50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1)2023/02/25

 今から50年近く前の1975年2月、韓国・朝鮮を論じる『季刊 三千里』という雑誌が発行されました。 その創刊号に田中明「『敬』と『偏見』と―『季刊三千里』の創刊によせて」と題する一文があります。 田中明さんは、1970年~2000年代初に韓国に関する論考や本を多数書いている朝鮮文学研究者として著名でした。 しかし今では忘れられた存在ですね。

 このたび『三千里』創刊号にある彼の論考を読み返してみて、在日韓国・朝鮮人の問題がこの50年の間変わっておらず、田中さんの主張が今でも通じるというか、色褪せていないことに驚きを感じました。 一部を引用して紹介しながら 私のコメントを挟みたいと思います。

在日朝鮮人の文筆家‥‥今まで在日朝鮮人の書いてきたものは、あまりに日本人向け、日本人だけ(!)向けに過ぎなかったのではなかったか、という気がします。 こんなことをいえば「日本社会に朝鮮に対する偏見が偏在しているのを、お前はどう考えているのか。 それが改まらない現在、何をおいても日本人に反省を求め、真の朝鮮を知らしめる文字が必要である。 日本人の偏見が改まれば、われわれの子孫である二・三世も幸せになれるはずだ。‥‥」と言われるかも知れません

確かに日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちていることは、いかにも日本人が強弁しようとも事実であり、日本人の最大の恥部です。 そこに朝鮮人がきびしい批判の矢を射込むことは当然であり、われわれ日本人は、それを避けてはならないでしょう。

現状はどうでしょうか。 マスコミなどで小生が目にすることのできる日本人の朝鮮論は、罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉が溢れています。 ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉がつらねられています。 これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても小生には異様です。‥‥(以上 144頁)

 日本社会における在日韓国・朝鮮人への差別は、1970年代までは今では想像もできないほど厳しかったです。 ですから1975年の論稿に「日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちている」とあるのは、そういう事実は確かにあったと言わざるを得ないところです。

 一方、その当時は部落差別反対運動の影響で朝鮮差別に反対する運動が盛り上がり始めていて、「日立闘争」という在日朝鮮人の就職差別に反対する運動や、金達寿などの「日本のなかの朝鮮文化」の活動も活発になっていた時期でした。

 そんな運動が活発化するなかで、この運動に参加する心ある日本人からは「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉」 「ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉」が出てくるようになります。 そしてこのような日本人が「良心的」だと評価されていたものでした。

 しかし田中さんはこれに対して、「これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても異様」だと言います。 この「異様」さというのは、「偏見に満ちている」日本社会に対して、「朝鮮の味方」の日本人が反対を唱えている有り様を言っています。 つまり朝鮮とは直接関係のない日本人が「朝鮮の味方」となって、「偏見に満ちた」日本社会を批判するという反体制運動が「異様」であると、冷静に論じていきます。

 彼はこの冷静さゆえに朝鮮問題に関わる活動家(反体制側)からは無視され、時には反発の声が上がっていましたねえ。 「田中メイとかいう奴」なんて言われていました。 (続く)