韓国で歴史問題が国内政治化したのは2003年から ― 2022/03/21
中公新書から最近出た木村幹『韓国愛憎』を購読。 副題が「激変する韓国と私の30年」とあるだけに、彼自身の韓国研究の軌跡を描いたものです。 私自身は彼の授業を聞いたことがありましたから、彼の人生の歩みとも言うべき自叙伝部分は面白く読みました。 それ以外に、日本人が韓国に対して持っているイメージに対する批判はなかなか鋭く、成程そうだろうなあ、という感想です。
そのうちで、ああ、そう言えばそうだ、これはこれまで気付かなかったなあ、と思い出させてくれたところを一部紹介します。
2003年に成立した盧武鉉政権は、歴史認識問題について、これまでの政権と一線を画す姿勢を示していた。 最大の特徴は、日本との歴史認識問題を、韓国国内の政治対立とリンクさせたことである。 盧武鉉政権は、植民地期から21世紀まで繋がる保守勢力の流れを、植民地期の日本統治機関への協力者、韓国で言う「親日派」の末裔と位置付けていた。
盧武鉉はこの理解を前提に、李承晩、朴正熙、全斗煥と続いた権威主義体制期の韓国は、これら親日派末裔の支配下にあり、彼らによる非民主主義的な支配体制は、一面では植民地期の悪しき遺産だった、と主張した。 つまり、盧武鉉は韓国の民主化と自らの政権による改革を、親日派の末裔から民衆が権力を奪い返す過程として位置付けた。
だからこそ盧武鉉政権は、これまでとは異なり、日本との関係の範囲を超えて、韓国の国内問題としての歴史認識問題にも大きな関心を向けた。 この主張によれば、権威主義体制期に基礎がつくられた韓国の古い歴史認識は、親日派の末裔による統治を正当化する「誤った」歴史認識だからだ。 それゆえにこれを民主化の時代に相応しい「正しい」歴史認識に沿ったものに改めなければならない、と主張した。
重要なのは、盧武鉉政権が積極的な歴史の見直しを国内で行なっていたことだ。 だから彼らは、当然日本でも歴史の見直しが同様に行なわれるべきだと考えていた。 (以上99~100頁)
それまでは歴史問題は、対日外交で日本側に譲歩を要求する手段として使われており、保守派も進歩派も更なる譲歩を求めて“対日強硬=反日”姿勢を取る点で同一だったと言えるでしょう。 それが盧武鉉政権になって、韓国国内において進歩派が保守派を攻撃する材料として歴史問題を使い出したのです。
具体的には、“保守派はあの悪辣な植民地支配を受け入れた「親日派の末裔」だ”というレッテル貼りで、これが功を奏しました。 これにより、歴史問題は対日外交だけでなく、韓国の国内政治へと拡大したのでした。
韓国は解放以降数十年間にわたり「反日」を強固に維持し、右も左も「親日」という言葉を攻撃的に使ってきました。 ですから進歩派である盧政権が保守派を「親日派の末裔」と批判すれば、保守派は“いや我々は「親日」ではない”と反論する経過となりました。
だから保守派は政権を担当すると、自分たちが「親日」でない証を見せることになります。 それが李明博大統領の竹島上陸と天皇戦争責任発言であり、その次の朴槿恵大統領は対日会談拒否し続け、世界中を行脚して従軍慰安婦問題を訴えて日本を批判しました。 朴大統領と会談した各国首脳は、関係のない日韓の歴史と日本批判をいきなり聞かされて戸惑ったといいますね。
そして次は進歩派の文在寅政権です。 この政権では、対立する保守派を「親日派」と攻撃する形で「日本」を利用したのです。 一方、日本に対しては外交上において重要視しない国として扱い、関係改善の意思を最初から見せませんでした。
それまでの「反日」は日本に対してそれなりにまだ気に掛ける存在だったのですが、文政権はそれを通り越して、日本はどうでもいい国あるいは後回しにしてもいい国として扱ったということです。 だから韓国の裁判所が徴用工訴訟で日本企業に賠償・資産売却の判決を下し、そのまま行けば日韓関係の破綻が確実なのに、文政権は何の対処もしません。 韓国全体が「反日」へと流れていくのを、われ関せずと言わんばかりに黙って見ていています。 言うとしたら“これは日本が誠意ある謝罪をしないからだ”と、責任を日本側に回すことだけです。
まとめますと、進歩政権は対立する保守を「親日派」とレッテル貼りして「歴史の清算」を叫びました。 つまり「日本」を韓国国内の政治対立の攻撃材料として扱い、その考え方の延長として日本に対して軽視するという外交を進めてきた、というわけです。 日韓関係の悪化は韓国国内のこのような政治的要因によって更に甚だしくなり、そしてそれが国際的にどのような影響を与え、国益にどれほど害をもたらすのかなんて考慮しなくなったのです。
