韓国愛唱歌「セノヤ」の語源は日本である(2) ― 2024/09/04
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/30/9712922 の続きです。 https://www.youtube.com/watch?v=V1biWA3h4I4&t=20s の翻訳です。
「せのや」が日本語? (4:44)
先ずはこの言葉が日本語だと指摘した論稿を見ましょう。 2012年10月26日付けハンギョレ新聞に載ったコラムです。 筆者は当時のカン・ジェヒョン アナウンサーです。 「『せのや』が日本語である事実は、民謡の取材をしながら知るようになった。 『せのや』は日本の漁夫たちが網を引きながら歌っていた舟歌のリフレーンだ。 南海地域で取材した色んな資料を分析すれば、東に行けば行くほど日本語が多くなる。 『せのや』が我が国の言葉ではないことは確実である。」
この文を書いた、当時のカン・ジェヒョン アナウンサーはこのように付け加えました。 「高銀氏が生まれ育った所は全羅北道の群山市だ。 子供の時に聞いた網を打つ声の根源が日本であることを知らなかったのだろう。 網を引き、音頭を取った楽しい声『せのや』は後日に詩となり、うら悲しさが滴る歌としてよみがえった。」
「セノヤ」は私たちの情緒に色濃く盛り込まれている歌であり、一般大衆は意味を知らなくても歌詞に出てくる「せの」が当然に自分たちの情緒と深い関係の言葉だと思っていたでしょうから、驚いたでしょう。 何しろ高銀は民族主義を代弁する代表的な詩人なのですから。
〝みんながよく歌っている「セノヤ」は実は日本語だった″と指摘した10月26日付けのハンギョレ新聞記事というのは https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/557528.html です。 作詞の高銀さんはこれに驚いたのか、さっそく反論します。
そこで詩人の高銀は、その5日後の2012年11月1日に寄稿して、「セノヤ」という詩を作った経緯を明らかにしたのです。 高銀のこの文は次のように始まります。 「これは反駁文ではない。 1960年末に、私が酔っている時に即興で一気に書き下ろした詩『セノヤ』について事情を明らかにする。」 高銀はこの寄稿文で説明します。
この高銀さんの「寄稿文」は既述しましたが、 https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/558412.html です。
「日帝強占期の間、私たちの母国語は禁止されただけでなく、それから以降も多くの傷と汚染、そしてあの支配言語の残滓が母国語に介入しているのである。 いや近代語の場合、日本語の造語をそのまま受け入れた事実をあえて隠すこともない。 私たちの言語の一部には、古代には中国の影響を受け、近代には日本の影響を受けていることは事実だ。 後日、私は日本の九州を旅行して、九州の海岸の漁夫の家で、また『せのや』に出会った。」
高銀は日本の九州でも「せのや」を聞いたというのですが、その次が問題です。 「南海地方一帯の言語は、当時は韓国語とか日本語とかの区別があるのではなく、古代韓国語が日本に渡って行ったという明白な事実が、日本語の起源についての絶対条件であり前提である。 だから南海のこっち側である韓国と向こう側の日本とで、海上言語として長い間共同使用されてきたのだ。 こんな事例でなくても、甚だしくは古代エジプト語(!)が韓国語に土着化した。 満州語の場合も少なくない。 私は「せのや」が日本語だと断定することを躊躇する。 それは公海上の興趣のある古代韓国語であり、今は国際語としての言葉だというものだ。」
上述の高銀さんの寄稿文には、確かに「古代エジプト語」が出てきますねえ。
韓国では、古代エジプト語と韓国語との共通点を探して韓国語の起源を探るという研究者がいるようです。 検索してみれば、ごく少数ですがヒットします。 高銀さんは言語というものは世界各地の言語が混じり合うものだと言いたかったのでしょうが、古代エジプト語を持ち出すとはねえ。 スケールが大きいというか、誇大妄想が激しいというか‥‥。
高銀が言っている要旨は、植民地時代に入ってきた日本語が今も残ることはあり得るが、この「せのや」こそが古代韓国語が日本に渡って公海上で国際語になったという話です。 お分かりになるでしょう。 1000年前なのか2000年前なのか分かりませんが、朝鮮半島で使っていた「せのや」という言葉が海を渡って日本に行って、日本の漁夫たちが使うようになり、その「せのや」が植民地時代にまた朝鮮半島の漁夫たちに伝わって一緒に使うようになっているので、日本語ではないということでしょう。
それでは、これは何ですか? 日本で話題となった芸能番組です。(9:34) ここで女性を引っ張りながら、男と女が何と言っているか聞いてみましょう。 「せえの」。 これは「영차」という意味です。 高銀の論理によれば、この「せえの」は朝鮮半島の漁夫たちが日本の漁夫たちに教えてあげた「せのら」という表現がいつの間にか日本人に伝わって、日本の芸能番組にまで登場するようになったということになります。
「せえの」は日本語の掛け声であるのは、われわれ日本人にはごく常識ですが、韓国人には説明が必要ですね。 (続く)
韓国愛唱歌「セノヤ」の語源は日本である(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/30/9712922
コメント
_ (未記入) ― 2024/09/04 14:49
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この絶対条件であり前提」という表現が科学的ではないですよね。とっても思想的。歴史を議論する意味がない。