これも多いです。 日本にも在特会など公然と人種差別する集団がいると全世界に報道されているようですから、困ったものです。 レイシスト集団はほんのごく一部とはいえ、放置していると犯罪につながる可能性があります。 実際に外国ではその例が多々ありますから、公安当局の監視を願うところです。

 奨学会のアンケート調査を見ながら感想を書きました。 被差別の「体験あり」が、「言葉」や「差別的処遇」では30~40%なのに対し、「ネット」「デモ街宣」が75%と高いことに目が行きます。 ごくわずかの少数者による悪行がこの数字の高さとなっているところにため息が出ますね。

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート―『中央日報』  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート(2)―『毎日新聞』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/06/9364434

植民地時代の土地調査事業の遺跡が文化財に2021/04/16

 『朝鮮日報』2021年4月5日付に、植民地時代に施行された土地調査事業の遺跡が韓国の登録文化財に指定されたというニュースが出ました。

https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2021/04/05/6V45OQML7ZDLRF2DEF73HCXIQM/

 関係する部分は次の通りです。

문화재청은 …1910년대 토지 측량사업 유물로 강원도 지방의 지형, 거리 등을 정밀하게 측정하는 기준이었던 ‘고성 구 간성기선점 반석’을 문화재로 등록했으며… 등 3건을 등록문화재로 예고했다.

 この記事の日本語版は4月13日にネット上で公開されました。 該当部分は次の通りです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6ff922f60e73fa9d424ceed1c8dfac1f978ed196

文化財庁は ‥‥1910年代の土地測量事業の遺物として江原道地方の地形や距離などを精密に測定する基準だった「高城・旧杆城基線点磐石」を文化財に登録し‥‥ など3件を登録文化財として予告した。

 ここで注目してほしいのは、「1910年代の土地測量事業」というところです。 これは朝鮮総督府が日韓併合当初より始めた土地調査事業のことで、1918年までの約8年間にわたって朝鮮全土の土地測量を行ない、土地所有権の確定等々の近代的土地所有制度を確立していったものです。 これによって朝鮮では、それまで不安定だった土地所有権が安定化しました。

 これはどういうことかと言うと、ある常民が先祖の代から耕作していた畑について、どこかの両班が「ここは元々俺たち家門の土地だ!お前らは出て行け!」と迫られるとか、どこかの役所が「ここは昔に朝廷から我々が賜った土地だ!勝手に耕作するとは怪しからん!」と訴えられる可能性があったのです。 何百年も昔の記録らしきものを突きつけられると、常民には両班やお上に逆らうことは難しい時代でした。 つまり日韓併合以前の朝鮮では、土地所有権が不安定だったのです。

 それがこの土地調査事業で所有権が確定したことによって安定したのです。 ですから、どこかから「ここは元来自分の土地だ」とか言われても対抗できることになったのです。 つまり土地調査事業は私有財産制の確立であって、近代化に絶対に必要なものだったのです。 そしてその成果は現在の韓国の土地制度にまで及んでいます。 今の韓国でも土地の所有権は争いの種ですが、その裁判ではこの土地調査事業の成果物が出てくるのです。 それ以前の李朝時代の記録はあっても無視されます。 ということは、100年以上前に朝鮮総督府が施行した土地調査事業の成果は現在の韓国にまで継承されているのですから、事業は歴史の理に適っていたと言ってもいいと考えます。

 従って韓国が今度、この土地調査事業の遺跡を重要だからと文化財登録したことは、歴史価値の重要性からしても当然なことです。

 ところが世間に出回っている韓国史では、この土地調査事業は「日本帝国主義による土地収奪」だと極めて低い評価を与えています。 そして在日も自らの歴史を語る時に、自分たちの祖父は日帝の土地調査事業で土地を奪われてやむなく日本に来た、だからこれは「強制連行」と同じだ、というような「歴史」を語ることが多いです。 これは「虚偽の歴史」と言っていいものです。

 それでは真実の歴史は何か?

土地調査事業によって土地所有権が確定したので朝鮮人は安定した生活を送り、結婚して子供を産むことができるようになった、だから朝鮮人の人口は日韓併合後に爆発的に増えた、しかしこの人口増に農業生産が追い付かず、朝鮮の各農村では人口過剰に陥って貧困層が拡大し、農村外に出ようとする動きが活発化した、その出稼ぎ先の一つが産業化の進んでいた日本(当時は内地)だった。

 「在日の歴史」は、このように語ってほしいと思います。

【拙稿参照】

土地調査事業           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

『現代韓国を学ぶ』(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/06/6470236

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

『金達寿伝』を読む―金家はなぜ没落したか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/07/9293017

在日の自殺死亡率2021/04/20

 在日の総合誌『抗路8』(2021年3月)に、「『在日』における精神障害とコミュニティ」と題する論稿があります。 論者は金泰泳さんという方です。

マイノリティにとって社会はストレスが多い。マイノリティは民族、人種、性別、出身地、またはセクシュアリティ、障がいなど、さまざまな属性にもとづいて蔑視や差別をうける、排除・疎外されるという経験を有している。そのストレスの長期にわたる蓄積ゆえに、精神疾患の発症リスクが高い人々であるといえる。 ‥‥ 在日コリアンもマイノリティのひとりである。 筆者は本稿で、「在日」が‥‥どのような状況に追い込まれているのかということをうきぼりにしたい (91頁)

