閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(3)―反論2024/06/11

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/06/9690640 の続きです。

 先に拙コラムで、韓国の『中央日報』に、〝閔妃の写真は存在し、日本がそれを宮女の写真であるかのように変造した″というコラム記事が載ったことを紹介しました。 これを厳しく批判する「땅의 역사(地の歴史)」というユーチューブがありましたので、紹介します。  https://www.youtube.com/watch?v=4rlfLoxFHPE 

怪談ばかり(5) [パク・ジョンインの地の歴史]188 シースルーの女が閔妃で、マゴジャの男が大院君だと?

 原文は「괴담 종족(5) [박종인의 땅의 역사] 188 시스루 여자가 민비고 마고자 남자가 대원군이라고?」となります。 「종족」は漢字語で「種族」ですが、それでは日本語として意味が通りませんので「ばかり」としました。 「マゴジャ」はチョゴリの上に着る外套のことで、「マゴジャ」とそのまま書き表しました。

 このユーチューブには日本語版がありませんので、聞き取りしながら翻訳しました。 全訳ではなく、主要部分の翻訳です。 全体の8割くらいですかねえ。 また映像では写真がかなり出てくるのですが、その映像から写真自体を選び出してコピーすることはできませんでした。 そこで同じ写真を探し出してきて、リンクを適宜に貼り付けました。 

 映像ではちょっと前置きがあって、(0:55)から始まります。

みなさん、こんにちは。 地の歴史、パク・ジョンインです。 今日のお題は、「シースルーの女が閔妃であり、マゴジャの男は大院君だと?」です。

高宗の妃である閔妃氏は、問題のある人物です。 彼女を明成皇后と呼べば民族的だといい、閔妃と呼べば親日的だと言ったりします。 今日は中間の立場を取って、「王妃閔氏」と呼びましょう。 名前が「閔玆暎」だという言う人がいますが、「閔玆暎」という人物は小説家がつけた名前です。 

 「閔妃」のウィキペディアでは本名として「閔玆暎」が出てきます。 しかし李朝時代の朝鮮の女性は賤民でなければ名前がありません。 従って「閔玆暎」はあり得ないと思っていたところ、小説家がつけた名前だそうで、これで納得。 近年にフィクションとして付けられた名前ということです。 しかし韓国ではこれが歴史事実として定着しつつあるようです。

さあ、これから写真の話をします。 何年か前までは、写真が王妃閔氏の写真だとして、国史教科書に載っていました。 かんざしを挿した形式と服飾が王室の女性に当たるという考証が出てきて、この写真は一時王妃閔氏の写真として確定されました。 しかし王妃の可能性がないという主張が力を得て、この写真は教科書から削除されましたね。 ところがまだ市中には、この写真が明成皇后の写真だということで通っています。

 ここでいう「写真」とは、(写真⑦)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku38dai.jpg のことです。 映像では(2:52)のところで出てきます。

 「明成皇后」は閔妃の追号です。 「明成皇后」「閔妃」「王妃閔氏」は同一人物になります。

このように一度事実だと固まってしまえば、それを否定することは容易くありません。 またかつてはこの写真の女性が王妃閔氏だという主張が提起されました。 ところがこの主張は激烈な学界の論争の末に王妃ではないということで結論が出て、姿を消していました。 しかし一般大衆の相当数は相変わらず、これらの写真を「明成皇后」として受け入れているのですね。

 (写真②)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku33dai.jpg と上記の(写真⑦)の二枚が「閔妃の写真」とされているのです。 映像では(3:39)に出てきます。

イタリア外交官のカルロ・ロジェシティーという人が書いた『コレア コレアニ』(1904)という本があります。 翻訳本も出ています。 この翻訳本の272頁に、この写真があります。 写真の説明は「宮中の身なりをした宮殿の女性」です。

 これは(写真④)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku35dai.jpg です。 (3:57)に出てきます。 (写真④)と(写真⑦)は背景が全然違います。 しかし人物の女性だけを見ると頭の先から足の先まで、服の皺も色も影も含めて全く同一です。 ということは人物の部分だけを切り取って、別々の背景にはめ込んだのでないかという推測が成り立ちます。

