韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(3)2022/07/05

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/28/9504029 の続きです。

 小倉さんは、韓国と日本とでは「道徳」「法」が違うと論じます。

「道徳」「法」などという語彙を日本語と韓国語は共有しているが、これらが「両社会で同じ意味内容を持つ」と誤解するとき、日韓の対立が大きくなる(28頁)

 「道徳(도덕)」や「法(법)」、日本と韓国とでは同じ言葉を使っていても、内包している意味が違うのです。 朝鮮人と日本人は区別がつかないほどによく似た人種ですが、歴史も文化も違う民族です。 この二つの民族が同じ釜の飯を食って運命を共にしたのは、植民地時代の35年間だけです。 それ以前の数千年間、そしてそれ以後の数十年間は別社会として両民族は過ごしました。 従ってたとえ同じ言葉でも意味が違うのは、もう当たり前でしかありません。 それを同じだと思い込んで話し合えば、違和感さらには葛藤するのは当然です。 

「日本では法が重視され、韓国では道徳が重視される」という認識‥‥ この場合に、韓国に対する蔑視や軽視の視線は介在していない。(31頁)

 小倉さんは日本の法重視と韓国の道徳重視を並べて、韓国は間違いで日本の方が正しく優れていると考えることは危険だと忠告します。

ところが日本の嫌韓派は、この認識をよりどころにして、韓国蔑視をしている。 これが危険なのだ。‥‥ 「日本と違って韓国の民主主義は法を軽視するのでレベルが低い」と単純に考えるのは危険だ。(31~32頁)

 なぜ危険か。 世界標準的(グローバルスタンダード)に見ると、日本は韓国に完敗する可能性があるからです。

韓国の法的な交渉力は、グローバルスタンダードに照らし合わせて、きわめて高いレベルにあるのである。徴用工や慰安婦の問題に関しても、国際司法裁判所などの法的判断にゆだねれば日本の主張が必ず認められる、と日本政府や保守派は考えているのかも知れないが、それは甘い。 むしろ日本が完敗する可能性すらある。 その理由は、日本のリーガル(合法性とか順法とかの意味)精神よりも韓国のそれのほうがずっと進んでいるからだ。(32~33頁)

たとえば日韓基本条約と請求権協定、慰安婦合意などに対して「合意は拘束する=守られなければならない」という原則論のみを押しの一手で主張しても、負けるときは負ける。(33~34頁)

慰安婦問題に関する韓国の地裁判決に対して「主権免除の原則(外国の主権的行為に対する損害賠償は認めることはできない)」のみを唱えても、負けるときは負ける。(34頁)

 なぜ負ける可能性があるのか。 それは、今の世界では「正義を取り戻そうとする潮流」が展開されているからだと小倉さんは説きます。

19世紀から20世紀前半にかけて支配と被害を受けた側がいま、正義を取り戻そうとする潮流がグローバルに展開しており、国際的な司法もそれに呼応しつつある。 つまり法の世界がいま、「正義の回復」というメガ・イシューをめぐって攻防している。 これは、政治学・政治思想・法学などの世界で「移行期正義」といわれている概念とリンクした動きだ。(35頁)

独裁や強権支配や紛争状態から解放されていく過程において、どの国も統治権力によっておびただしい人権蹂躙や暴力が行使されてきた。 その犠牲をそのままにせず、過去に踏みにじられた人権の回復を目指そうというのが「移行期正義」である。 正義を取り戻す際に、政治や法を道徳的な要求に呼応できるものにかえていかなくてはならない。 「法の道徳化」という現象がグローバルなレベルで起こっているのだ。 これは韓国人がもっとも得意とするベクトルである。(35~36頁)

 「日本の法」「韓国の道徳」という言葉で論じてきましたが、小倉さんは世界では「法の道徳化」現象が起きていると説きます。 そしてそれは、「韓国人が最も得意とする」ところなのです。 

 日本が韓国に「約束を守れ!」「法に従え!」と要求することは我々から見れば正当なのですが、世界の「法の道徳化」の動きのなかでは日本が世界の理解を得られるとは限らない、ということになります。 韓国の「道徳性優位論」の方が世界的に認められる可能性があるのです。 そう、わが日本が正しいのだと思って油断していてはいけないのです。 韓国側の考え方を常に分析・研究して知っておかねば、「負けるときは負ける」のですから。(終わり)

【追記】

 小倉紀蔵さんは韓国について以上のように鋭い分析をしていますが、一方ではかなり疑問なこともたくさん発言しておられます。 今回紹介した『韓国の行動原理』(PHP新書)でも、何故こんなことを言うのだろう、余りにも理解できないという箇所が多いです。

