自宅を外国人シェルターにした女性―時事通信2023/01/12

 2023年1月9日付の時事通信に「『外国人のシェルターに』=入管で面会重ね、自宅受け入れ―ウィシュマさんも支援・愛知の女性」と題する記事がありました。    https://sp.m.jiji.com/article/show/2878146   https://news.yahoo.co.jp/articles/b467e0980051958d1acda2485986113a9fa9b908

 こういう問題には私も関心があるので興味深く読んだのですが、読んでみて違和感というか疑問を持ちました。 この女性は、仮放免の外国人の身元保証人となって自宅に受け入れています。

不法滞在を理由に入管施設に収容された外国人の中には、さまざまな事情で母国に帰ることができず、収容が長期化する人も少なくない。一時的に拘束が解かれる「仮放免」となっても就労できず、健康保険に入れないなど困難な生活を強いられる。愛知県津島市の歌手、真野明美さん(69)は施設で面会を重ね、身元保証人になって自宅で受け入れるなど支援を続けている。

真野さんがこうした外国人の支援を始めたのは約5年前。古民家を買い取って自宅兼シェアハウスに改装したところ、難民認定を求める外国人が入居に訪れたのがきっかけだ。仮放免となっても困窮する人が多いことを知り、無償で受け入れるようになった。「困っている外国人のシェルターがあるといいと思った」と振り返る。

 彼女はシェアハウスを経営していたところ、難民認定を求めている仮放免の外国人を受け入れるようになったという経緯を説明しています。 ここで最初の疑問が出てきます。 この外国人はそれまで見ず知らずで、どこの馬の骨か分からない人物のはずなのに、彼を受け入れたというのがビックリするのです。 この外国人は保証金になるようなまとまったお金を持っていたのでしょうか。 「困っている外国人」なのですから、これはあり得ないと思うのですがねえ。

次第に全国から寄付や食料などが届くようになり、これまでに8人の身元保証人になった。無料や低額で診療を受けられる病院に連れて行ったり、地域住民と交流するイベントを開いたりもしている。

 彼女の活動が全国的に知られるようになって、支援物資が来るようになったと思われます。 ここは理解できるのですが、次の「8人の身元保証人になった」というところでまたビックリ。 どの範囲までの「身元保証」なのか分からないのですが、普通に考えるなら、その外国人が他者に損害を与えた場合に、代わってその補償を行なうことを約束するという意味があります。 それが8人。 短時日にそれほどの信頼関係を築いたというところに、本当だろうか?という疑問が湧きます。 私でしたら、親戚だとか元同僚でその家族まで知っているとかの場合ならともかく、収容所での面会で知り合っただけの人の身元保証はできませんねえ。

真野さんは入管施設に収容された外国人について、「最初は違法なことをした人というイメージが強かったが、母国で迫害を受けて帰れなかったり、日本の就労先が劣悪で逃げ出したりとさまざまな事情があることが分かった。もっと関心を持ってほしい」と話した。 

 仮放免の外国人の「事情」はそれこそ千差万別なので何とも言えません。 ただ疑問を抱くのは、本国にいるはずの家族に連絡を取っているのか、が書かれていない点です。 家族に連絡がつかなかったのか、それとも連絡してもそんな者は知らぬと拒絶されたのか、いろいろな事情が考えられるのですが、そもそも連絡しようとしたのだろうかという疑問までもが出てきます。 記事は不明な点が多くて、疑問がいっぱいに出てきます

 ところで私がこの問題に関心を持つのは、1960年末~70年代に大村収容所廃止を要求する運動があり、それに知り合いが関わっていたからです。 当時は外国人問題といえば、ほとんどが韓国・朝鮮人でした。 特に韓国からの密入国者は多く、摘発されると国外退去処分となり韓国に送還されます。

 しかし韓国側がこの送還を拒否し、送還されても逆に元の日本に送り返すという事例が多数出てきました。 送り返された韓国人はこの大村収容所に再収容されることになります。 韓国に帰る見込みがなく、といって日本に在住する見込みもないという事態ですから、それこそ行き先がなくて何年も収容所に入れられることになります。 しかもこの収容所ではかつて暴動が起きたことがありますから、収容者はほとんど刑務所受刑者と同じような待遇を受けたといいます。 (以上の事実関係は今ではあまり周知されていないようです。「大村収容所事件」「任錫均」等で調べれば、ほんの一端ですが理解できると思います)

