「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2)2022/06/14

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623 の続きです。

 1987年の民主化宣言により、韓国は「民主化」されたと言われました。 しかしその民主化勢力であった野党は分裂を繰り返して政権を奪えず、軍人であった盧泰愚が政権を担ってしまいました。 しかし、やがて野党民主化勢力が主導権を握ります。

1990年には与党が金泳三氏(野党民主化勢力の代表的人物)を迎え入れることによって、政界は旧野党勢力によって牛耳られることになった。 「例外」の時代は完全に終わったのである。 ここでまた錯覚が生じた。 軍人政権が退場し「例外」から「通常」へ推移する過程を、民主抵抗の勝利、つまり民主化の進展と見る錯覚である。 これは日本人にも当事者である南北朝鮮側にもよくある願望をこめた錯覚である。(11頁)

野党勢力が民主化を旗印にして、権力に抗議し抵抗してきたのは事実である。 しかし民主化を唱える人がすなわち民主主義者というものではない。 われわれは(1980年代)に、どういう光景が現出したかを知っている。 日本のテレビでもよく映されたが、権力の暴力を糾弾し民主化を絶叫していたはずの両金氏(金大中と金泳三)の支持者たちが、角材を振り回して争ったり、石や火炎瓶で反対候補の演説を妨害したりする暴力シーンがひんぱんに起こっていた。 それが政界の一部の現象にとどまらず、社会全体に「民主勢力が強圧的に振舞う」という言語矛盾的な現象を生み、民主主義の核心ともいうべき言論の自由が脅かされる、という事態まで生じた。(11~12頁)

野党勢力が韓国政治の全面を塗りつぶすようになるとしても、それをただちに民主化の成果というのは、きれいごとに過ぎよう。‥‥ 朴正煕大統領の死後、韓国政治のたどった道は‥‥民主化の進展というものではない。それは「通常」に復したのである。(12頁)

 今回のブログで引用している田中氏の著作は1992年の発行ですから、「例外」から「通常」に戻ったところで終わっています。

 この続きを言えば、「権力の暴力を糾弾し民主化を絶叫し」ながら「角材を振り回して争ったり、石や火炎瓶で反対候補の演説を妨害したり」した人たちが後に「586運動圏」「進歩」と呼ばれるようになります。 そして彼らは政治家となって盧武鉉・文在寅政権に参入し韓国の政治を押し進めた、という流れになります。

 田中氏によれば、この盧・文政権時代が韓国の「通常」の姿ということになります。 しかしだからと言って李明博・朴槿恵政権時代が「例外」なのかと問われれば、単に進歩に対する反発でしかないように思われますので、私には「???」と疑問符がたくさんつきますね。 田中氏がもしまだご存命なら、今度の尹錫悦政権も含めて「例外」ですかと聞いてみたいです。(終わり)

「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623