拙ブログでは小倉さんについて、4年ほど前ですが、下記のように疑問を論じました。

小倉紀蔵さんの疑問な発言   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/09/13/8959634

【拙稿参照】

韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/21/9501927

韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/28/9504029

「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298

李朝の「両班」理念が復活した韓国(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/24/9493453

李朝の「両班」理念が復活した韓国(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/31/9495653

「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623

「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/14/9499717

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186

「朝鮮部落」の思い出(1)2022/07/12

 「朝鮮人集中地区」は40年ほど前までは「朝鮮部落」と呼ばれていました。 今は「部落」が差別語扱いされていますが、私には耳慣れた「朝鮮部落」を使います。

 朝鮮部落は全国各地に散在していました。 有本匠吾が放火した京都ウトロ地区も、典型的な朝鮮部落の一つですね。    私は幾つかの朝鮮部落、およびそこの住民を知っていたので、思い出があります。 それを話そうと思うのですが、私の狭い範囲での話であることを念頭に入れておいて下さい。

 朝鮮部落にはいくつか種類がありました。 一つは河川敷に形成されたものです。 大きな川の河川敷に、バラック小屋が不法占拠で立ち並ぶものです。 1960年前後に伊勢湾や第二室戸という大型台風が相次いで来襲し、この朝鮮部落も大きな被害を受けたため、問題になりました。 この災害を契機に、市当局が河川外の土地や借家を斡旋するなどして転居を促し、やがて消滅しました。 今は河川敷の朝鮮部落は、全国的に見てもほとんどないのではないでしょうか。

 その当時ここで育った朝鮮人から思い出話として、級友から「お前、あの川に住んでいるのか?」と聞かれて、「アホか!川なんかに住めるわけがないだろ!」と言い返した、 しかしそこを引っ越してから、一般の人は河川敷も含めて「川」と言うことを初めて知ったと話してくれました。 「あの時は河川敷に住んでいたから『川』といったら水の流れている所を指すのであって、そんな所に住めるわけがないのに何を言うのかと思っていた、しかし周囲の人は堤防の内側がすべて『川』なんやねえ。」

 なお河川敷の朝鮮部落は、朝鮮人だけでなく日本人も住んでいました。 戦後の混乱の中、住む場所がなくて彷徨った末に河川敷に住みついたという日本人は意外と多かったのです。 1960年前後の台風災害を契機に市当局が問題解決に動いたのは、日本人の存在があったからではないかと思うのですが、どうなんでしょうかねえ。

 もう一つの例として、戦時中に大規模土木工事等に動員された朝鮮人が、戦後もそのまま住み続けて朝鮮部落となったというのがあります。 京都ウトロ地区もその例ですね。

 某空港に隣接する朝鮮部落もこんな経緯で形成されたようです。 敷地は国有地で、法的には不法占拠となります。 ですから土地の掘削ができません。 ということは水道管の敷設が出来ないということです。 ここで生まれ育った朝鮮人から、水道がないからずっと井戸で水を汲んでいた、住環境が余りに劣悪だということで市当局の力で水道が入ることになった、しかし水道の水は不味いし値段が高い、と嘆く話を聞きましたねえ。 それでも衛生面と防災面(消火栓が設置された)で少しは安心できるようになったそうです。 

 朝鮮部落でも住民は結構出入りがあります。 そうするとバラック小屋のような家でも売買されます。 その際に土地の境界をはっきりさせねばなりません。 そこで朝鮮部落内では境界杭が設置されるようになったそうです。 え!そこは国有地で不法占拠だろ?他人の土地なのになぜ個人が勝手に境界杭を打つんだ? こんな疑問を抱きつつ、朝鮮部落も歴史を重ねるとこういう状態になるものなのだなあと、妙に感心した次第。

 朝鮮部落内にある焼肉屋で飲んでいた時、そこで生まれ育った人と話がはずみました。 昔はタクシーがここには来てくれないという話を聞いたのですが本当ですか?と聞きました。 するとその人が、中学か高校ぐらいの時にタクシーが入ってきたので、みんなで取り囲んでそのタクシーをばんばん叩いたり蹴ったりしたことがあった、そのタクシーはビックリして行ってしまって、それからこの部落にはタクシーが来なくなった、もし駅からここに行ってくれと言ったら、部落のずっと手前で下ろされて、歩いて行ってくれと言われるようになった、という昔話を聞かされました。 その年代を測ってみると、1960年代でした。

