金時鐘氏への疑問(15)―ハングル ― 2025/06/23
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/18/9783181 の続きです。
㉒ ハングルを全く知らない訳がないのだが
金時鐘さんは植民地時代に小学校(当時は普通学校、後に国民学校)に通います。 その時の学校には「朝鮮語」の授業がありました。
小学課程の普通学校2年生まで、日本の年代では「支那事変」と言われた中日戦争が始まったあくる年の昭和13年まで、週1時限の朝鮮語の授業がありました。 たしか1年生のときは週2時限だったと記憶します (『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 7~8頁)
あれは確か「朝鮮語」の教科書がなくなる年のまえの年、普通学校1年2学期の期末試験のときのことでした。 当時はどの教科の一つでも欠点になると「落第」、今で言う原級留置になりますので、試験となると皆の目の色が変わるほど緊張したものです。 (同上 9~10頁)
昭和13年(1938)の第三次教育令までは、朝鮮語は必修科目でした。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/12/8971509 成績が悪ければ落第になりますから、金時鐘さんは一生懸命に朝鮮語を勉強しただろうと思われます。 彼はその時に出た試験問題を、80年近く経った今でも覚えていると言います。
なぜかそのとき(普通学校1年2学期の期末試験)の試験問題の文句だけはたがえることなく今でもそらんじられるのです。 それは次のような文句です。
ファチョド、シモッスムニダ。 チャンチルル、ハプシダ。
これは「草花も植えました。 宴をしましょう」と訳せますが、子どものままごと遊びを表わした教材のひとくだりです。 そのくだりがところどころ虫食いになっていまして、そこへ答えの文字を入れる問題でしたけど、どうしたわけか「宴」というときのチャンチの「ン」を書き入れていなかったのです。 少なくとも私は意識して抜け落としたのではありません。 この「ン」の響きは「あんない」というときの「ン」に相当する前舌鼻恩の終声子音ですが、このN音を抜かしてしまうと、ご婦人方には説明しにくい「チアヂ」をしましょう、となる。 あからさまに言えば「オチンチンをしましょう」、つまり「情事をしましょう」ということになってしまうのです。 (以上、同上 10・11頁)
この時の試験問題は「화초도 심었습니다. 잔치를 합시다」ですね。 これは当時の朝鮮全土および現代韓国でも通用する朝鮮標準語で、周辺社会の日常会話である済州方言ではありません。 現代韓国語辞書を引けば、「チャンチ」とは「잔치」、これからパッチムの「ン(ㄴ)」を落とした「チアヂ」は「자지」となり、「オチンチン」の意味になります。 細かいことを言えば「지」と「치」が違うのですが、問題にはならないようです。
金時鐘さんの年譜(『朝鮮と日本に生きる』292頁)によれば、1937年に「普通学校に入学」とありますので、この試験は7歳か8歳のときになります。 このように彼は小学1年でハングル文字の字面を追うだけでなく、一区切りの文章ならその内容を理解して読み書きできたのでした。 落第しないように勉強した朝鮮語で、しかもその時の試験で出された問題と自分が書いた回答を80年経った今でも覚えているというのですから、ハングルを忘れている訳がないと思うのですが‥‥。
ところが金さんは17歳で1945年の敗戦=朝鮮の解放を迎えた際に、自分は「それまでハングルが全く書けなかった」と言っておられるのです。
朝鮮で生まれ育っていながら、ハングルではアイウエオのア一つ書けない私でした
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO33039940X10C18A7BE0P00/
私が朝鮮人に立ち返ったのは17歳のときだった。 ‥‥ なにしろその齢になるまでアの字ひとつ、朝鮮文字では書けない皇国少年の私だったのだ。 (『わが生と詩』岩波書店 35頁)
ここでは例を二つだけ挙げましたが、「朝鮮文字のアイウエオのアも書けない」という一文は彼の著書の他のところでもいっぱい出てきて、まるでキャッチコピーのような感があります。
一方、金さんの父親は
『朝日』『毎日』といった日刊新聞まで取り寄せて読む人だったけれども、日本語を使わない。 (同上 203頁)
解放されるまで父は、かなりの日本語の蓄えをもっていながら家族にはついぞ、日本語を口にはしませんでした。 (『朝鮮と日本に生きる』 19頁)
とありますように、日本語は読めるのに使わず、朝鮮語だけを使っていました。 「皇国少年」だった金さんは出来る限り日本語を使っていたといいますが、寡黙な父親との数少ない会話は朝鮮語だったでしょうし、日本語を話せない母親とも朝鮮語で会話していたはずです。
なお父親は北朝鮮の元山出身で、済州島には1930年代後半に息子の金時鐘さんが4・5歳ぐらいの時に来島したようですので、しゃべる朝鮮語は済州方言ではあり得ません。 おそらく朝鮮全土で通用する朝鮮標準語(書き言葉をそのまま喋り言葉とする)だったでしょう。 なお父親は北朝鮮から越南してきた西北青年団と親しかったといいますから、言葉には朝鮮北部のイントネーションが混じる方言だったのではないかと思われます。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477
植民地時代の朝鮮人には義務教育はなく、就学率は男子40%、女子10%ほどでしたから、大多数の朝鮮人は日本語の読み書きや会話が出来ませんでした。 ですから金さんは両親だけでなく、親戚や近所とは朝鮮語で会話を交わし続けてきたはずです。 また友達たちとも学校外では朝鮮語で話していました。
近所の悪童たちから時によって大人までも、パウ(金さんの幼名)の私に出会うと申し合わせたように手を打って囃したてるのです。 「パウよパウよ鉄のパウよ、日が暮れかかる鐘鳴らせ、カンカンカン!」 私はむきになって誰彼かまわず突っかかっていきます (『朝鮮と日本に生きる』23頁)
誰もこの少年(同級生の李行萬)を名前で呼ばないのです。 いつも「ナㇰチェトンイ」(落第坊主)と呼ばれていました。 (同上 61頁)
ここに出てくる「パウよパウよ‥‥」の囃し言葉や「ナㇰチェトンイ」というあだ名は明らかに朝鮮語です。 つまり金さんは朝鮮語を聞くことも喋ることもできたのでした。 しかも小学1・2年の時は学校で朝鮮語を学んでいて、ハングルの読み書きができていたのです。 また植民地下でも朝鮮では商店の看板などにハングルが書かれているなど、ハングルを目にする機会は多かったはずです。 ですから彼にとって解放後の朝鮮語の勉強はそれほど難しくなかったと思われます。
ところが彼は「朝鮮文字のアイウエオのアも書けない」として、「それこそ壁に爪をたてる思いで自分の国の言葉と文字を覚えました」「壁に爪をたてる思いで身につけた朝鮮語」(『わが生と詩』 8・10・35・68頁)と記しています。
ここだけでなく他のところでも「壁に爪をたてる思い」という言葉を何度も繰り返し使っておられます。 これは慣用句か諺のようですが、日本語や韓国語の辞典には載っていません。 創価学会の池田大作さんが著書『人間革命』で「岩に爪を立てる思い」という言い方をしていたので、金さんはこれに影響されて「岩」を「壁」に変えたのでしょうか。 まさか〝隠れ創価”ではないと思うのですが‥‥。
「壁に爪をたてる思い」は〝血のにじむような努力”という意味と考えられますが、私には猫が家の壁に爪をといでいるとか、囚人が監獄の壁をかきむしる拘禁反応なんかを連想してしまうので、どんな「思い」なのか、ちょっと理解が行かないところです。 (続く)
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