在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次2021/06/12

 『抗路8』(2021年3月)に尹健次さんの「日本語と朝鮮 主体の揺らぎ」と題する論考があり、在日のアイデンティティ(主体性)について次のように書いておられます。

そもそも、「在日」を生きるとは、差別に抗して生きることであった。(141頁)

つまりは、「在日」の民族的アイデンティティは、被差別体験という触媒によって獲得され、それは「日本」「日本人」にあがらうことをひとつの本質としてきた。(142頁)

(在日)三世・四世は日本社会のなかに溶け込み、日本語を確実に母語とする生活を営みながらも、被差別的な違和感に苛まれることが少なくなく(143頁)

(在日の若者は)朝鮮語を学ぶことによって差別社会・日本で人間としての自己を確認し、再生しうる道を切り拓いていった(145頁)

日本によって奪われ、屈従を強いられる主体性を奪還しようとするときも、多くは日本語で思考し、表現していかざるを得なくなる。(149頁)

出自・来歴を朝鮮半島だと意識し、日本の朝鮮侵略の真実を自覚する方向に向かうかぎり、「民族性」を帯びた在日文学は終焉を迎えることはなく、日本と朝鮮の不幸な関係を清算するためにも、「抗い」「ともに生きる」道を模索しつづけることになる。(151頁)

「在日」はもちろん、世界にあふれる移民・難民にとって、異郷・苦境・被差別の中で感得する出自や来歴の自覚ないし意味づけはアイデンティティのより重要な要素になっていく(163頁)

 尹さんは在日のアイデンティ(主体性)について、このように「被差別」「日本の朝鮮侵略」「植民地主義」という言葉で表されるように、過去の歴史とそれに続く差別という“被害者性”に求める発言を繰り返しておられます。

 日本の植民地から解放されたのが1945年ですから、それから76年。 36年間の日帝植民地支配の二倍以上の年月が過ぎており、今では植民地を体験した在日は超高齢者で、ごく少数となっています。 それでも「朝鮮侵略」「植民地主義」が在日の主たる課題としているところに、私の大きな違和感があります。

 また「被差別」とありますが、確かに日本社会では1970年代前半までは在日朝鮮人差別は激しかったし、そして日本人から差別されたことは当時の在日の共通体験でもありました。 民族差別反対闘争(いわゆる日立闘争)では、俺にも言わせてくれという在日が次々と現われ、真に迫った被差別の実体験談が多く語られたと言います。 それが1980年頃から、在日の若者に民族差別のことを言っても「一体どこの話?」と言わんばかりにポカンとしていると聞くようになりました。 

 1980年代になると、民間企業は日立闘争で在日側の勝利によって就職差別をしないようになり、また公務員就職差別は一部を除いて国籍条項がなくなってほぼ解決し、福祉等における差別も1982年の難民条約以降多くが解消しました。 それでも在日は差別されているのだと指紋押捺反対の運動などが盛んになりましたが、これも1991年の特別永住制度で解決しました。

 今や在日への差別は、在特会とか嫌韓偏執狂としか言いようのない一部の日本人の特異言動に限られていると、私は考えています。

 ところで尹さんは、今は在日の主体が揺らいでいると論じます。

(在日の)世代交代がすすんだ現時点において、また「帰化」その他で日本社会に溶け込み、民族とか祖国、母国語といった思考意識を持たない、持てない多くの「在日」出身者がいることも確かであろう。 「在日」の定義自体、植民地支配の所産、国民国家・日本の枠内にあるマイノリティということではすまなくなっている。「祖国」や「母国語」という言葉そのものが実体を欠いた「幻」になっているのかも知れない。(162頁)

 尹さんはこのような「主体の揺らぎ」を最近のこととしておられるようですが、実は1980年代以降から進行してきたものです。 在日は本国韓国人と言葉が通じる一世が引退するともに、韓国にいる親族との往来が途絶えるようになり、ついには「民族」「祖国」「母国語」とは切れていくのが大部分です。

 二世は一世の両親の夫婦喧嘩で飛び交う母国語(朝鮮語)を聞いたり、本国の親戚と時おり連絡する両親の母国語を傍で聞くことがありますが、三世以降になるとそんな母国語を聞くことすらなくなります。 つまり母国語は完全に外国語となっていっています。

 また本国の民主化運動家たちとイデオロギー的連帯をして、「民族」「祖国」のつながりを保っている方がおられます。 しかしそんなイデオロギーで日常生活を送るのは一部の活動家くらいですね。