 以上は周囲の住宅地より少し隔絶した位置にある朝鮮部落です。 それ以外に住居が密集する都市部にも、その一角に朝鮮部落がありました。 ここも劣悪な住居が十数軒くらい集まっており、トイレは共同トイレです。 ですから朝はトイレの前にずらりと並んで待たねばなりません。 お腹の調子が悪くてトイレで長居すると、凄まじく怒られるといいます。

 また朝鮮部落からはニンニクなどの強烈な臭いが流れてくるし、派手な夫婦喧嘩を恥かしげもなく見せたり、そして道行く日本人を険しい目付きで見ることがしょっちゅうです。 こういうことは体験者でないと分からないでしょうねえ。 だから日本人はここを避けて通るようになります。 あるいはその道をどうしても通らねばならなかったら、その部分だけを誰にも目を合わさないように足早に通り過ぎます。 そして周囲に住んでいる日本人は、お金ができれば引っ越すようになります。

 朝鮮部落の人たちは、自分たちが日本人に嫌われていることを実感します。 なお繰り返しますが、これは何十年も昔の話で、現在のことではないことを念頭に入れてください。

「朝鮮部落」の思い出(2)2022/07/19

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262 の続きです。

 朝鮮部落は法的に不法占拠となっている場合が多いです。 しかしそこでは多くの人が家庭を営み、子供を育てていますから、強制退去は難しいです。 ところが強制退去させるチャンスがたまにあります。 それは火事です。

 朝鮮部落に火事が起きると、地主(国有地なら国)はすぐさま裁判所に立ち入り禁止の仮処分を申請します。 仮処分が決まって裁判所の執行官が仮処分の命令書を持って朝鮮部落の火災現場に現れるのは、翌日の朝です。 ですから焼け出された住民はみんなと協力して徹夜して家を再建し(雨風を防ぐ屋根と壁さえあればいい)、執行官が来た時には布団で寝ながら「私はこの通りここに住んでいます」と主張するのです。 執行官はそのような人を強制退去させて路頭に迷わせることは出来ず、諦めて帰るしかありません。 このようにして朝鮮部落の生活は、火事という危機を乗り越えて維持されてきたのでした。

 当時、朝鮮人たちは何故そんな劣悪な住環境を我慢していたのか、 彼らが言っていたことを思い出します。 この日本にはお金を儲けるために住んでいる、お金を貯めていずれ朝鮮に帰るつもりだから家は雨風を防いで最小限のものがあればいい、家にお金をかける必要はない、ということでした。 

 つまり住環境をよくしようという気がなかったのでした。 ですから、朝鮮人たちにとって朝鮮部落は愛着のある場所ではありませんでした。 少なくとも級友や同僚らに、良かったら遊びにおいでと気軽に言えるような場所ではなかったのでした。

 以上は朝鮮部落について、もう何十年も昔の思い出です。 朝鮮人と周囲の日本人とは緊張関係にあり、隣人として仲良く付き合うなんて考えられなかった時代でした。

 ところで話は飛びますが、それより数十年もさかのぼる植民地時代の朝鮮では植民者の日本人が隣の朝鮮人と家族ぐるみの付き合いをし、娘がその朝鮮人の家でキムチを一緒に漬けて作り方を覚えてきたというような話を複数で聞いたことがあります。 戦後日本に引き上げて周囲に朝鮮人が全くいない地域に住みながらも当時を思い出して本格キムチを漬けてきたというのですが、その話を聞いた時はビックリしましたねえ。 朝鮮人と日本人との関係は、戦前は良好だったが、戦後になって悪くなったと言えるのかも知れません。

 私には以上のような思い出がありますから、京都ウトロ地区では朝鮮部落を保存し、記念館を建てるということに違和感を持ちました。 ウトロ地区の朝鮮人たちは自分たちが生活した地区(部落)に愛着があったということなのだろうか? 粗末な自分の家を見せて恥ずかしいと思わなかったのだろうか? 周囲の日本人から厳しい目で見られた記憶がよみがえらなかったのだろうか? 