 この大村収容所を廃止しようという市民運動があったのです。 主宰していたのは飯沼二郎さんだったように記憶しています。 私は関わりませんでしたが、これを傍で見ていましたので今でも外国人の退去・収容問題には関心があるという次第です。

【拙稿参照】

保険未加入外国人の治療費―東京新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/01/07/9553457

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672

不法残留外国人について     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

不法残留外国人について(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

かつての入管法の思い出     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

移民の犯罪率は高いのか    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/23/9390661

コメント

_ 海苔訓六 ― 2023/01/12 10:42

最近『Colabo』問題というのが騒がれているので、ブログ記事中で紹介されている『行き場の無い外国人』とか『家庭内の事情で家に帰れない女性』を保護支援する団体とか、やってることは良いことなんでしょうけど、そういう団体に出されている補助金税金がちゃんと適正に使われているのか?というのが気になってしまいます。
やっていることは『良いこと』なので誰も文句言えない、逆らえないというのも不健全だと感じます。
映画『アンタッチャブル』は、怖くて誰も逆らえないマフィアを経理の観点から二重帳簿に目をつけて追い込んでやっつける話でしたが、
やってることが一見正しいので誰も逆らえない人権マフィアを追い詰めるのも経理の観点から財務にしぼって締め上げると色々出てくるのかな?と思ってます。

_ 竹並 ― 2023/01/12 15:14

>【辻本さま:… しかし韓国側がこの送還を拒否し、送還されても逆に元の日本に送り返すという事例が多数出てきました。 送り返された韓国人はこの大村収容所に再収容されることになります。 韓国に帰る見込みがなく、といって日本に在住する見込みもないという事態ですから、それこそ行き先がなくて何年も収容所に入れられることになります。】

「日本人拉致」の問題と逆のケース or 鏡像(ミラー・イメージ)なので、と申しますか、拉致問題に対する韓国人あるいは韓国という国家の態度・考え方に対する興味 or 疑念からお聞きしたいのですが、「他国へ密航した自国民を、密航先の他国へ送り返す」という「思考回路」が良く分からないのですが、「国家主権の放棄」ではないのでしょうか?
かと言って、竹島(連中の云う「トクト」)については、それはやらないと… 一体どうなっているのか?と思うわけです。
この不可解さについて、何か、ご示唆を戴ければ幸甚に存じます。

_ 辻本 ― 2023/01/12 16:32

1980年代までは、外国人といえば95%が韓国・朝鮮人だった時代です。
韓国政府は、送還された人が確実に自国(韓国)の人間であるならば(正規の韓国パスポートを持っているなど)、受け入れましたが、そうでなければ受け入れなかった、ということです。
在日韓国朝鮮人の場合、日本の外国人登録証の国籍欄では「韓国」「朝鮮」となっていても、韓国の正式の国民であるかどうかは不明な場合が多かったということです。

これは韓国でなくても、今でもそうだと思うのですがねえ。
不法入国等で摘発した外国人が自分はA国人だと自供しても、そのA本国政府が自国民かどうか不明と判断すれば、受け入れを拒否することになります。
そうなると、強制送還してもまた日本に舞い戻ることになります。
ですから相手国政府が確実に受け入れる場合でなければ、強制送還は難しいのです。

別に不可解ではないですよ。

_ 辻本 ― 2023/01/12 18:52

>「他国へ密航した自国民を、密航先の他国へ送り返す」という「思考回路」が良く分からない

 その国の政府が密航で出て行った人を「自国民」と認定しなければ、自国に受け入れられる訳がなく、その密航先に送り返すしかないでしょう。
その人の家族が本国にいて、その人は自分たちの家族の一員であり本国籍を有していると主張し証明してくれれば、本国政府は受け入れるだろうと思います。
要するに本国が「他国へ密航した自国民」であると認定するのに、手間と時間がかかります。

