にあんちゃん(3)―やはり作者は在日朝鮮人2023/05/04

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/26/9580277 の続きです。    『にあんちゃん』の作者である安本末子さんは、自著をどう評価しているのか。 『朝日ジャーナル』1981年11月6日号に、彼女のインタビュー記事「安本末子さん 日本には感恩の情 朝鮮には深い愛情 『にあんちゃん』から童話の世界へ」が掲載されました。  それは『にあんちゃん』が出版されて23年経った時で、彼女は非常に冷静に当時を振り返っています。

日記には、貧乏だからつらい、親がいないから悲しい、カサがないから冷たい、お茶碗がないからご飯をよそって食べられない、というように、洗いざらい書いていて、嘆きの表現はあるわけですから、もし差別をうけていれば、何で朝鮮人なんかに生まれてきたんだろうという慨嘆があっても、不思議はない。 ところが、私も読み返しておかしいなあと思ったんですけど、そういう民族的な差別への屈託というか、こだわりが〝かけら″もない。 そこがまたあの日記の明るさなんでしょうけど。

―それは現実になかったと言い切れますか。

なかったですねえ。 兄の時代はどうだったか分かりませんけど。 私の世代では、ほかに朝鮮人の同級生もいたので、その子がいじめられたりすれば、私も同じ朝鮮人なんだっていうことを考えるはずでしょう。 でも、改めて問い直したということがないんです。

―もちろん自分が朝鮮人だという事実は分かっているわけですね。

朝鮮人だけの行事みたいなものがあると、必ずうちへ集まってましたから、私が朝鮮人だっていうことは友達にも周りの人にも隠す必要がなかったんです。

―それは中学、高校へ行っても変わりませんでしたか。

ええ‥‥ 隠さなきゃいけなかったという苦しさの体験はないんです。 (以上 39~40頁)

 「民族的な差別への屈託というか、こだわりが〝かけら″もない。 そこがまたあの日記の明るさ」というのは、なるほど、これが感動を呼び起こしたという作者の自己分析は当を得ていると思います。 当時は在日朝鮮人に対する日本人のイメージといえば、貧乏で乱暴で怖くて近寄りがたいという〝暗いイメージ″が大勢でした。 しかしこの日記では貧乏でも明るく元気で、勉強も一生懸命にやっている幼い朝鮮人少女だったのですから、それが日本人の琴線に触れたのでしょう。 

 次に自分が朝鮮人であることをどう感じてきたのかを語ります。

なぜ朝鮮人でなきゃいけないのか‥‥。 親からの伝承もなく、日本の友達とか日本の生活習慣とかにどっぷりと浸ってきたわけで、朝鮮が懐かしいというより、むしろ戸惑いというか、異文化というか‥‥。

―朝鮮の文化の方が異文化とは、ちょっと意外ですね。

そうなんです。 でも、みんながとにかく民族統一のためにがんばっているのに、私は知らん顔しちゃいけないと思って、顔を出しはしたんです。 だけど、やっぱり溶け込めなかった。‥‥私は日本の教育の理想を目指した人たち、学校の先生から生かされてきた。 生かしてもらった。 だから日本がそれまでどういうことを朝鮮人に対してやってきたかということを、あげつらうことができなかった。

そうはいっても、じゃあ日本人になり切れるかというと、なり切っちゃいけないんじゃないかという思いもあった。 やっぱり日本人は日本人、朝鮮人は朝鮮人という独自性を持って生きていくのが民族と民族のあり方ですし、両親は「とにかく祖国で死にたい。 死んだら朝鮮に埋めてもらいたい」といっていた。 異郷、逆境の地である日本で死んだわけですから、よけい望郷の念は強かったでしょう。 祖国に対する思いは私の想像をはるかに超えたものだっただろうと思うんです。 そういう祖国に対する両親の思いをさてどうするかということもあって、そのまんまでいるのが自然じゃないかっていう感じですねえ。 (以上 40頁)

 自民族の文化が「異文化」であると正直に語りますが、一方で自分は朝鮮人でなければならないという思いも語っています。 朝鮮と日本の狭間に存在する在日朝鮮人の感性とでも言うべきものなのでしょうか。

大学の友達は日本人だし、会社に入ってからも周りは日本の人ばかり。 自分が受け継いだ生活習慣も日本のものですし、日本のお料理とかしきたり、礼儀作法みたいなことは分かる。 だから日本人と結婚した場合にスムーズに溶け込める、そういう感じがありました。

私にとって朝鮮はまだ見ぬ祖国なわけで、いってみれば生みの親で、血はつながってますけれど、何もしてもらわなかった。 それに対して日本はほんとに一から育て教育してくれた。 だから正直いってどっちに恩義の気持ちが深いかといえば、日本人の方が感恩の情という方が自然なんです。 じゃあ、生みの親に対する思いが全くないかというと、それも簡単にふっ切れない。

で、日本人と結婚したら、子供は日本籍になる。 そうすると、私も同化されていくというか、風化していく。 それでいいのかなっていう思いも一方ではあって、日本人との結婚に踏み切れなかったんです、正直いって。 (以上 41頁)

 やはり彼女は朝鮮人で、日本人と結婚して日本人になろうとは思わなかったのですね。 ところで彼女は日本人に対して「感恩の情という方が自然なんです」と言ったところに注目されます。 この「感恩の情」がインタビュー記事の題名にもなっていますから、朝日ジャーナル記者も非常に印象深かったのでしょう。

 作者が日本人から受けた差別ではなく、日本人から受けた恩への感謝である「感恩」と言っているのですから、‶日本から受けた民族的苦難とそれに対する闘い″でなければならない在日朝鮮人の歴史から『にあんちゃん』が除外されたのは、当然だったのかも知れません。 (続く)

にあんちゃん(1)―在日朝鮮人少女の日記 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/21/9578840

にあんちゃん(2)―物議を醸した部分 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/26/9580277