52年前の帰化青年の自殺―山村政明(3)2022/08/29

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/23/9519952 の続きです。

 芥川賞作家の李恢成はこの本の序文で、次のように書いています。

民族的差別や偏見があるかぎり、帰化によって自由を得ることは至難であり、かえって帰化者なるが故の苦悩がつきまとう‥‥梁青年(山村のこと)は死の間際まで、祖国喪失者の暗い意識から自由になることができなかった。 日本人にもなり切れず、さりとて朝鮮人としても「裏切り」意識にさいなまれたのは、彼が純粋に自分が何者なのかを追いつめようとした‥‥

朝鮮人からは日本人とみなされ、日本人からは朝鮮人として扱われる場合、どのような生き方が可能であったか。‥‥彼を死へ追いやった根源的原因が民族問題から発生していることをぼくらは生者として確認しよう。(以上、2~5頁)

 李は、帰化は民族的苦悩を深め死に追いやるものだと主張します。

 当時はこういう考え方が主流であって、だから帰化をしてはいけないんだという主張が声高になされていました。 若い在日が〝朝鮮語は全く分からないし祖国に帰る気なんて全くないのだから帰化したいと思う″と言えば、周囲の在日活動家がこの『いのち燃えつきるとも』を突き付けて、〝帰化しても何の解決にもならない、帰化は裏切りだ、屈辱だ″とか言って脅したものでした。 

 そして日本人に対しては、同じくこの本を突き付けながら〝日本における民族差別はかくのごとく深刻なのだ″とアピールするのでした。 

 山村政明の『いのち燃えつきるとも』は、当時こんな使われ方をしたなあと思い出されます。

 一方、在日の研究者である金英達さんは、次のように言います。

民族問題の重要性を(日本人に)訴えるにあたって、山村政明の死を提示することは、ちょうど朝鮮人が日本人に向かって「俺の気持ちがお前に分かるか」と言って、みずからの相互理解の扉を閉ざしてしまうのと一緒で、日本人を沈黙させてしまうだけ‥‥(金英達『在日朝鮮人の帰化』(明石書店1990年6月 244頁)

 山村政明の『いのち燃えつきるとも』は、帰化した在日青年が民族問題に悩んだ末に自殺した事件として大きな話題になりました。 それから50年経って読み返してみて、民族についてどんなことに悩んでいたのか、その悩みは在日に共通するものだったのか、当時のことをちょっと思い出させてくれました。

 ところで同じく小学時代に一家で帰化した有名人として、芥川賞作家の李良枝を挙げることができます。 山村よりも10年後の生まれですが、彼女も民族に悩みました。 彼女と山村とを対比しながら、在日の帰化について考えることは非常に有益だと思います。 李良枝については、拙ブログでは下記で論じました。

李良枝の心の軌跡―日本否定から日本肯定へ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/09/19/8962125

芥川賞受賞者 李良枝 ―韓国人を美化する日本人はおかしい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/08/8821395

芥川賞受賞作家 李良枝(2)―日本語は宝物である http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/13/8824561

【追記】

 「山村政明」を検索すると、デタラメ解説が多いですねえ。

日本共産党が主催していた時代の日本朝鮮研究所(現:現代コリア研究所)への入会を希望したが「日本に帰化した裏切り者」として拒絶された。その後、日本民主青年同盟に参加するも

 これにはビックリ。 日本朝鮮研究所は日本共産党の主催団体であったことは一度もありません。

 またこの研究所は日本人の立場から朝鮮を研究する団体でしたから、来る者に「日本に帰化した裏切り者」として拒絶することはあり得ません。

 山村を拒絶したのは、大学内の在日朝鮮人サークル(朝鮮文化研究会?)です。

 山村は日本民主青年同盟に参加していません。 144頁に次のように書かれており、民青に参加しなかったのは明白です。

民青の学友たち。はじめは警戒したんだが、みんないい連中ばかり。 もっと早く、君たちと出会っていたら、ぼくの人生も変わっていたろう。 でも、もう遅い‥‥。

 次に、山村の姉が受けた就職差別です。

帰化しているにも拘らず、彼の姉が就職差別を受けるという事があり

 しかし14~15頁に、姉の就職差別のことが次のように書かれています。

中学三年だった姉が、ある時目を泣きはらして帰宅したことがあった。 就職か進学かの相談で職員室に担任教師を訪ねたところ、冷たく言い放たれたそうだ。 「おまえは、他の家のことは違うんだからナ‥‥」。 手をとりあって泣く母と姉‥‥ 父母は屈辱のすべてを忘れようとした。 帰国のメドがつかないままに、国籍帰化を決意したのだった。

 つまり姉の就職差別がきっかけとなって、父母は帰化を決意したとあります。 〝姉が帰化しても就職差別を受けた″は順番が逆で、事実ではありません。 (終り)

  【拙稿参照】

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(2)https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/23/9519952

帰化にまつわるデマ           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/31/387157

在日の帰化               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/18/489465

帰化と戸籍について           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/26/499625

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