このような経緯を顧みる時、韓国において歴史問題が対日外交から国内の進歩・保守の対立へ、すなわち日本との国際問題だったものが国内政治問題にまで広がったのは、盧武鉉政権から始まったと考えることが出来ます。 そしてこのことは、日韓関係の改善を更に困難にしていったと言えます。
木村幹『韓国愛憎』は、このような過去の経緯を思い出させてくれました。
5月から保守の尹錫悦政権が出帆します。 今度の新政権が国内的に「日本」をどう扱い、対日外交をどのように繰り広げるのか、注目したいと思います。 ただし改善への期待は、すべきではないでしょう。
【拙稿参照】
韓国が対日請求権解釈を変えたのは1992年から http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/15/9472590
韓国では日本の存在感はない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342
韓国の反日外交の定番 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410
世界で唯一日本を見下す韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253
中韓は子供と思って我慢-藤井裕久 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809
実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754
毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974
コメント
_ 辻本 ― 2022/03/22 10:41
_ 竹並 ― 2022/03/22 12:10
(韓国社会で)上記の思想的背景になっているのが「『解放前後史の認識1』という1冊の本だった」(by 西岡 力)ということらしいので、(僕は)その解毒剤として『反日種族主義』(李 栄薫)という本に期待しているわけです。
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韓国社会をここまで「反日」に縛り付けた契機は、1979年に出版された『解放前後史の認識1』という1冊の本だった。
それまで韓国の学生運動や反体制運動には「容共-反米」は存在しなかった。
「反日」の半分は、日本の「容共」的姿勢を糾弾するものだった。
ところが、朴正煕大統領が暗殺された年に出たこの本は、その枠組みを大きく揺り動かす歴史認識を若者らに植え付けた。
巻頭論文を書いたのが、宋 建鎬だ。
彼は長く新聞記者として朴正煕政権を激しく批判してきた反政府活動家で、1980年、全斗煥政権下、金大中氏らとともに逮捕された。
彼は「反日」を入り口にして、「大韓民国は生まれたときから汚れた国で、北朝鮮こそ民族史の正当性の継承者だ」という、当時の学生らに歴史観のコペルニクス的転換を求める「解放の民族史的認識」と題する論文を書いた。
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論文の中で宋は、韓国の建国の父である李承晩を徹底的に攻撃している。
李承晩は手段方法を選ばない権力主義者で、米国をバックに日本の植民地統治に協力した親日派を取り込んで分断の固定化に繋がる韓国-単独政府を樹立し、親日派処分を妨害し、土地改革を遅延させ、日本統治時代に利益を得ていた地主勢力と結託した--。
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この歴史観は(19)90年代以降、各界各層に浸透し、現在使われている韓国の小、中、高校で使われている歴史教科書もこの歴史観にもとづき書かれている。
2005年以降、一部の実証主義学者らが教科書改善運動を開始したが、彼らが執筆した歴史教科書は今も、採択率ゼロだ。
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(東京基督教大教授 西岡力、2015/7/27)
https://www.sankei.com/article/20150727-CEFY4QNUINJSVJ2AZLUTLPRVGQ/12/
_ 辻本 ― 2022/03/22 15:10
これはウソですね。
1960年に李承晩政権を倒した学生運動・反体制運動が掲げた有名なスローガン「行こう北へ、来たれ南へ、会おう板門店で」は、明白な容共です。
_ 海苔訓六 ― 2022/03/22 22:23
というのはその通りと思います。
自分の地元の話ですが半導体製造している中規模企業が経営不振に陥り、放置しておけば倒産する危機に直面しましたが某韓国企業(たぶんSAMSUNGの下請だと思いますが)の傘下に入ることで生き延びました。