 例えば4年前の韓国大統領選挙の時に「文在寅」に投票しようと呼び掛ける在日活動家がいましたが、投票するには領事館に二回行かねばならず(選挙人登録と投票)、実際に投票に行った在日はほんのごく少数です。 私の周辺では、活動家の方を除けば皆無でしたねえ。 いまや在日にとって「祖国」はそれほどに関心外なのです。

 尹さんはこのような在日の主体の希薄というか「揺らぎ」に対して、「脱植民地主義の課題」を提起します

(在日は)脱植民地主義の課題を自分の問題として意識するとき、出身地や母国語といったことにつながる言葉が、改めて自らの生き方を模索するキーワードにもなる(163頁)

 在日はいつまでも過去(植民地主義)からの脱出を課題として生きていかねばならないと、尹さんは主張しておられるようです。 つまり“「在日」が「在日」たる所以(ゆえん)”は75年以上昔の植民地主義を引きずる日本社会からの被差別である、というのが彼の考え方ということです。

 別の言い方をすれば、「在日」は差別問題が解決すれば「在日」としての存在はなくなる、だから植民地という過去にこだわって差別問題をいつまでも未解決のままにしておかねばならない、となるように思われます。

 もう一つ別の言い方をすれば、「在日」は日本という存在があるからこそ「主体」があるのであり、だから日本に依存することに「主体」の源泉がある、ということになりますね。

【拙稿参照】

在日企業が在日を採用しない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159811

在日三世女性の発言への違和感   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/08/9150680

同化されない外国人           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/01/8206320

アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267

姜信子『私の越境レッスン・韓国編』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/20/7738016

「チョン」は差別語か?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/04/7603685

マルセ太郎               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/19/6694884

在日の今後の見通し(犯罪率)について  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642370

在日朝鮮語               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331

在日コリアンの「課題」         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960

在日コリアンと本国人との対立      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

在日の政治献金        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/06/5725110

在日の政治献金(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/11/5735616

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

在日は日韓の架け橋か          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/11/5212322

外国人参政権要求-最終目標は国政参政権 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/12/5342632

民族を明らかにするのに勇気がいる、という発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2009/05/10/4297782

在日韓国人政治犯        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

外国籍の先生          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/03/5197498

韓国人でもなく日本人でもない      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242

これまでの在日とその将来について(仮説)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

在日の範囲とルーツを隠すこと      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/04/472555

在日の慣習と族譜            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/12/481465

コメント

_ かつてはk国すきでしたよ ― 2021/06/13 09:13

被差別は心地よい子守唄。かつての糾弾闘争では、在日韓国人は初対面の相手日本人に対しても「自分の差別意識を自ら問え」などと威丈高に「楽しげに」言っていましたね。テメエなんかに私の生き方を問われる筋合いはないよ、と答えてはいけなかったですね。
在日と言っても、24時間365日差別に苦しむわけではない、この料理はおいしいとか、どこそこに行ったらとても楽しかったとかの日常はあるのに、口に出す言葉は差別に苦しむ我々としかの言葉しかない。
在日の子弟でせっかく親が良い大学に入れたやったのに途中で遊んで退学するような子もいて「あー、もう差別から抜け出すために必死で努力しようという世代ではないのだな」と思ったのがもう20年弱位前。息子が4人いて、一人は野○証券に、一人は日○航空に、一人は○和銀行に、末っ子はサーフィンに夢中で就職したがらない・・その後どうしたかは知りませんが・・。アイデンティティが差別に苦しむ在日というのはそろそろ卒業すべき世代がすでに十分に育っていますよ。

_ 辻本 ― 2021/06/13 14:14

>「自分の差別意識を自ら問え」

 懐かしいですね。 民族差別と闘う運動では、在日や日本人活動家の人たちがよく言っていました。
 日本人は自らの罪に恐れおののき、在日の前で拝跪せねばならない、という考え方です。
 そしてその考え方で民族差別糾弾闘争をやっていましたねえ。

>威丈高に「楽しげに」言っていました

 在日にとっては、自分がどんなことを言っても日本人たちは耳を傾けてくれるのですから、その場では気持ちよかったと思います。
 また日本人活動家たちは行政闘争なんかで、「お前らは在日の子どもやお母ちゃんがどんな気持ちでいるのか分かっているのか!」などとと迫っていましたねえ。

 ところでご投稿を読ませてもらいました。 かつて学校の先生だったようですね。 以前にシン・ギョンファンをご存じだったとおっしゃっていましたから、どこの地域の学校か、ある程度推測できます。 

 本人特定されるおそれがありますから、ご注意ください。
 何かご意見がおありでしたら、メールでお送り下さるのがいいと思います。

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