韓国が対日請求権解釈を変えたのは1992年から2022/03/15

 木村幹『誤解しないための日韓関係講義』(PHP新書 2022年3月)を購読。 今の日本人は韓国に対する関心が高いのですが、その中身が偏ったり間違っていたりする場合が多いですね。 この本はそれを正してくれる好著だと思いますので、皆さんにもお勧めします。

 これを読んでいて、韓国が1965年の日韓条約請求権協定の解釈を一方的に変えたのが、盧泰愚政権の1992年だったなあと思い出させてくれました。

 日韓条約の請求権協定というのは、

日韓両国の財産・権利および利益、そして両国間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する

 要するに、1910~45年の植民地支配下における財産等の請求に関わる問題、すなわち補償・賠償等の問題は全て解決したというものです。 ですから、日本も韓国も

日韓基本条約とその付属協定が締結された1965年から、盧泰愚政権が慰安婦問題で日本政府に対して公式の問題提起を行なった1992年までの約27年間、韓国政府は日本政府と同じく、慰安婦問題を含む過去の請求権に関わる問題は「完全かつ最終的に解決された」という立場を取っていた。 つまり少なくとも両国政府の公式見解においては、現在我々が目にしているような、慰安婦や徴用工に関わる補償の問題を巡って日韓両国政府が外交的に対立する状況は、1992年までは存在しなかった。(110~111頁)

とあるように、解決済みでした。 それが1992年になって、“いや、まだ解決していない、例外がある”と韓国側が言い出したのでした。

1992年1月、時恰も大きな注目を集めつつあった慰安婦問題を巡って、はじめて、この問題が請求権協定の「例外」であることを主張 (110頁)

 そしてその後、韓国側はこの「例外」の範囲をどんどん大きく膨らませていきます。

2005年には、時の盧武鉉政権が日韓条約締結に至るまでの外交文書を精査した結果として、慰安婦問題に加えて、韓国人被爆者の問題とサハリン残留韓国人に関わる問題にまで、この例外の範囲を公式に拡大させた。

そして2018年、日本の最高裁判所に相当する大法院が徴用工問題について、請求権協定によっても個人的請求権は依然有効である、としたことはいまだ我々の記憶に新しい。

2021年1月には、ソウル中央地方法院が慰安婦問題に対する日本政府への直接請求権を認める判決を出し、日韓両国の請求権協定の解釈を巡る乖離はさらに大きなものとなっている。(以上 110頁)

 解決済みのものを何十年も経ってから未解決だと主張するのは強弁としか言いようがありませんが、韓国はなぜのように態度を豹変させたのでしょうか。 木村さんはその過程を次のように説明します。

それ(請求権協定)は解決に不満が残らなかったことを意味しなかった。 とりわけ大きな不満が残ったのは、交渉の過程で、相対的に遥かに大きな国力を持った日本の前で譲歩を余儀なくされた韓国の側だった。 彼らは考えた。 本来なら、朝鮮半島を追われた日本が、新たに独立を獲得した韓国に対して譲歩し謝罪すべきなのに、逆に彼らは大きな国力にものを言わせ、我々のプライドを再び大きく踏みにじった。 (108~109頁)

朴正熙が大統領であった時代(1960~70年代)、韓国にとって日本の影響力は極めて大きく、だからこそ彼もまた大きな不満を持ちながらも、日本への譲歩を余儀なくされた。(121頁)

 韓国は、日本との国力差によって自分たちが譲歩せざるを得なかったという被害者意識を有していたということです。 しかしその後韓国は経済発展し、この日韓の国力格差はなくなっていきます。

このような状況(日本からの被害者意識)は、やがて経済発展を遂げた韓国が力をつけ、さらには冷戦下の最前線に置かれる頸木から解放された時、大きな動きをもたらすことになる。 即ち、彼らはその後、それまでの請求権協定の解釈を変え、事実上無意味化させていく方向へと、動いていくことになる (110頁)

1980年代以降、韓国経済における日本の重要性は急速に低下することとなった。 かつては40%をも超えた貿易上シェアは現在では7%台に過ぎないから、その数字だけから言えば、韓国における日本の重要性は5分の1以下にまで低下したことになる。 つまり、韓国においては、この40年間、日本の重要性は継続的かつ着実に低下しているのである。(122頁)

(韓国では)日本の重要性は急速に失われ、人々は日韓関係の維持に大きな努力を払わなくなった。(135頁)

韓国人が日韓関係の悪化に大きな懸念を示さず、状況を放置しているのは、彼らが我々との関係の維持に大きな利益を見出していないからである。(138頁)

 韓国が日韓条約の請求権協定の解釈を変えて、慰安婦や徴用工などの歴史問題を日本に突き付けたのは、日韓の国力差がなくなったために日本の重要性が低下し、それまで表に出ていなかった被害者意識を出すようになったから、という説明は説得力を感じます。

 豊かになったのだからもう過去のことは忘れましょうとはならず、豊かになったからこそ過去の恨みを晴らそうという考え方ですね。

 その始まりが1992年だったのです。

【拙稿参照】

韓国では日本の存在感はない  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

韓国の反日外交の定番      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

世界で唯一日本を見下す韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

中韓は子供と思って我慢-藤井裕久    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974