国交断絶していたら助けてもらえなかったと思いますので、韓国には感謝しています。
ただ問題はその先にあって、韓国企業の傘下に入って以降、予定で月末までに200個部品を作るように指示されて作業を開始したら翌日にいきなり月末ではなくて月の中日までに部品300個作ることに変更したから対応してくれ、みたいにコロコロ指示が変わるので、日本人エンジニアたちがついていけなくなって次々退職する事態が出来しました。
韓国の特徴は「直前にいきなり通達する」ということみたいで、朝鮮人はそういう臨機応変の対応に慣れているみたいなのですが日本人はそういうのが苦手らしいです。
先年韓国観光したときに現地案内してくださった日本語のできる朝鮮人大学生と話をしたときにその話を伝えて
「私個人は、放置しておけばつぶれていた会社だと思うから、救ってくれた韓国には感謝しています。
ただ韓国も、自分たちのやり方を他国で同じように適用すると地元の人たちは馴染めないので反発する可能性はある。もう少し地元の習慣とか考え方を取り入れて経営してほしい、とは思いますが。
日本が朝鮮を植民地支配していた当時、日本の考え方や習慣をそのまま朝鮮にも一方的に適用して近代化させようとしたので、朝鮮人の反発を招き、そしてそれが今も日本と朝鮮のわだかまりの一因になっている、と思うと、
今は韓国企業が日本に対して同じことをしているとも思いますので」と伝えました。
彼らにこんなこと話しても仕方ないかもしれませんが日本語の勉強もしてますし将来、日本との関係の仕事に就く可能性もあるので、自分の表現がどの程度伝わったか分かりませんが、自分の思っていることをそのまま話しました。
上記で例に挙げたのは企業の話ですが、
他にも総合格闘技団体のPRIDEがヤクザ絡みのスキャンダルとアメリカUFCの圧力で潰されてしまい、日本国内の総合格闘家が仕事にあぶれて困っていた当時、韓国の総合格闘技団体ROAD・FCの興行にオファーを受けて、そのファイトマネーで助かった日本人格闘家も沢山いました。
韓国が経済発展して自前で総合格闘技の興行をうてるようになり、日本の格闘家にも仕事を提供できるようになったからこそだと思います。国交断絶していたら、仕事にあぶれてヤクザになってしまった格闘家もいたかもしれませんから、助けてくれた韓国には感謝しています。
日本人と朝鮮人は仕事に対する考え方が全然違いますし、価値観もかなり異なるので警戒して付き合うべきだと思うし、韓国とは距離をとって対応すべきだとも思いますが、だからといって感情的に国交断絶しろ!だのチョンは日本から出ていけ!みたいな極端なことを言うのは論外だと感じています。
_ 竹並 ― 2022/03/23 14:19
それは(…というか、日本に何ができるかは)周辺状況、特に「米国の意向」と関係すると思いますよ… 日本は(軍事的には)アメリカの保護国=従属国なんですから。
そして、その「国交断絶」が、もし現在の「台湾と日本の関係」と同様のものを意味するのなら、ビックリするような話ではないと思います。
(現在、日本と台湾に正式な外交関係はない。 1972年、日本と中華人民共和国が国交を正常化させるに際して、日本は、それまで国交があった台湾の中華民国と断交したのである。 https://www.nippon.com/ja/in-depth/a02204/)
だだ、個人的に興味があるのは、その「断絶」騒動の間隙をついて、日韓の「歴史の闇」の部分が(瓢箪から駒…)ひょっこり出てくれば面白いな、とは思いますね。
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しかし(鈴木 明氏が)日本に帰り、改めて『侵華日軍南京大屠殺史料』の内容を見て、文字通り、声こそ出さなかったが、心の中で驚きと、さらにに深いさまざまな疑問が沸き上がって来るのを抑えることが出来なかった。
何故なら「虐殺記念館」で買ってきた487頁の『侵華日軍南京屠殺史料』の第1頁目から第59頁目までに「郭岐『陥都(かんと)血涙録』」が出ており、これが「第1部分・国内人士紀実」全155頁のうち、約5分の2という大きな部分を占めていたからである。
まず驚いたのは、その「序文」であった。
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「民国26年(1937年)中日戦が勃発、12月9日、日本軍はわが首都南京を包囲攻撃し、3日後、城は陥落した。
そのとき、日本軍はわが無辜(むこ)の軍民30余万人を虐殺、筆者(=郭岐)は職責の関係で国軍の撤退に加われず、市民に化けて市内に潜伏し、自分の眼でこの人間地獄を目撃した。
