日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(2) ― 2022/04/11
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114 の続きです。
日本の朝鮮半島や台湾に対する統治は、実は、同じ時期に欧米諸国が行なっていた「他民族支配型」の植民地支配の在り方を詳しく研究し、これを模倣した結果だった‥‥ 例えば、台湾や朝鮮半島の教育制度の整備に当たった研究者であり、行政官でもあった幣原坦は‥韓国が日本に併合された1910年、欧米諸国においてその植民地における教育制度への調査を行ない、その後の朝鮮半島の教育制度の設計に当たった (86~87頁)
明治の日本人は、植民地への支配の在り方のみならず、全てにおいて西洋列強を模範とし、その経験をモデルとして自らの社会を作り上げていた。 そのような状況下で、朝鮮半島や台湾における支配の在り方だけが、西洋列強のそれと大きく異なるものとなることは、最初から考えられないことだったのである。 結果として、教育、法制度、経済等々の全てにおいて、日本の朝鮮半島や台湾における統治は、当時の世界のトレンド(趨勢)を忠実に追うものとなっていた。(87頁)
日本は明治以来、先進国の欧米に学び、富国強兵に励みました。 日本の国造りのモデルは、あくまで欧米にあったのです。 ですから植民地支配でも欧米に倣うことは、ごく自然な流れでした。 つまり日本の朝鮮・台湾支配は大きくは欧米を見本として遂行し、そこに日本独自のやり方を少し加味したと言えるのです。 やはり“欧米諸国の植民地とは違う”という主張には無理があります。
植民地での経済開発は、19世紀後半以降の西洋列強の植民地支配の大きなトレンドであり、各国の植民地では活発なインフラ整備やプランテーションの設置が行なわれていた。 単純な収奪により利益を上げるのではなく、積極的な投資により植民地経済を大きくし、これによりさらに大きな経済的利益を獲得するのが目的である。(87~88頁)
単純な収奪による利益が一過性のものに過ぎないのに対し、投資を行ない、その経済の拡大により得られる利益は、持続性があり、将来に向けてさらに利益を大きくしていくことができるからである。 その結果こそが‥‥多くの植民地での急速な人口増加や、経済成長にほかならなかった。(88頁)
植民地における開発には費用がかかり、結果として、中央政府と植民地政府の財政的関係は、中央政府側の赤字になることとなった。 これまた日本のみならず、ほとんどの宗主国と植民地の間に見られた現象である。(88頁)
ここは朝鮮近代化をどう考えるか、論争になる部分ですね。 鉄道・道路・港湾などの交通網整備や鉱山・水力の開発等々、日本は朝鮮を近代化しようと多額の資金を投入してインフラ整備を進めました。 これは欧米の植民地での近代化と軌を一にするものでしたが、植民地支配を受ける側からみれば、「そんなものは搾取・収奪でしかない、近代化の恩恵はなかった」となります。
国連が1960年に植民地独立付与宣言を出してから、植民地は不法不当であることが国際的な認識となりました。 それを契機に主にアフリカ大陸で多くの植民地が独立し、主権国家となりました。 搾取・収奪論ならば、独立すれば「搾取・収奪」が止むのですから、アフリカのこれらの国は豊かになるはずです。 しかし実際はそうならず、国は更に貧しくなり、治安が大いに乱れました。 果たして植民地の搾取・収奪論が正しかったのか、疑問になります。
これは朝鮮でも同じでした。 1945年に日本の植民地から解放されてから、韓国では飢饉が訪れ不安定な国になりました。 もう一方の北朝鮮は経済破綻状態の道を歩み、ソ連や中国の支援がなければ立ち行かない国になりました。 日本の植民地支配が「搾取・収奪」であるなら、独立すれば朝鮮で生産された富は朝鮮内に留まって豊かになるはずですが、南北ともそうはならず、最貧国に数えられるようになったのです。
韓国が経済発展して豊かな国になったのは、解放後15年以上も経った朴正熙大統領の時代からです。 ですからそれまでの15年間の韓国は国造りに失敗したと言えるし、またそれは1960年の植民地独立付与宣言以降のアフリカ諸国と同じだった、と評価できるでしょう。
ところで、ここまでは木村幹さんの解説に説得力があり、私も賛同するところです。 しかし次の部分では、疑問を抱きました。
第一次世界大戦にいて多大な負担を強いられた西洋諸国では、植民地からの人的動員が行なわれ、多くの人々が兵士や労働者として動員された。 当然のことながら、動員を円滑にするためには、その対価として彼らにより多くの権利を与えざるを得ず、また宗主国人とともに戦い労働するために、現地住民への積極的な同化政策が行なわれるようになった。(89頁)
西洋列強において、軍隊では植民地出身の将校が出現するようになり、議会においても例外的な存在ながら、植民地出身の議員が登場するようになるのも、正にこの時代なのである。(89頁)
「現地住民への積極的な同化政策」は疑問です。 第二次世界大戦時において、西洋諸国本国の白人たちが植民地住民である黒人や黄色人種たちを「同化」させようとしたのかどうかという点です。
私の狭い範囲の知識では、当時の白人たちは有色人種と自分たちが「同化」して一つになるなんて思いも寄らなかったはずです。 果たして、白人の西洋諸国が有色人種の植民地に「積極的な同化政策」を行なったのかどうか、疑問を抱くところです。
「軍隊では植民地出身の将校が出現するようになり」は、ビルマがイギリスの植民地であった時代にそんな例があったようです。 ただ疑問があります。 戦場では軍隊は生死を共にするので、例えば戦線において上官が「突撃!」と叫んで最初に飛び出すと、続いて部下の兵士たちがその後に続きます。 しかし果たして植民地出身の有色人種の上官に、本国出身の白人部下たちが付いていったのかどうか。
日本の敗戦後、日本人は進駐してきた連合国の軍人たちを直接見ることになります。 その時の黒人兵士の処遇の話を聞いたことがあるのですが、黒人は白人と差別なく対等であったのか、つまり「同化」なんてあり得たのか、と思わざるを得ません。 すると西洋諸国が「(植民地の)現地住民への積極的な同化政策が行なわれるようになった」と、果たして言えるのでしょうかねえ。
「同化」に対する認識の違いがあるのかも知れませんが、木村幹さんの記述に疑問を抱いたところです。
なお日本人と朝鮮人は同じ黄色人種で、欧米の植民地の多くで人種の違いが際立つのと違っています。 この点で、日本の朝鮮植民地支配において「皇民化政策」を施行したのは、欧米と違った独特な部分と言えるのではないかと思います。
日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114