というもので、その一つとして「在日」の自殺率の高さを論じています。 ↑は、それを示す根拠して掲載されているグラフです。

 在日韓国・朝鮮人はこれまで様々な調査が繰り返されてきており、統計数字もたくさんあります。 しかし自殺率に関する資料は見たことがなく、私には新鮮な印象をもちました。(自殺に関する統計数字ですから、「新鮮」はちょっと言い過ぎかも知れません)

 論者は次のように言います。

図からわかることは、日本の韓国・朝鮮籍者の自殺死亡率が、「日本全体」(外国人を含む)や他の外国籍の人々よりきわだって高く、その傾向は一貫している(94頁)

 この統計の典拠の一つはおそらく厚生労働省「人口動態統計に基づく自殺死亡数及び自殺死亡率」と思われ、ネット上でも公開されていますので関心ある方はご覧ください。 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/jinkoudoutai-jisatsusyasu.html

 これを見れば、論稿の↑グラフ図は信頼できるものと判断できます。 韓国・朝鮮籍の自殺率は2010年以降減少してきているのですが、それでも他と比べて「きわだって高い」のは事実と言わざるを得ないですね。

 ただしこの「韓国・朝鮮籍者」には近年に来日した「ニューカマー」も含んでいるので、論者は「『在日』の自殺死亡率と言い切ってしまうにはやや語弊がある」(94頁)と注意を呼びかけています。

 論者はこの方面の専門家のようですから政府統計だけでなく、ご自分で「特別永住者」と「ニューカマー」の自殺率の違い、あるいは帰化者の自殺率といったものを調べることができないものだろうか、という期待を持ちました。

 例えば、帰化者の自殺率が「韓国・朝鮮籍者」のそれより低ければ「在日」は帰化によって精神的安定を得ることができるとなるだろうし、同じであれば帰化しても在日問題は解決しないとなるだろうし、高ければ帰化はかえって危険となるでしょう。 そういった数字がほしいところです。

在日の低学力について(1)2021/04/28

 前回で、在日の自殺率に関する金泰泳氏の「在日の自殺率」に関する論稿を取り上げました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020 この論稿では他に、在日の子供たちの低学力について次のように論じているところに目が行きました。

筆者は、ある「在日」青年が集まって活動する団体で一時活動していた。 当時、日本の学校に通う「在日」の中では非行に走ってしまう子、また「低学力」に苦しむ子も少なくなかった。 「在日」の生徒の学力を示すデータはほとんどないが、大阪府Y市の中学校が出した統計では、日本人生徒は学力の上位層、中位層、低位層の割合が概ね30%ずつであったが、「在日」生徒では、それぞれ10%、25%、65%という結果であった。 それは差別による展望のなさや家庭環境になどいろいろな背景があるだろう。

筆者はその団体の会議で、民族楽器や舞踊など民族文化を伝えることはもちろん必要だとおもうが、それに加えて、学力保障の取り組みをしていかなければいかないのではないかと提起したことがあった。 そしてその提起をめぐって議論になり、その団体の中心的役割を担う人が言ったのは、「学力保障は民族教育の範疇ではない」ということであった。 その場にいるほとんどの人がその人の意見に賛同し私は孤立した形になった。 しかし、なおも「学力保障の取り組みは必要だ」と食い下がる筆者に、今度は「そんな考えだからダメなんだ。朝鮮人やめてしまえ!」という発言が飛び出したのである。

その場(団体)において、「学力保障」というのは個人主義であり能力主義である。 私たち(団体構成員)が大切にしているのは「民族集団としての仲間づくりでありつながりだ。」 実際に学力をつけて学歴を積んで安定した仕事に就く「在日」の少なからぬ人が「在日」」コミュニティを離れ、日本社会に埋没していってしまっているじゃないか。 彼/彼女(団体構成員)たちはそう言いたかったのだろう。 (以上『抗路8』2021年3月 95・96頁。 カッコ内は引用者)

 これを読んで、1970年代の民族差別と闘う運動団体でも同じことがあったなあと思い出されました。 運動団体は〝勉強”よりも〝民族差別と闘う”ことを重要視するものだったのです。 子供会活動では朝鮮人の子供たちには一応勉強を教えるのですが、教える側の学力そのものにかなりの問題がありましたし、指導者本人が「子供会は‘勉強塾’になってはいけない」と強く言っていました。 ですから子供らには「本名を名乗れ!」と繰り返し指導するばかりで、勉強よりも遊びの場になるしかありませんでした。

 そして何か差別反対闘争や行政闘争があれば、勉強なんか止めてそっちに行こう!というのでした。 その闘争の現場では、「お前らは朝鮮人の子供らがどんな気持ちでいるのか分かっているのか!」「その子のお母ちゃんがどんなに辛いのか知っているのか!」などと怒鳴るように叫んで、相手方を追及します。

 在日の子供たちの学力が低い傾向にあったのは、私の経験からしても事実でした。 しかし民族主体性を訴える運動団体では、子供たちの学力向上は主たる関心の外にありました。 日本の学校でいくら勉強しても将来は土方になるかパチンコ屋で働くぐらいしかない、そうでなければヤクザだ、ということが公然と言われていた時代でしたね。

 運動団体はそんな時代のなかで、勉強よりも民族主体性の確立を目指していました。 しかし民族主体性とか言ったって、本名をハングル風に呼んで民族を隠さないくらいでしかありませんでした。 民族にとって一番重要な朝鮮語は、ほとんどが初級段階でしたね。 (続く)

在日の自殺死亡率  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020