ところで277頁には「キーセンの衣服 一組」という説明とともに、この写真が載っています。

(写真⑥)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku37dai.jpg (4:07)です。

この写真⑦とこの写真⑥を合成すれば、王妃閔氏の写真とされるこの写真④が出てきます。 この写真④の中の敷物の前の方にある足が、不自然に浮いているのが見えます。 また右側のカーテン、左側の色とりどりの長衣、後ろ側の冊架の配置は、人物のいないこの写真⑥と同一です。

 (写真④)を見れば、確かに左足(向かって右側の足)は浮いているように見えます。 (4:19)にその部分写真があります。 そして(写真④)の背景と(写真⑥)とは、カーテン、敷物、衣服、置物などの位置・模様・皺・影に至るまで全く一致しています。 (4:31)

 ということは、(写真⑦)の女性の全身をきれいに切り取って(写真⑥)にはめ込み、(写真④)の合成写真を作った、だから(写真④)の女性の左足が浮き上がっているように見える、ということで間違いないと思われます。

(写真④)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku35dai.jpg

(写真⑥)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku37dai.jpg 

(写真⑦)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku38dai.jpg 

 なお「冊架」とは本棚のことで、これを描いた絵が「冊架図」です。 李朝時代には屏風にこのような絵を描いて飾ったようです。 この絵が撮影スタジオにセットされていたと思われます。 

1900年、朝鮮政府が代表団を派遣したパリ万国博覧会に、駐韓フランス公使館が「ソウルの記念品」という小冊子を出品します。 ここに、背景のないこの写真が載っています。表題は「宮殿の女性」です。 モデルが王妃なら、高宗が「宮殿の女性」という説明を許すはずがないでしょう。 この背景のない写真が「朝鮮の王妃」あるいは「宮女」という食い違った説明をつけて西欧のマスコミに載ります。

   「この写真」「背景のないこの写真」とは、(写真⑦)のことです。 (4:45) 

朝鮮に対する関心が大きく増えていた時点です。 西欧の記者たちは朝鮮に関する記事を書きながら、「商業的に流通していた写真」を記事の脈略に合わせて挿入したものなのです。 これらの写真の女性は、王妃とは全く関係がありません。 それこそ対価をもらってモデルとなった一般の人であるに過ぎないのです。

 当時、朝鮮旅行の土産物として写真帳や絵葉書が売られていたのですが、西欧の記者は朝鮮を紹介する記事の挿図にこの写真を使ったのです。 だから「商業的に流通していた写真」という言葉が出てくるのです。 写真のモデルは「対価をもらってモデルとなった一般の人」とありますが、当時の朝鮮社会からすると、おそらく妓生(キーセン)ではないかと思われます。 (続く)

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(1)―中央日報 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/01/9689180

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(2)―中央日報 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/06/9690640

【追記】

 「閔妃」はウィキペディアでは本名として「閔玆暎」となっていますが、これはどうやら鄭飛石という小説家が作った名前のようです。 朝鮮の歴史上の有名女性に「本名」があったなんて最近になって出てきたことで、これが小説だという説明には、成程そうだろうと思います。

 同じく李朝時代の有名女性詩人である「許蘭雪軒」は雅号ですが、ウィキペディアによれば「許楚姫」という本名があったとされています。 しかし李朝時代の歴史では、どの歴史を読んでも当時の朝鮮の女性は名前がなかったとなっています。 もしあったとすれば幼名か通称名などと考えられます。 「許楚姫」なる名前は根拠となる歴史資料が見当たらず、やはり小説とかドラマとかで創られたものではないかと思うのですが、どうなんでしょうね。 

【追記】

 許蘭雪軒の名が「楚姫」だとする資料は、弟の許筠の『惺所覆瓿藁』という詩文集にあるようです。 もしそうなら、家族間だけで使われていた幼名の可能性があります。 (6月15日記)

【参考―李朝時代の女性に名前がない】

かつて朝鮮人女性には名前がなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/13/9011386

李朝時代に女性は名前がなかったのか   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代の婢には名前がある       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

名前を忌避する韓国の女性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916