 ここでムクッと思います。 差別問題を訴える時に、被差別者がこれほど苦労しているんだということを見せるために、その惨めな生活を多くの人にさらけ出すことがあります。 そうすることによって、みんなの同情を喚起し関心を集めようとするわけです。 そういう方向に一旦走り出すと、被差別者は自分たちが悲惨であればあるほど周囲から同情されるのが当然だと考えるようになります。 そして自分たちの実際に体験してきた惨めな生活を見ず知らずの人たちに平気で見せることに、ためらいがなくなります。

 このような差別問題の扱い方が、在日朝鮮人の間にも広がっているのだろうか。 そう言えば、在日は日本の植民地支配によって無理やり連れて来られ、解放後も日本社会と政府から差別と抑圧を受けてきた、という被害者性ばかりを強調する本が多いですねえ。 (終わり)

【拙稿参照】

「朝鮮漬け」の思い出(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/17/9327581

「朝鮮漬け」の思い出(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/22/9329211

マッコリ(タッペギ)とシッケ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/28/9331179

「朝鮮部落」の思い出(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262

「同性婚」について雑感2022/07/24

 これまでとは違う話題で、私のただの呟きです。 

 このごろマスコミでよく取り上げられるのが「同性婚」です。 同性婚を認めろ!という主張ですね。 これについて私の感想(つぶやき)を書きます。

 まず「婚」という漢字は「男女(異性)が夫婦になる」という意味です。 従って「同性婚」というのは言葉自体が矛盾しています。 ですから「同性婚」という言葉が適切なのかどうか、最初に疑問を感じるところです。

 次に、同性が婚姻関係を結ぶ「同性婚」は近年までなかったことで、同性愛の延長として最近になって出てきた風潮ではないかと考えます。

 同性愛は世界的に古くからあるものです。 例えば戦争に赴く戦士が戦友・同志との関係を深めて同性愛に行くことは珍しくなかったし、それを称賛するような風潮の国もあったと聞きます。 しかしこれはいわゆる「義兄弟の契り」とほとんど同じで、婚姻と言うことは出来ません。 婚姻は男女で行なうものでした。

 日本でも男性間の同性愛は江戸時代に盛んで、朝鮮通信使は来日した際にこれを見聞して驚いています。 しかしこれも婚姻まで行きません。 婚姻はやはり男女に限られています。

 歴史的に見て、やはり「同性婚」は最近に出てきた風潮と言わざるを得ないですね。

 次に2022年7月22日付けの毎日新聞社説 https://mainichi.jp/articles/20220722/ddm/005/070/127000c にあるように、多様性のある社会のために「同性婚」を法制化せよ、という有力な主張があります。

どうすれば多様性のある社会を実現できるか。同性カップルの権利を守ることは、そのための大切な取り組みだ。

 これが私には理解できません。 社会(家族を含む)の「多様性」を言うのなら、あらゆる婚姻形態をも認めるということになるのではないか、という点です。 具体的に言うと、一夫多妻制も公的に認めていいということなのか、ということです。

 一夫多妻は、現在は日本を含めて多くの国で法的に認められていません。 しかし歴史的にみて、一夫多妻は全世界で古くからあるものです。 「多妻」は、正妻の他は「側室」「妾」「第二夫人」などと呼ばれます。 一夫多妻は何千年以上も続いて存在してきたものであり、現在でも私的に実践している人がいます。 これも家族の形態の一つですから、「多様性」を言うなら、一夫多妻も認めなければならないでしょう。 つまり「同性婚」は社会の多様性のために法的に認めよと主張するなら、一夫多妻も法的に認めろという主張が成立することになります。

 家族の多様性を一旦認めてしまうと、あらゆる家族の在り方を認めねばなりませんから、二人だけの同性婚に止まらず、三人以上の同性婚、そして一夫多妻、多夫多妻、多夫一妻にまで広がるのではないかと思います。 つまり家族とは何でもありで、混乱して収拾がつかない状態になるでしょう。 従って「多様性」を理由とする主張は、不適切だと考えます。  

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 これが憲法に定める婚姻です。 どう読んでも「同性婚」は見当たりません。 しかしだからと言って「同性婚」を禁止しているものでもありません。 婚姻は「両性の合意のみによって成立」するものであって、これだけが憲法が定めるところの婚姻です。

 つまり、「同性婚」は禁止されていないが、憲法上の婚姻ではないということです。 あえて言うなら、憲法第21条の「結社の自由」ですね。 同性が家族のような共同体社会をつくるというのなら、憲法の「結社」としてのみ認められるでしょう。 ただし、それはあくまで婚姻ではありません。

 「同性婚」を法的に認めようとするなら、今のところ憲法の枠外で定めるしかないでしょう。 果たしてそれが可能なのかどうか、私には分かりません。 憲法を改正して、婚姻の定義と範囲を明確にするのが一番すっきりすると思うのですが、どうなんでしょうかねえ。

 今回は現在話題になっている「同性婚」について、少し呟いてみました。

【拙稿参照】

馴染めないジェンダー論  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuusandai

仏が日本女性に逮捕状―離婚と親権について https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/12/04/9445288