なお日本ではなくすべての国も同様と思いますが、国内に住む人間が日本国籍を有するかどうかを認定する権限は日本政府だけです。
逆に、日本国籍を有さない人間がA国人かどうかを認定する権限は、日本政府にはありません。
A国政府から、この人間は自国人かどうか不明だと言われたら、日本側はどうしようもないでしょう。

_ 海苔訓六 ― 2023/01/12 20:55

いま『新ナニワ金融道』というマンガを読んでいるのですが、大村収容所も話の中に登場しました。
感心したのは、この作品の中では『在日朝鮮人の大半は強制連行された被害者ではなくて密入国した朝鮮人』という描写をしていることですね。
オリジナル著者の青木雄二さんは亡くなってますが、編集者やスタッフが相当しっかり勉強会して描いていると感じました。

_ 辻本 ― 2023/01/13 04:19

>編集者やスタッフが相当しっかり勉強会して描いていると感じました。

 これは勉強会をしていたのではなく、在日一般人との付き合いがあったからでしょう。
 「強制連行」を叫ぶ在日インテリ活動家と、そんな活動に関わりのない在日一般人とは、意識が違っていました。
 在日活動家は被害者性を前面に出して日本社会を批判しますから、韓国朝鮮問題に関心のある人たちから重宝されたものです。
 在日活動家の発言ばかりが表に出て、在日一般人は“我関せず”とばかりに発言しないし、発言したとしても無視されていましたからねえ。
 在日一般人と付き合えば、「強制連行」という被害の歴史からかけ離れていると直ぐに気が付くものです。

_ 大森 ― 2023/01/13 17:26

大半が密入国というのもまた間違いでは
戦前いわゆる強制連行が始まる以前に日本には100万近い朝鮮人がいて主に彼らが在日の始祖だと思います
戦前の在日の本読むと「渡航証明書」というのがよく出てきます
密入国は主に戦後ですね

_ 海苔訓六 ― 2023/01/13 19:31

地方議会議事録を"大村収容所"で検索すると1992年、平成4年総務生活文化委員会で議題にあげられていますね。長崎市の議会ではなくて東京都議会というのが意外ですが、この当時から東京都では不法入国外国人の収容や強制送還に関して議論していたのですね。これは時代的に鈴木都政時代かな?
長期政権が都民の反発を招いて、この少しあとに青島幸男に都市博覧会をつぶされて気の毒でした。
https://chiholog.net/chiholog/gijilog/28229-20061221-4dbadc3/ja

_ 海苔訓六 ― 2023/01/14 23:15

示現舎の神奈川県人権啓発センターさんが
『人権関連の組織に属する人物で怪しいとか胡散臭いと感じた組織の人物に関してはGoogleなどで『人物名 人権or同和or部落』みたいに検索をかけると背後の組織などとの関係が分かる』というような説明をしていました。
試みに今回のブログ記事に登場する真野明美さんを検索してみたら共産党の愛知県委員会との関係が出てきましたね。
https://www.jcp-aichi.jp/2021/0508/18888.html
弁護士の裵明玉さんは朝鮮大学校卒とのことで北朝鮮との関係が深い弁護士みたいで、共産党、北朝鮮という背後のつながりみたいなのがあるように感じました。
地方議会議事録横断検索で日本共産党愛知県委員会を調べると、1997年から愛知県内で幅広く色々な問題提起していることが分かりました。
https://chiholog.net/chiholog/search.html?start_date=&end_date=&lg_code=&meeting_name=&meeting_text=%22%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%22&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

_ 辻本 ― 2023/01/15 11:55

>ブログ記事に登場する真野明美さんを検索してみたら共産党の愛知県委員会との関係が出てきました

 彼女がどういうところと関係があるか、なんてことには私は関心がないですね。
 彼女がその外国人たちを最後まで責任もって面倒を見れるのか、というところに関心があります。
 極端なことを言うと、その外国人が亡くなったとか反社会的行動をしたとかの場合でも、責任もって対処する覚悟ができているのか、というところです。

 数十年前の大村収容所廃止要求の運動は、当時の学生運動=反体制運動の一環という色が強かったですからねえ。
 学生運動の衰退とともに消え去った、という思い出だけでした。

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