朝鮮の「実学」とは?2023/12/26

 韓国の歴史を読んでいると、朝鮮時代(李朝時代)は近代化するだけの体制や学問、思想があったのに、日本が植民地化してこういった近代化の芽を潰した、という話があります。 その〝近代化の芽″というのが「実学」だということです。 『韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 1986年3月)には、次のように説明されています。

朝鮮の伝統儒教である朱子学が朝鮮王朝中期ごろからしだいに現実離れして虚学化したのに対し、儒学内部からの内在的批判を通じて登場した《実事求是》の思想および学問を実学といい、その学派を実学派とよぶ。‥‥ここにいう実学とは、実証性と合理性に裏付けられた現実有用の学問という意味である。 (182頁)

 こういう類の朝鮮史を読んだ時、李朝時代に近代を準備するだけの学問があったのだ、それが「実学」という名称からして農業を始めとした産業の発展に寄与する実用書なんかがあったのだろうとイメージしたものでした。

 さらに想像を膨らませました。 日本の江戸時代に近代に繋がるものとして、蘭学はもちろんのこと、例えば商人は大福帳のような精細な会計帳簿をつけていて、これが明治になって近代的企業会計を導入するのに大いに役立ったとか、関孝和のような和算学の発達が明治時代に西洋数学の理解につながったとか、つまり明治の近代化を準備する思想や学問が江戸時代に既にありました。 朝鮮も李朝時代にこのような類の学問があり、それが「実学」だと思ったのでした。

 ところが、安宇植という評論家が朝鮮の「実学」について、日本のそれと比較して次のように言っています。

確かに江戸や大坂の商人の商いを見たって、町人や庶民という、武士でない人たちから、新しい儒教が実学思想として生まれてくるわけですけれど、朝鮮半島の場合は商人のなかから実学思想が生まれるなんてなかったですね。 結局、両班階級とその下の中人階級のなかから生まれてくる。

‥‥ 結局、朝鮮では実学思想が両班階級から庶民階級に流れていかないんですよ。 流れていたのは天主教(カトリック)だけでした。 あくまで身分制度がネックになっていくんですね。 実学思想を持つ人たち、ことに近世になってくると金玉均らの周辺にずいぶん集まりますね。 そして情報を提供したり、いろいろ道をつけるけれども、やはり階級的な壁というのが乗り切れなかったんじゃないかな。

‥‥ 中人階級というのは、外国からの文章、情報を翻訳したりする仕事がほとんどですから、外からの情報に一番早く接するわけです。 彼らの持ってきた情報が、たとえば実学派なり、その流れを汲む一部の人たちには入っても、そこから広がっていかない。 結局、実学派の考え方で終わってしまう。 (以上 川村湊編『韓国 知の攻略』作品社 2002年5月 118頁~119頁)

 李朝時代は両班という上流階級が現実離れの朱子学をもっぱらにしてきたのですが、一部の両班階級と実務を担当する中人階級から「虚学」を批判する「実学」思想が芽生えた、しかし実学はそれに止まって朝鮮社会全般に広まらなかった、だから生産・経済を発展させることに繋がる学問はこの時代には生まれなかった、ということですね。

 私はそれまで、李朝時代は実学という未熟ながらも近代を準備できるだけの学問があったと思い込んでいたのですが、それは虚像・幻想だったのでした。 「実学」は「虚学」の朱子学を批判しただけで、現実の社会を豊かにするものではなかったのです。 つまり実学は同じ儒教内での議論に止まり、近代を準備するところにまで到達していなかったと言えるのです。 

 姜在彦『朝鮮儒教の二千年』(朝日選書 2001年1月)や小倉紀蔵『朝鮮思想全史』(ちくま新書 2017年11月)には朝鮮の実学を解説しているのですが、その内容がようやく分かってきました。

 朝鮮は19世紀後半に欧米や日本から、シャーマン号事件や江華島事件などによって開国を強要されて近代に入るという歴史を歩みました。 それは近代への準備を全くできないまま、いきなり、そして無理やりに近代に突入したのでした。 朝鮮の「実学」もまたやはり「虚学」の範囲から抜け出られなかったのです。 それが〝朝鮮の悲劇″と言える歴史の始まりだったと考えます。

 李朝時代の歴史については、拙ブログでは下記のように論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸い。

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(10)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374

朝鮮に封建時代はなかった     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936

李朝はインカ帝国なみか?     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/28/7926396

福田徳三について         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/03/9054853

福田徳三について(2)       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/21/9062338

李氏朝鮮時代の社会        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/14/560250

成均館大の宮嶋教授           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/20/6696277

成均館大の宮嶋教授 (続)         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/25/6701490