在日の協議離婚        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/29/425590

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(1)2022/07/30

 7月7日付け『ハンギョレ新聞』に、「ウトロの『80年闘争史』、20年訪ね歩いて記録」と題する記事がありました。 副題は「在日コリアンの中村一成さん|ジャーナリスト」です。   https://japan.hani.co.kr/arti/politics/43977.html  https://news.yahoo.co.jp/articles/5c5dbc2c94688c1d76a58f32cc7f446e044449f7

 一読して、中村さんは在日についてかなり昔の考え方をしているのだなあ、と思いました。 これには私はちょっと一言付さなければならない、と考えました。 まずは彼の発言から見ていきます。 発言は記事内でカッコ書きしている部分です。

日本で在日朝鮮人はいまも植民地の国民という差別と抑圧の中で生きています。韓日両国から背を向けられた在日朝鮮人の勝利を象徴するウトロを忘れてはなりません。

 1970~80年代、民族差別と闘う運動が盛んだった時期には、こんなことを主張する活動家が多かったなあと思い出させてくれました。 しかしそれから在日は、1982年の難民条約締結により福祉面での差別はほとんどなくなり、1991年の特別永住制度を定めた特例法により特段に恵まれた在留資格を得て、指紋押捺義務もなくなりました。

 このように在日への差別はどんどん解消していきました。 そして今の在日は日本に在住する外国人として、もうこれ以上はないと言えるくらいに優遇された法的地位にあります。

 その理由は、在日はかつて「植民地の国民」だったからです。 つまり今の恵まれた地位はかつて「植民地の国民」だったという歴史的経緯から発生しているのです。 そうであるのに中村さんが「いまも‥‥差別と抑圧の中で生きている」というのは、一体どういうことなのでしょうか? おそらくは、在日はいつまでも「差別抑圧」された惨めな存在であらねばならない、というイデオロギーから来ているのではないかと思います。 

 「韓日両国から背を向けられた在日朝鮮人」とは、どういう意味なのか分かりかねるところです。 在日は韓国からは在外国民として位置づけられており、所定の手順を踏めば韓国のパスポートの発給を受けて海外旅行に行くことが出来ます。 また日本からは上記のように非常に恵まれた法的処遇を受けています。 これで何故「日韓両国から背を向けられた」なのか??? ビックリですね。

在日朝鮮人は日本で一番低い位置にいた。外国から帰ってくると再入国許可を受けなければならず、就職でも差別を受ける。最近は右翼団体の攻撃に苦しんでいる

 「日本で一番低い位置」って何でしょうねえ。 どこの国も同じと思いますが、外国人は政治分野で高い地位に就くことがあり得ないので、経済分野で成功して富裕になって高い地位を目指すものです。 この点で在日は成功した人が多いと言えます。

 一番の成功者は、昔は“東のロッテ、西の阪本紡績”と言われました。 ロッテは知らない人がいないくらい有名ですが、阪本紡績はもう大部分の人が知らないでしょう。 1950~60年代に大阪で高額納税者(長者)番付トップだった徐甲虎(日本名は阪本栄一)が経営した紡績会社です。 

 この二つが在日で大成功を収めた両雄なのですが、それ以外にもかなりの成功を収めて、それなりの会社となっているところも多いです。 在日は就職が難しかったですから自ら事業を興す自営業が多く、それが1960年代の高度経済成長に乗って成長したのです。 これは当時、韓国民団や朝鮮総連の商工会の盛行ぶりからも知ることができました。

つまり当時の在日は、一方では経済的に成功して裕福な人がいて、他方では就職できずに日雇い労働等で貧困な生活を送るしかない人も多かった、というのが現実でした。 つまり現在風に言うと、ジャパンドリームを実現した人とそうでない人とが両極化していたなあと思い出されます。 それはともかく、人口50~60万人くらいの在日からすれば、成功者の割合が高かったと考えているのですが、どうなんでしょうか。

 以上は20世紀の在日でしたが、21世紀の日本では在日が一番の成功をおさめた企業は何といってもソフトバンクでしょう。 ただソフトバンクは民団や総連の商工会とは関係がなく、独力で会社を立ち上げて発展させてきました。 また昔のロッテや阪本紡績のように、祖国に貢献することは考えてこなかったようです。

 従ってソフトバンクは社長の孫正義さんがたまたま在日であったというに過ぎず、民族的な意味を含む「在日企業」とは言えません。

 在日が日本から「差別抑圧を受けている」なんて、もはや言うべきものではありません。 在日の若者には、もはや差別抑圧はなくなっているので、第二の孫正義を目指して頑張ってくださいと言いたいものです。 (続く)

【拙稿参照】

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/25/8603941