「同性婚」について雑感 ― 2022/07/24
これまでとは違う話題で、私のただの呟きです。
このごろマスコミでよく取り上げられるのが「同性婚」です。 同性婚を認めろ!という主張ですね。 これについて私の感想(つぶやき)を書きます。
まず「婚」という漢字は「男女(異性)が夫婦になる」という意味です。 従って「同性婚」というのは言葉自体が矛盾しています。 ですから「同性婚」という言葉が適切なのかどうか、最初に疑問を感じるところです。
次に、同性が婚姻関係を結ぶ「同性婚」は近年までなかったことで、同性愛の延長として最近になって出てきた風潮ではないかと考えます。
同性愛は世界的に古くからあるものです。 例えば戦争に赴く戦士が戦友・同志との関係を深めて同性愛に行くことは珍しくなかったし、それを称賛するような風潮の国もあったと聞きます。 しかしこれはいわゆる「義兄弟の契り」とほとんど同じで、婚姻と言うことは出来ません。 婚姻は男女で行なうものでした。
日本でも男性間の同性愛は江戸時代に盛んで、朝鮮通信使は来日した際にこれを見聞して驚いています。 しかしこれも婚姻まで行きません。 婚姻はやはり男女に限られています。
歴史的に見て、やはり「同性婚」は最近に出てきた風潮と言わざるを得ないですね。
次に2022年7月22日付けの毎日新聞社説 https://mainichi.jp/articles/20220722/ddm/005/070/127000c にあるように、多様性のある社会のために「同性婚」を法制化せよ、という有力な主張があります。
どうすれば多様性のある社会を実現できるか。同性カップルの権利を守ることは、そのための大切な取り組みだ。
これが私には理解できません。 社会(家族を含む)の「多様性」を言うのなら、あらゆる婚姻形態をも認めるということになるのではないか、という点です。 具体的に言うと、一夫多妻制も公的に認めていいということなのか、ということです。
一夫多妻は、現在は日本を含めて多くの国で法的に認められていません。 しかし歴史的にみて、一夫多妻は全世界で古くからあるものです。 「多妻」は、正妻の他は「側室」「妾」「第二夫人」などと呼ばれます。 一夫多妻は何千年以上も続いて存在してきたものであり、現在でも私的に実践している人がいます。 これも家族の形態の一つですから、「多様性」を言うなら、一夫多妻も認めなければならないでしょう。 つまり「同性婚」は社会の多様性のために法的に認めよと主張するなら、一夫多妻も法的に認めろという主張が成立することになります。
家族の多様性を一旦認めてしまうと、あらゆる家族の在り方を認めねばなりませんから、二人だけの同性婚に止まらず、三人以上の同性婚、そして一夫多妻、多夫多妻、多夫一妻にまで広がるのではないかと思います。 つまり家族とは何でもありで、混乱して収拾がつかない状態になるでしょう。 従って「多様性」を理由とする主張は、不適切だと考えます。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
これが憲法に定める婚姻です。 どう読んでも「同性婚」は見当たりません。 しかしだからと言って「同性婚」を禁止しているものでもありません。 婚姻は「両性の合意のみによって成立」するものであって、これだけが憲法が定めるところの婚姻です。
つまり、「同性婚」は禁止されていないが、憲法上の婚姻ではないということです。 あえて言うなら、憲法第21条の「結社の自由」ですね。 同性が家族のような共同体社会をつくるというのなら、憲法の「結社」としてのみ認められるでしょう。 ただし、それはあくまで婚姻ではありません。
「同性婚」を法的に認めようとするなら、今のところ憲法の枠外で定めるしかないでしょう。 果たしてそれが可能なのかどうか、私には分かりません。 憲法を改正して、婚姻の定義と範囲を明確にするのが一番すっきりすると思うのですが、どうなんでしょうかねえ。
今回は現在話題になっている「同性婚」について、少し呟いてみました。
【拙稿参照】
馴染めないジェンダー論 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuusandai
仏が日本女性に逮捕状―離婚と親権について https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/12/04/9445288