金時鐘氏への疑問(14)―吹田事件 ― 2025/06/18
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/13/9782053 の続きです。
㉑ 吹田事件 ―デモ隊は十三大橋を渡ったのか
「吹田事件」というのは1952年に共産党が起こした三大騒擾事件の一つで、金時鐘さんはこれに参加しました。 朝鮮戦争に向かう米軍の軍事物資を載せた列車は吹田操車場を通るので、これを阻止するために、豊中にある大阪大学キャンパスに1000人(一説では3000人)ほどが集まり、深夜にデモを開始します。 デモ隊は二手に分かれました。 一つはそこから操車場までデモ行進し右翼や反動人士宅を襲撃しながら進む「山越え部隊」と、もう一つは阪急石橋駅から電車に乗って行く「人民電車部隊」です。 金さんは山越え部隊に入りました。
待兼山で徹夜して、山越え組についていきまして、石橋駅で人民列車を走らせて、吹田操車場でデモを起こして、列車を遅延させます。 待兼山を出て山越えする間、まず吹田操車場にくるとき、もうすでに、機動隊の大部隊が、私の一番しんがりの、ものの30メートルくらいの距離を、ビシッとついてくるんですね。 ‥‥ 吹田事件のあんだけ勇ましい活動をよくやった友人たちがいるなかで、私はずっと、吹田操車場にきて、迫ってくる警官を、(大便を)たらしもって見て走って、たらしもって見て走った。 (「吹田事件・わが青春のとき」 『わが生と詩』岩波書店 2004年10月 所収 127・130頁)
金さんは途中で激しい下痢に襲われたため、操車場で列車を阻止する活動は十分にはできなかったようです。 それからデモ隊は操車場から大阪(梅田)へ移動するのですが、金さんは次のように記します。
私は十三大橋をデモで渡って、梅田に行ったときはもう、機動隊は梅田界隈で厳戒態勢に入ってましたね。 梅田では大掛かりな検束が始まるのですが、それを振り切って、今の環状線、当時は城東線といいましたが、それに乗るために、つまり満員電車に入り込むことが検束から逃れられるというふうに、私らは踏んどったものですから、大方は最寄りの東口、城東線めがけて土石流のように駆け上がった。 後から追っかけてきた警官と、あの顔は、いまだに忘れられない。
私は非常にずるい。 まあ経験もあったものですから、梅田を東口、中央口からは、上がりませんでした。 私は「マルセ(共産党民戦の実力組織である祖国防衛隊の機関紙名)」の写真をやっている青年と、あの当時、北側に貨物駅があったんですが、貨物駅に沿って、中央郵便局の方に回りまして、そこからホームに上がったんです。 上がったら、もう修羅場でした。 水平にピストルを撃つのを見ました。 吹田操車場から十三大橋に向かう途中、私たちの隊列に沿って走り抜けようとした機動隊の無蓋トラックに隊列の中から火炎瓶を投げつけられて、その家族の人には申し訳ないけど、それこそ芋ころが転がり落ちるように5、6人の警官が火だるまになってこぼれ落ちていましたね。 (以上、同上131~132頁)
夫徳秀さんは当時、組織されたばかりの略称ミネチョン、民主愛国青年同盟の大阪府委員長で、あの梅田到着まで十三大橋を渡ってデモをした先頭におりました。 ‥‥ 私はデモ隊の一番後ろの部隊にいました (同上 122頁)
ここに「十三大橋をデモで渡って」「吹田操車場から十三大橋に向かう途中」と出てきます。 あれー?! 吹田操車場から十三大橋までは一本道はなく、遠回りして行かねばならないはずです。 吹田から梅田(大阪駅)までは地図上の直線距離でも8キロですから、十三大橋回りの道を歩くならば十数キロになります。 前日の深夜に出発して夜通しデモ行進し続け、早朝に操車場に着いて乱入するなどの列車妨害活動した後、さらに梅田まで十数キロを集団でデモするなんて、いくら血気にはやる若者たちといっても無理ではないかと思いました。 ましてや金さんは、激しい下痢で体調を崩していたのです。
このデモ隊の先頭だったという夫徳秀さんは事件の首魁として逮捕・起訴された方ですが、次のように語っています。
それから吹田操車場の北側に出て、今度は大阪の目抜き通りの御堂筋で朝鮮戦争反対デモをやろうと、国鉄吹田駅から列車で向かうことになった。 ‥‥ 吹田駅での混乱をくぐり抜けて、わたしらは列車で大阪駅に移動したんやけど、その大阪駅でも警官がピストルで威嚇しながら、デモ参加者を逮捕しようとしたんや。 (『在日一世の記憶』集英社新書 2008年10月 560頁)
やはりデモ隊は近くの吹田駅で列車に乗り込んで梅田(大阪)まで行ったのであり、十三大橋を渡らなかったのです。 ここは金時鐘さんの間違いでしょう。
些細なことであっても事実関係の間違いが一つでもあれば、他にも間違いがあるだろうと考えられて、全体の信用を失いかねません。 (続く)
【金時鐘氏に関する拙稿】
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