朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(1)2025/11/26

 今回は、朝鮮人は創氏改名より以前にすでに日本名を名乗っていた、というお話です。

 日本が植民地時代の朝鮮に施行した「創氏改名」は、民族性を否定するために朝鮮人から名前を奪って日本名を強制したということで、評判が非常に悪いですね。 だからでしょうか、今日在日が通名(日本名)を名乗るのはこの「創氏改名」があったからだと言う人が多いです。 つまり、朝鮮人はそれまでは民族名だったのに、創氏改名以降に日本名を名乗らされるようになった、つまり日本が朝鮮人に日本名を強制した、と言われるようになりました。 植民地主義の日本は朝鮮人の民族性を否定するために1940年の創氏改名によって在日に日本名を強制的に名乗らせた、というものです。

 そこで通名(日本名)を名乗る在日は悪辣非道な日本の植民地史を引きずっている、だから在日は本名(民族名)を名乗って民族性を取り戻さねばならないと主張が出てきましたし、今もそう考える人が多いようです。 かつては在日が本名を名乗りさえしていれば、それだけで民族の誇りを有する素晴らしい人だなんて称賛する活動家がいましたね。

このようにして在日の歴史を学んだ人は、在日は1940年の創氏改名までは日本名を使わず民族名だけを使っていた、という歴史像を持つようになります。 ところが実は、在日は来日したら強制されるのではなく日本名を自ら進んで名乗る人が多かったという事実があったのでした。 そして1940年になって創氏改名という法的強制によって、新たな日本名を使うようになったというのが歴史事実でした。

 創氏改名の届け出は戸主の権限で、普通は故郷にいる祖父か父親です。 つまり故郷にいる戸主が創氏改名の新たな名前を定めて役場(面事務所など)届け出てから、それを日本にいる息子たちに通知します。 そして在日はそれまで名乗っていた日本名ではなく、故郷から通知された新たな創氏改名の名前を使うようになりました。 その例を探してみました。

 まずは李秀渕という方を見てみましょう。 李さんの生い立ちは1907年生まれ、1924年来日、1926年以降三重県桑名で鋳物師として働いてこられました。 『ポッタリひとつで海を越えて』という本に、その経緯が書かれてありました。

この時期(1940年以前)はまだ創氏改名以前だったが、「チョーセンジン」と言われ差別もあったので、秀渕は「小西重雄」と名乗り、周りから「小西のおっちゃん」と呼ばれていた。 (小泉和子編著『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版 2024年9月 36頁)

1939年の創氏改名により、40年以降は李家では「廣本」という姓を使うようになる。 ‥‥「廣本」という日本名は本貫の「廣州」からとったもの (同上 39・41頁)

 李秀渕さんは来日して「小西」という名前を便宜的に使っていましたが、1939年の創氏改名令の公布および翌40年同令の施行により故郷から「廣本」という新たな名前を通知され、それ以降「廣本」を使うようになりました。 ここで注意すべきは、最初に名乗っていた「小西」は強制されたものではないということです。 後の「廣本」が創氏改名という法的強制による名前です。 李さんは戦後に鋳物工場を立ち上げ、「廣本鋳造所」として手広く会社を経営しました。 創氏改名は法的強制でしたが、それ以前から日本名を名乗っていた在日には被害意識はなく、強制された名前をそのまま受け入れたのでした。

 

 作家の飯尾憲士(1926年生まれ)は父親が朝鮮人でした。 父親の名前は次のように記録されています。

飯尾憲士の「ソウルの位牌」に出てくる父の位牌には「春厳慈弘信士―俗名飯尾弘」と日本の戒名および通名があるだけで、本名は刻まれていない。 それが、歴史に翻弄された生涯を語るように姜、江崎(創氏改名)、松田(渡日のとき)、飯尾(妻の姓)の四つの姓をもった父親の終の名前であった。 (『ポッタリひとつで海を越えて』 233頁)

 本名は「姜」ですが、来日した時は「松田」、1940年の創氏改名時は「江崎」、その後は日本人の妻の名前である「飯尾」を名乗ったわけです。 ここでも、創氏改名より以前から日本名を名乗りはじめており、日本名をいろいろ変えながら使ってきたのでした。

 

 毎日新聞の記事で、曺弘利さんという方の祖父が来日した時の様子を次のように記しています。

曺さんの祖父、曺秉元(ピョンウォン)さん ‥‥ そんな折、日本人の手配師から持ちかけられる。 「日本で1年も働けば、家の1軒ぐらいは建てられる」。 秉元さんは話にのる。 ちょうど100年前、1920年のこと。 行き先は福岡・飯塚の炭鉱だった。創氏改名で「中山八郎」と名乗った。  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

 毎日の記者は朝鮮史の知識がないために、1920年に創氏改名があったというトンデモない間違いを犯しています。 この記事は朝鮮人が来日すると直ぐに「中川八郎」という日本名を名乗り出したという事実を示すもので、その後20年経って1940年に施行された創氏改名とは全く関係ありません。 ここでも、朝鮮人は来日すると早い段階で日本名を名乗り始めたことが確認できます。     (続く)

【関連の拙稿】

在日の通名使用の歴史は古い    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

コメント

_ 菜々子 ― 2025/11/26 07:54

帰化者に対する扱いもそうですが、通名使用の問題も一周(半周?)回って右の人も左の人も同じ事を言うとは知りませんでした。

_ 海苔訓六 ― 2025/11/28 15:28

私も、金玉均も1940年よりも前、日本名を自発的に名乗っていたし、多くの朝鮮人が自発的に日本名を使っていたのに
何故創氏改名だけが批判されるのか?疑問だったのでAIに質問してみたら
「国家による強制は批判されるけど、個人が自発的にやったことなら批判されるにはあたらない」と回答もらいました。
AIもそういう認識なんですが今回のブログ記事読んで驚いたのが人間は1940年以前から創氏改名が強制されていたと思い込んで記事を書く識者もいるということでした。
AIに完全に抜かれてますね。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック