「朝鮮部落」の思い出(1) ― 2022/07/12
「朝鮮人集中地区」は40年ほど前までは「朝鮮部落」と呼ばれていました。 今は「部落」が差別語扱いされていますが、私には耳慣れた「朝鮮部落」を使います。
朝鮮部落は全国各地に散在していました。 有本匠吾が放火した京都ウトロ地区も、典型的な朝鮮部落の一つですね。 私は幾つかの朝鮮部落、およびそこの住民を知っていたので、思い出があります。 それを話そうと思うのですが、私の狭い範囲での話であることを念頭に入れておいて下さい。
朝鮮部落にはいくつか種類がありました。 一つは河川敷に形成されたものです。 大きな川の河川敷に、バラック小屋が不法占拠で立ち並ぶものです。 1960年前後に伊勢湾や第二室戸という大型台風が相次いで来襲し、この朝鮮部落も大きな被害を受けたため、問題になりました。 この災害を契機に、市当局が河川外の土地や借家を斡旋するなどして転居を促し、やがて消滅しました。 今は河川敷の朝鮮部落は、全国的に見てもほとんどないのではないでしょうか。
その当時ここで育った朝鮮人から思い出話として、級友から「お前、あの川に住んでいるのか?」と聞かれて、「アホか!川なんかに住めるわけがないだろ!」と言い返した、 しかしそこを引っ越してから、一般の人は河川敷も含めて「川」と言うことを初めて知ったと話してくれました。 「あの時は河川敷に住んでいたから『川』といったら水の流れている所を指すのであって、そんな所に住めるわけがないのに何を言うのかと思っていた、しかし周囲の人は堤防の内側がすべて『川』なんやねえ。」
なお河川敷の朝鮮部落は、朝鮮人だけでなく日本人も住んでいました。 戦後の混乱の中、住む場所がなくて彷徨った末に河川敷に住みついたという日本人は意外と多かったのです。 1960年前後の台風災害を契機に市当局が問題解決に動いたのは、日本人の存在があったからではないかと思うのですが、どうなんでしょうかねえ。
もう一つの例として、戦時中に大規模土木工事等に動員された朝鮮人が、戦後もそのまま住み続けて朝鮮部落となったというのがあります。 京都ウトロ地区もその例ですね。
某空港に隣接する朝鮮部落もこんな経緯で形成されたようです。 敷地は国有地で、法的には不法占拠となります。 ですから土地の掘削ができません。 ということは水道管の敷設が出来ないということです。 ここで生まれ育った朝鮮人から、水道がないからずっと井戸で水を汲んでいた、住環境が余りに劣悪だということで市当局の力で水道が入ることになった、しかし水道の水は不味いし値段が高い、と嘆く話を聞きましたねえ。 それでも衛生面と防災面(消火栓が設置された)で少しは安心できるようになったそうです。
朝鮮部落でも住民は結構出入りがあります。 そうするとバラック小屋のような家でも売買されます。 その際に土地の境界をはっきりさせねばなりません。 そこで朝鮮部落内では境界杭が設置されるようになったそうです。 え!そこは国有地で不法占拠だろ?他人の土地なのになぜ個人が勝手に境界杭を打つんだ? こんな疑問を抱きつつ、朝鮮部落も歴史を重ねるとこういう状態になるものなのだなあと、妙に感心した次第。
朝鮮部落内にある焼肉屋で飲んでいた時、そこで生まれ育った人と話がはずみました。 昔はタクシーがここには来てくれないという話を聞いたのですが本当ですか?と聞きました。 するとその人が、中学か高校ぐらいの時にタクシーが入ってきたので、みんなで取り囲んでそのタクシーをばんばん叩いたり蹴ったりしたことがあった、そのタクシーはビックリして行ってしまって、それからこの部落にはタクシーが来なくなった、もし駅からここに行ってくれと言ったら、部落のずっと手前で下ろされて、歩いて行ってくれと言われるようになった、という昔話を聞かされました。 その年代を測ってみると、1960年代でした。
以上は周囲の住宅地より少し隔絶した位置にある朝鮮部落です。 それ以外に住居が密集する都市部にも、その一角に朝鮮部落がありました。 ここも劣悪な住居が十数軒くらい集まっており、トイレは共同トイレです。 ですから朝はトイレの前にずらりと並んで待たねばなりません。 お腹の調子が悪くてトイレで長居すると、凄まじく怒られるといいます。
また朝鮮部落からはニンニクなどの強烈な臭いが流れてくるし、派手な夫婦喧嘩を恥かしげもなく見せたり、そして道行く日本人を険しい目付きで見ることがしょっちゅうです。 こういうことは体験者でないと分からないでしょうねえ。 だから日本人はここを避けて通るようになります。 あるいはその道をどうしても通らねばならなかったら、その部分だけを誰にも目を合わさないように足早に通り過ぎます。 そして周囲に住んでいる日本人は、お金ができれば引っ越すようになります。
朝鮮部落の人たちは、自分たちが日本人に嫌われていることを実感します。 なお繰り返しますが、これは何十年も昔の話で、現在のことではないことを念頭に入れてください。