閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(5)―反論2024/06/21

 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/16/9693342 の続きです。 https://www.youtube.com/watch?v=4rlfLoxFHPE を見ながらお読みいただくようお願いします。 (11:36)から始めます。

さらにマゴジャを着た男の写真は、日本の業者が写真葉書として作って販売していたものです。 葉書の表題は大院君ではなく、「朝鮮人の風俗(CUSTOMS OF KOREAN)」朝鮮の服装です。 英単語のスペルが間違っているのは、当時よくあることでした。 写真の中の人物自体が興宣大院君であるなら、葉書の業者たちが「大院君」の代わりに「朝鮮人」を表題に付ける訳がありません。 このように全ての脈絡が否定的であるにもかかわらず、ジョイがマゴジャ着た大院君を撮影した可能性はあるのでしょうか? 私はないと思います。

 「マゴジャを着た男の写真」は、(写真⑧)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku40dai.jpg です。 これは絵葉書写真として販売されていたのですねえ。 しかも「朝鮮人の風俗」と正しくキャプションが付けられていたのでした。  

大院君が中国から帰国してから、高宗と閔妃は大院君に対して極度の警戒心と憎悪感を見せており、一切の対外接触を遮断しました。  甚だしくは、その時まで監獄にいた壬午軍乱の関係者たちを処刑し、大院君が家に帰る道に捨て置くことまでしました。 そんな状況で、外国人たちに接触することを許すでしょうか? とんでもないことです。 

 当時、大院君は外部との接触を厳しく禁止されていました。 ですから大院君は写真を撮ることができなかったのでした。

それにもかかわらず、この写真はすでに当時から今まで、たったの一回も疑うことなく大院君の写真として引用されてきました。 これは国内の新聞は信じず、外信を信じることと似ています。 西洋の新聞や雑誌に大院君と書かれているから、解放後も学会やマスコミ系ではそのまま大院君と認めてしまったのですね。 私もまた、そうでした。 怠慢です。

 「大院君の写真」なるものが西洋の雑誌や新聞に掲載されたので、後世の韓国人はそれを信じてしまったということですね。

そうして、大院君の写真⑧と背景が同じこの写真②を〝閔妃の写真″と主張する呆れた論争まで起きるようになったのです。 この写真②やこの写真⑦、すべて王妃閔氏と関係がなく、西洋人もしくは日本人が撮影して商業的に使った写真なのです。

 「商業的に使った写真」というのは、(写真②)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku33dai.jpg と(写真⑦)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku38dai.jpg のことです。

 (13:24)から、いよいよ中央日報に掲載された李泰鎮さんの説  https://www.joongang.co.kr/article/25240631 への反駁が始まります。 

それにもかかわらず、この写真をめぐって前国史編纂委員長の李泰鎮先生は、「明成皇后の写真なのに、日本人が華麗な背景を消して尚宮のように見せるように捏造した」と主張しました。 この方はもう何年も、この二枚の写真がすべて明成皇后に間違いないと言い張っています。

 「この二枚の写真」は、(写真②)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku33dai.jpg と(写真⑦)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku38dai.jpg です。

すでに結論が出ていても、もう否定された写真でも、この方は先月の4月にも中央日報に「抗日闘争の触発を憂慮して、王妃の写真を宮女に化けさせた」と言って、最初の王妃の姿の公開だとか文明がもたらした変革だとか、宮女の写真を作ろうとすれば風格にあふれるあの背景を消せなければならなかったとか、荒唐無稽は主張をしました。 だからこの写真を日本人の代表的な歪曲事例に選びます。 無理やりです。 ご覧の通り、背景をなくすのではなく、背景のない写真に背景を合成して新しい写真を作ったのですからね。

 「合成して新しい写真を作った」は、(写真④)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku35dai.jpg のことです。

またエンカース・ハミルトンというイギリスの言論人が1902年に出版した「コリア」という本に、鏡を見る女性の写真が載っています。 この鏡の後ろに柵架が、李泰鎮先生が言うところの「風格あふれる背景」と同じものです。

 「鏡を見る女性の写真」は探してみましたが、ネット上では見つかりませんでした。 『歴史通』2012年1月号の10頁にこの写真が掲載されていて、これをスキャンしました。 (写真10)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku39dai.jpg これには本文で論じるために鳥と鉢植えに○マークが付けられています。 余分なものがありますが、奥にある冊架はお分かりいただけるでしょう。 なおこの写真はユーチューブでは(14:34)にあります。 

一体このように無限ループに陥っている主張を、なぜ今でも固執しているのか、理由が分かりません。 日本と関連したことならば何であれ日本の責任にする、この無責任な反日主義は一般大衆を客観的近代史から遠ざける最大の敵です。  歴史は客観です。 事実で構成されます。 見たいものだけで埋められた歴史は、歴史ではなく小説です。

写真の話でした。  「地の歴史」、パク・ジョンインです。

 最後の結論ですが、全くその通りと言うほかありませんねえ。 (終わり)

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(1)―中央日報 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/01/9689180

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(2)―中央日報 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/06/9690640

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(3)―反論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/11/9691981

閔妃の写真―決着はついたはずだが‥(4)―反論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/06/16/9693342

  【挿図写真・絵画の一覧】

写真①: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku32dai.jpg

写真②: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku33dai.jpg

写真③: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku34dai.jpg

写真④: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku35dai.jpg 

写真⑤: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku36dai.jpg 

写真⑥: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku37dai.jpg

写真⑦: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku38dai.jpg

写真⑧: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku40dai.jpg

写真⑨: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku41dai.jpg

写真⑩: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku39dai.jpg

絵画①: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku31dai.jpg

絵画②: http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku43dai.jpg

【拙稿参照】

閔妃の写真はなかった  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuuhachidai

(続)閔妃の写真はなかった http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuusandai