関東大震災「倉賀野事件」―『現代史資料6』2024/08/20

『現代史資料6』 437頁

 また関東大震災の日が近付いてきました。 昨年は100周年ということもあって、記念行事が多く、またマスコミでも関連記事がたくさん出ていました。 朝鮮人虐殺事件関係の記事も多かったですね。 私も自分なりに資料を集め、下記のように拙ブログで公表しました。 

 その後は新たな資料を見つけていませんが、ネットで検索するかぎり、姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房 1963年10月)という重要資料集に言及する人がほとんどいないことに気付きました。 

 例えば「倉賀野事件」は「朝鮮人」殺害事件として広まっており、議会で追及したり、追悼行事を行なったりまでしているようです。 ところがこの事件の被害者は、『現代史資料6』によれば朝鮮人ではなく「内地人(日本人)」になっています。 そのページ部分をスキャンして↑のように提示しました。 図をクリックすると、拡大して読みやすくなります。 左端の赤線で囲んだものが「倉賀野事件」です。

 しかし「倉賀野事件」に関するネット記事を読む限り、ほとんどが被害者は「朝鮮人」と断定しています。 なお一つだけ例外的に「青森県人らしい」とする記事があります。 そしてこれも含めて全てがこの『資料集6』に言及していません。 おそらく『資料集6』を知らないか、知っていても読んでいないのではないかと思われます。

 この資料集は60年前に刊行されたもので、関東大震災朝鮮人虐殺研究に重要とされてきました。 またこの本は大学や主要図書館に所蔵されているはずのものです。 被害者を「朝鮮人」とするにしろ「日本人」とするにしろ、まずはその前にこの本の検討をせねばならないと思うのですが、そのような形跡が全く見えず、いかがなものかと疑問を抱くところです。 

関東大震災「倉賀野事件」-被害者は日本人では‥ https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/10/9674631

  【関東大震災に関する拙稿参照】

関東大震災―自警団は警察も襲撃した https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/10/9616540

関東大震災―自警団を擁護した政治家の発言 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/15/9617769

朝鮮人虐殺事件―自警団の言い分  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/05/9615245

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/31/9613843

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/26/9612591

関東大震災―朝鮮人虐殺 寄居事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/21/9611387

関東大震災の日本人虐殺     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314

  【追記】

 今回、『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』の437頁をスキャンして提示しました↑。 自警団らが朝鮮人と誤認して日本人を殺傷した事件の一覧表の一部です。 このページの左端の赤線で囲んだ部分が「倉賀野事件」ですが、右端から二つ目に「福田村事件」が記載されています。 この事件も日本人が誤認されて多数殺されたもので、昨年この事件が映画化されて話題になりました。

 ↑スキャン図が読みにくければ、クリックして拡大してください。

コメント

_ 竹並 ― 2024/08/20 19:11

過去の投稿への補足、追記ご容赦ください。

貴稿「関東大震災 - 自警団は警察も襲撃した」への拙コメント(竹並 - 2023/09/12 12:47)の中で、地元民の但馬オサム氏が(口頭で)震災時の朴春琴の活躍を述べています(=あいさつ(動画 2:13 - 3:05)但馬オサム 文筆人:2022/9/1)。

この朴春琴(後に衆議院議員…)の活動を讃えた(当時の)印刷物=資料が「そよ風」ブログに掲載されていましたので、ご高覧に供します。
     ----- ↓ -----
[なぜ無視するのだ。 震災時、内地人と朝鮮人が助け合ったというこ(と)を]
 6,000人 大虐殺の最中に朝鮮では義援金? ありえん。

 但馬オサム氏 note より引用
 【雑誌ページの写真あり】

「鮮人の奇特な行為」
鮮人の中には涙をもって称賛すべき奇特な行為をしたものも少なくない。

本所〇町に住んでいる一老婆があった地震と同時に彼女の家は一面の猛火に包まれてしまった。
一家は危急の際とて四方に離散してしまったが何しろ彼女は六十二歳といふ老体なので、逃げるにも逃げられるしているとところへ、一人の鮮人が通りかかって、彼女を助け起し、数日間彼女をいたはっていたが、鮮人自身の身が危険を感じて来たので、彼女を芝の親戚の家へ送り届けていづくとなく立ち去って行った。
危いところで、一命を助かることを得た老婆は、親切なるかの鮮人の厚意に感激して深く感謝しているといふことである。

また東京在住の鮮人団体 相愛会では、日本人の誤解を解くためと、この際を期して人心融和、日鮮親善の質を挙げるべく、朴春琴、李起東両氏の指揮で、三百名の鮮人が市内の焼跡の取片付を、無償で各方面の入りに応じて行っているということである。

 「主婦之友・東京大震大火画報」大正12年10月
     ・・・・・
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51958389.html

_ 竹並 ― 2024/08/21 22:49

結果的に、前の話の続き:「朴春琴(のちの衆議院議員)」の率いる「相愛会」の(film)映像の話になってしまうんですが、ご容赦。

僕は「note」の意味が分からず、「但馬オサム」氏のサイトをクリックしまくっていたら…
「震災」の直後に「社会奉仕」の幟(のぼり)旗を掲げて、瓦礫の整理に活躍する「相愛會(会)」のメンバーの様子がバッチリ、映像として記録されていて、これにはチョッと驚きました。

 【【全篇】『關東大震大火實況』(1923年)|「関東大震災映像デジタルアーカイブ」より ‘Films of the Great Kanto Earthquake of 1923’国立映画アーカイ https://www.youtube.com/watch?v=eRBwkD0-QAU&t=2362s

上のyoutubeアドレスをクリックすると、白い(夏季制服)の警官に先導・護衛されて、集団で社会奉仕-活動する「相愛会」の映像(動画 38:27 - 39:50)が見れます。
(動画 26:04 - 26:36、には「自警団」の映像もあります)

引用元は、「時代錯誤の韓国映画『朝鮮人女工の歌』(조선인 여공의 노래)... 映画は何故「相愛会」を批判するのか」という、但馬オサム氏の「noto」で、現在、韓国では、朴春琴(帝国議会の代議士)や「相愛會」や戦前の日本が、どうイメージされているのかというエッセイですね。
https://note.com/daishi100/n/nf94caad0b12b
     ----- ↓ -----
[2.映画が「相愛会」を中傷するのは何故?]
朝鮮日報には下記の記述がありました。

引用文【手数料名目で女工たちのお金を横取りし、性的搾取や暴力をためらわない朝鮮人団体「相愛会」】

「相愛会」(そうあいかい) は、日韓の歴史問題、特に、“関東大震災の朝鮮人虐殺”を調べている者なら、よく知られた団体で、後に朝鮮人として(創氏改名もせずに!)国会議員になった朴春琴(パク・チュングム/ぼく しゅんきん) が創設した団体です。
そのスローガンは『内戦融和』。
つまり、親日的な朝鮮人の団体です。

【全篇】『關東大震大火實況』(1923年)|「関東大震災映像デジタルアーカイブ」より ‘Films of the Great Kanto Earthquake of 1923’国立映画アーカイ リンク先アドレス

上の画像に映る笑顔の人達は、関東大震災の瓦礫除去のボランティアをする「相愛会」のメンバー。
朝鮮人に対する日本人の悪感情を解消しようと、李起東-会長と朴春琴-副会長を東京市役所に呼んで、社会奉仕活動をしたらどうかと提案した事により実現したものです。
.

_ 辻本 ― 2024/08/21 23:43

>後に朝鮮人として(創氏改名もせずに!)国会議員になった朴春琴

 創氏改名をしなかったというのは間違い。 朴春琴は創氏改名後も「朴春琴」です。
 創氏には設定創氏と法定創氏の二種類があり、朴春琴は法定創氏をしました。

>『内戦融和』

 内鮮融和です。

_ 竹並 ― 2024/08/28 10:38

昭和50年代の終わり頃は、東京・日本橋で従業員 4、50人の理化学機器の輸入商社に勤めてたんですが、同世代(団塊)の「在日」の同僚がいて、もう一人、団塊世代の同僚と合わせて3人で仲良くしていました。
住んでた荒川区で借りていた部屋には、部屋番号がなかったので、郵便の配達の便を考えて、(僕の)部屋に「般若房」という表札を掛けていました。
「般若心経」を文庫本などで読んでいて、「般若=パンニャー、知恵」という意味を知っていて、気に入ってたからですね。

すると、その「在日」の同僚が(仏教に知識があったらしくて…)東洋人には「救いは西方から来る」という思想があるとか何とか、蘊蓄を披露したんですが、ついでに(今にして、再構成すれば…)「北朝鮮の金日成なんか、在日は知らなかった。 有名だったのは、金天海(きん=てんかい)だ」と言っていたように思います。
その当時、(僕は)「金日成」という名前は知っていたし、岩波新書『朝鮮』(金 達寿) も(少なくとも)本を手に取ったことはありましたが、「金天海」と言われても、「天海和尚」とか、将軍家ご落胤の「天一坊事件」しか思いつかなかった。

僕が「金天海」について、知ったのは、最近になって「南牛= 安部桂司」のブログに接してからですね。
「関東大震災」101周年、某筋の人々にとっては「虐殺」101周年なんですが、一般に(例えば、ブログ「大石英司の代替空港」とか)「金天海」の名前が(全く)出て来ないことを、いぶかしく思っています。

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