生死の境をさまよいながら、もがき苦しむ100日を体験した。
いつも『揚州十日』『嘉定三屠』(ともに中国の「虐殺物語」として有名)を思い、この2つの物語も、この虐殺には及ぶまい、と考えていた。
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谷寿夫(=たに ひさお、南京戦時、第6師団長)などが南京雨花台で処刑されたあと、友人たちはこれ(=『陥都血涙録』)を1冊の本として印刷するようにすすめたが、先の蔣(介石)総統がお出しになった『怨(うらみ)に報ゆるに、徳を以てせよ』という政策を思い起こし、一個人としての願いは捨てよう、と決心した。
ところが民国61年(1972年)7月、日本の田中角栄政府は大恩を忘れ、義に背き、一方的に中日和約(日台平和条約)を破った(つまり、「日中国交正常化」を行った)。
この卑劣な行動に、私は怒髪天を突き、悲憤のあまり、旧作を整理しようと決心した。
題名も『南京大屠殺』と変え、「中外雑誌」連載をはじめた。
もとより、これは個人のうっ憤晴らしではなく、歴史の証人でありたいと願うものだし、日本軍閥の醜悪な面を見直したいと思ったからである。
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民国67年(1978年)7月 台北にて 郭岐 」
僕(=鈴木 明)はこれを読んだとき、日本でいう「日中国交正常化」が、南京大虐殺を発表する動機となった、というのにまず驚かされた。
(p.272 - 274,『新「南京大虐殺」のまぼろし』鈴木 明、1999年)
_ 河太郎 ― 2022/03/23 16:37
≫ 1億2千万人もの中には、こんなヘンテコリンで極端な人間がいるものだ、ということですかねえ。
以下の実例をみると、どういう判断になるのでしょうね。
●外務省HPは、 韓国は竹島不法占拠している、と記載。
―→つまり、韓国の領有権の主張はウソ、との日本政府の認識。
●日本政府は慰安婦の強制連行の証拠なしとの見解
―→つまり、韓国の主張の、慰安婦は強制連行された、はウソと日本政府は認識している。
●防衛省HP「防衛省としては、韓国駆逐艦による海自P-1哨戒機への火器管制レーダー照射について、改めて強く抗議するとともに、韓国側に対し、この事実を認め、再発防止を徹底することを強く求めます。」
●全日本剣道連盟HP<剣道は、このように日本の歴史の中で生まれ育ってきたのです。つまり「剣道」とは他のいずれの地で生まれたものでもなく、このような経過とともに発展してきた剣道のことなのです。>
―→つまり、これは韓国が剣道は韓国発祥とうるさく言うので、日本側が公式に反論したもの。韓国の主張はウソと言うもの。
又、韓国側の例もあります。
●「韓国、国民の虚言が社会問題化…偽証罪は日本の165倍、嘘で他人を蹴落としが常態化」
https://biz-journal.jp/2016/06/post_15482_2.html
●偽証が氾濫する法廷 朝鮮日報 2003.02.13(木) 19:05
●〔オピニオン〕うそを勧める社会 東亜日報AUGUST 07, 2002 22:35
●「オピニオン」ウソ天国 東亜日報 DECEMBER 28, 2003 23:21
●【社説】嘘つき政治家が追放される日本 権勢振るう韓国 朝鮮日報 2006/04/03 07:14
●国民感情を考えて嘘の歴史を教えた テコンドーについて韓国 国技院 副院長の告白
_ 辻本 ― 2022/03/27 00:13
_ 辻本 ― 2022/03/27 01:37
1972年に台湾と国交断絶した時は、日中国交回復という果実がありました。
ところで今韓国と国交断絶しても、何の果実もありません。 国益を害するだけです。 こんな主張をすること自体がビックリです。
_ 辻本 ― 2022/03/27 04:07
また人間というものはうっかりにしろ意図的にしろ、ウソをつくことがあります。
他人のウソの批判を厳しく繰り返していくと、自分のウソが例え一つでもあれば、信頼を失うでしょう。
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ネットのコメント投稿なんかでよく見かけますね。
国交を断絶すれば双方に多大な損害が出るのですが、それを分かっているのか分からないのか、「断絶しても日本は困らない」なんてビックリするような言動を平気で書き込みますね。
「国交断絶」「韓国はウソつき」「朝鮮に帰れ」などと、馬鹿の一つ覚えのように繰り返し投稿する人は、一体どのような頭の構造をしているのか? いつも不思議です。
1億2千万人もの中には、こんなヘンテコリンで極端な人間がいるものだ、ということですかねえ。