にあんちゃん(4)―なぜベストセラーになったか2023/05/09

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/04/9582750 の続きです。

 著述家の成美子さんは、『朝日ジャーナル』インタビューの2年後に安本さんに取材して、『朝鮮研究』232号(1983年7月)に「にあんちゃんはいま 二世の眼」を掲載しました。 この一文は『在日二世の母から在日三世の娘へ』(晩聲社 1995年9月)に所収されています。 主な部分を引用して紹介します。

九州の貧しい生活で差別されたことは一度もなかったと安本さんは言う。 父親が同胞の子供たちを集めて黒板でハングルを教えていた記憶があるし、兄たちは優等生だったし、自分も母親になったいま、考えれば、内気で親がなく話し方がていねいで勉強ができる女の子は、日本人の親たちに好かれる存在であったようだというのだった。 

「本当に差別を受けなかったのですか?」と私はずいぶん執拗に安本末子さんに食い下がった。 「びんぼう ちょうせんじん でていけ」という言葉をローマ字で日記に記さざるを得なかった少女の屈折した感情が差別と無縁であるとは思えなかったのである。 末子さんは頑固に頭をふり、ローマ字を習いたての女の子が得意になって書いたにすぎず、それがはからずも一年以上もお世話になった家の人を傷つけ申し訳ないことをしたというのだった。

大学に入学したとき、同胞団体の学生が授業がまだ終わっていないのに、ガラッとドアを開けて大声で自分の名前を呼んで勧誘に来たことや、韓学同のビラ配りに参加しなかったのに参加したというデマが飛んだことなどを末子さんは眉をひそめて語った。 父親が生前、よくお酒を飲んでいたことなども、ためらいがちに話した。 ただどうしても日本人との結婚に踏み切れず、在日韓国人の家庭に嫁いできたのは落ちつくべきところに落ちついた感じがするというのだった。(以上 280頁)

『にあんちゃん』が描かれた時期は、家族にとって大変な時で、いま読み返すと、よく書けたなあ感心する思いがすると末子さんは語った。 それに、あの日記の民族意識の欠如は、『にあんちゃん』がベストセラーになった一つの大きな原因であろうと考えていると、末子さんはかなり冷静な分析をした。 だから朝鮮に負い目をもっている学校の先生や知識人にアピールしたのではないかというのだった。

たかが10歳の少女の日記と割り切れない大きな位置を『にあんちゃん』は安本末子さんのなかに占めていて、20年以上の歳月が過ぎているのに、つい数日前に犯してしまった過失のように、彼女は日記の中で担任の先生やお世話になった家の人のことを悪く書いてしまったことにこだわっていた。 自分が書くことによって周りの人を身構えさせ傷つけることが耐えられないというのだった。(以上 281頁)

末子さんは、趙治勲(韓国出身の棋士)が三冠王なれば喜び、韓国の経済発展を願う心情的ナショナリストであったけれども、『にあんちゃん』の日記を書いた時と全く同じ、日本人の親切や善意を信じる優等生であった。 そして『にあんちゃん』の出版当時、「なんて民族意識のない子供たち」と同胞から非難の手紙が来た時の戸惑いと同質の戸惑いを、既成の民族組織に抱いているようだった。(282頁)

 「あの日記の民族意識の欠如は、『にあんちゃん』がベストセラーになった一つの大きな原因」というのは、確かに冷静な分析でまた的確だと思います。 また彼女が昔も今も「日本人の親切や善意を信じる優等生」だったというのも、その通りだったでしょう。 『にあんちゃん』を読み返しても、また『朝日ジャーナル』のインタビュー記事を読んでも、確かにそうだったと考えるしかないです。

 しかし「『にあんちゃん』が出版されると、「“なんて民族意識のない子供たち”と同胞から非難の手紙が来た」というのには驚きました。 「祖国の統一」を一番のスローガンにしていた当時の民族団体・民族主義者からみれば、“ああ!何と情けない!祖国を忘れ、民族アイデンティティがないなんて!”という慨嘆なのでしょう。

 今から思えば、在日朝鮮人の本なんてほとんど売れなかった時代に同胞の子供がベストセラーを出したことに対して、ある在日民族主義者が嫉妬してそんな手紙を書き送った、私にはこのように思われます。 

 在日朝鮮人たちは自分たちに対するイメージが非常に悪かった1950年代末に幼い同胞少女がベストセラーを出したことを喜ぶのではなく無視を決め込み、一部は非難を浴びせた、ということですね。 (続く)

にあんちゃん(1)―在日朝鮮人少女の日記 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/21/9578840

にあんちゃん(2)―物議を醸した部分 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/26/9580277

にあんちゃん(3)―やはり作者は在日朝鮮人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/04/9582750

【参考】

『にあんちゃん』は韓国で1959年に映画化されました。 題名は「구름은 흘러도(雲は流れても)」で、古典映画として公開されています。 https://www.youtube.com/watch?v=pi0aSYjXnu4

2022年1月7日付けの毎日新聞には、『にあんちゃん』の舞台であった佐賀県の大鶴炭鉱の跡を訪ね、関係者に取材した記事があります。  https://mainichi.jp/articles/20220107/ddf/012/040/001000c   https://mainichi.jp/articles/20220107/ddf/012/040/002000c

「『にあんちゃん』論―日記をめぐる自己検閲を巡って」 奥村華子  https://www.bcjjl.org/upload/pdf/bcjjlls-6-1-185.pdf