『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(3)2022/08/06

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/03/9514505 の続きです。

 前回は、記事の中で中村さんの発言(カッコ書きされている)部分から、私の抱いた違和感というか疑問を提示しました。 次に記事の地の文から、彼に対する私の感想を書きます。 まずは彼の生い立ちです。

在日2世の韓国人の母親と、日本人の父親の間に生まれた彼は

 生い立ちは、このようにごく簡単に紹介されています。 彼は1969年生まれですから、両親の結婚は1960年代と推定されます。 この時代に、日本人男性と朝鮮人女性の結婚は大変だったろうと想像できます。 なぜなら、どちらも家族・親族から猛反対を受けたでしょうから。

 当時は朝鮮人への差別はすさまじいものでした。 日本人男性がこの人と結婚しますと家族に紹介したら猛烈に反対され、それでも結婚しますと意思を貫いたら、親戚連中に知らせることなく式も挙げなかった、というような話をよく聞いたものです。

 朝鮮人女性の方も、日本人と結婚しますと言えば、これまた猛烈に反対されました。 当時の朝鮮人たちの考えでは、男子が日本の女と結婚するのはまだ許せるが、女子が日本の男と結婚するのは絶対にダメ、というものでした。 1960年代後半頃でしたか、余りの反対に絶望した朝鮮人女性が自殺するという事件が起きました。 このためにこの地域の在日朝鮮人社会では、娘と日本人男性との結婚は最初は一応反対するが、結局は仕方ないと諦めるようになったという実話を聞きました。

 中村さんのご両親はどうだったのか分かりませんが、おそらくは親族・親戚からの祝福を受けずに結婚されたのかなあと想像します。

在日コリアン3世として波風のない人生を送ることができなかった。‥‥彼は幼い頃から母親に向けた父親の差別的な言葉を聞きながら育った

 父母が日本人男性と朝鮮人二世女性で、その間に激しい葛藤があったのですねえ。 父親の母親に対する差別言動、これが彼のアイデンティティに大きな影響を与えたようです。

一時は「朴一成(パク・イルソン)」という韓国名だけを使ったりもしたが、就職する時期には「中村一成(かずなり)」という日本名を使った。毎日新聞記者として働いていた時、多くの在日朝鮮人に会って考えが変わり、自分のアイデンティティを隠さないために両方の言葉の名前を使っている

 中村さんは、アイデンティティに重要な名前をこれほどに変えてきたということです。 当時の戸籍・国籍法からすると、彼は父親の戸籍に入りますから、国籍は日本の単一国籍で名前は父親の「中村」となります。 この父系主義は韓国でも同様で、彼は韓国の法律からしても韓国籍ではあり得ず、名前も母の「朴」ではあり得ません。 北朝鮮も同様です。

 つまり彼のアイデンティティの裏付けとなる国籍と本名(法律名)は、日本でも本国でも、日本国籍の「中村一成」です。 ということは「朴一成」は通名です。 ですから彼は本名と通名の二つにアイデンティティを置いていることになります。

 自分のアイデンティティをどう考え、本名と通名をどう使うかは、本人の自由な選択に任せるべきことです。 ただ在日の中には、本名や国籍を隠そうとする性向が見られるのは残念ですね。 その点、中村さんはそれを隠さずに「両方の言葉の名前を使っている」とありますので、ここは好感を持ちます。

中村さんは、在日朝鮮人は植民地出身という認識がいまも日本国内に広がっていると話した。強制徴用被害者に賠償せよという韓国最高裁(大法院)の判決を日本企業が無視する状況も、同じ理由だと説明した。

 日本側が有している「在日朝鮮人は植民地出身という認識」は「今広がっている」のではなく、1945年の敗戦以降から続いて現在に至っているものです。 これは前記したように、在日には「特別永住」という、他の外国人から比べると特段に恵まれた在留資格を与えていることから、はっきり指摘できます。 在日は植民地出身だからこそ、外国国籍を維持しながら限りなく日本人に近い恵まれた権利を有しているのです。

 「強制徴用被害者に賠償せよという韓国最高裁(大法院)の判決を日本企業が無視する状況も、同じ理由」というのは、いかがなものですかねえ。 文面をそのまま読めば、中村さんは、日本企業は「在日が植民地出身という認識」をすれば韓国の最高判決を受け入れると思っているようです。 あまりに理解し難い内容です。 彼は韓国の反日民族主義に迎合しようとして、ハンギョレ新聞記者にこのように言ったのでしょうかねえ。

 考えてみれば、在日は今や三・四・五世の時代です。 もはや韓国語ができないので、祖国の人とのコミュニケーションがかなり難しいです。 それでも在日が祖国の人と何か共通する感情を持とうとするならば、日本はわが祖国を植民地化して搾取・収奪した、そして今も在日を差別抑圧している‥‥という被害者意識を掲げて日本を糾弾することくらいでしょう。 そしてそれが在日と祖国の人たちが共感を得る、ほとんど唯一の方法になっているのではないかと思います。

 今回のハンギョレ新聞の記事を読みながら、中村さんの発言をハンギョレが記事にしたのは、こういう被害者意識を共有化しようとする意図だろう、という感想を抱きました。 (終り)

【拙稿参照】

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/30/9513291

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/03/9514505

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/25/8603941