在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(2) ― 2026/01/29
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164 の続きです。
植民地時代の在日朝鮮人は葬送を実際にどのようにしたのか、作家の金達寿は著書『わがアリランの歌』に父親の死の際のことに触れています。 金達寿の家はもともと地主で資産家でしたが、父親は遊郭に入り浸って散財したため先祖からの土地を手放し、先に日本に行っていた叔父を頼って日本で働いて故郷に仕送りすることになりました。 その時、父親は長兄と妹を日本に連れていき、次兄と達寿の二人の子は祖母に残したといいます。 1925年の時でした。
祖母と私とは間遠になった日本からの仕送りを待って暮らしていた。 そして次兄の良寿が死んで半年か、1年たったであろうか、するとこんどはその日本から、「チチシンダ‥‥」という電報が届けられてきた。 父たちが日本へ渡って3年ほどがたった、1928年9月のことだった。 ‥‥1年もたっていなかったつい先には孫(次兄の良寿)を亡くし、ついでこんどは、一家離散となって日本に渡っている息子にまで死なれた祖母は、一夜のうちに髪が真っ白になってしまった (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 14頁)
しばらくすると、それまでは知らなかった親戚で叔父にあたるという人が、日本から遺骨を運んで来た。 次兄の良寿のときと同じように、また集落の人たちや、あちこちの親戚たちが集まって葬式がおこなわれ、父は馬山の近くにあった檜城の先山(ソンサン―祖先の墓があるところ)に葬られた。 (同上 14~15頁)
金達寿の父親は日本で亡くなり、火葬されたことが分かります。 そして遺骨が故郷に帰り、通常通りの葬儀が執り行われたのでした。 そこには土葬に対する強いこだわりというものがありません。 つまり土葬か火葬かについて、朝鮮社会は柔軟な考え方になっていたと言えるでしょう。 しかし祖母は少し違っていました。
祖母はまえからも言っていたことであるが、日本へ行って死ねば「死体は焼かれるから」と言って聞き入れなかったのである。 (同上 30頁)
祖母は〝日本では死ねば火葬されるから”といって日本行きを拒否したのでした。 このあたりの話を聞くと私は30年ほど前の1990年代ですが、近くの農村地帯で周りはすべて火葬となっていたのに一人のお年寄りが「自分は死んだら土に返る、火葬は絶対にイヤ」と遺言したので土葬となったという話を思い出します。 死んだらどういう世界に行くかという死生観は時代とともに変化するものですが、個人は年を取ってもなかなか変わらないものだということなのでしょう。
在日は戦後(朝鮮の解放後)、葬送をどう行なっていたか、小泉和子『ポッタリひとつで海を越えて』には、次のように記されています。
解放後は葬儀社に頼んで、地域内の寺や葬儀場を会場に葬儀が行われるようになっていく。 その場合、大阪や東京など在日の多い地域では同胞が経営する葬儀社に頼み、朝鮮の伝統にのっとった葬儀を行なう人もいるが、多くは、日本の葬儀社や葬儀場を使い、内容の一部に朝鮮式を入れるというのが一般的であった。 例えば遺族は白喪服を着たり、哭をしたり、朝鮮の供物を並べたり、戒名をつけないなどである。
墓については、故郷の墓に納骨する人もいたが、しばらく日本にある朝鮮寺や日本の寺に遺骨を預ける人が多かった。 その後、1970年代半ば以降になると次第に日本に建てる人が増えていく。 形は日本の墓と同じものが多いが、側面に族譜を綴ったり、墓誌が本名であるいは通名だったり、あるいは家族の中でも祖父母は本名で、両親は通名など、さらには今もまだ寺に預けたままの人も少なくないなど、墓にも在日の置かれている状況の大変さが現れている。 (以上、小泉和子『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版 2024年9月 227~229頁)
白喪服は在日の葬儀で昔にあったと聞きますが、私は見たことがないですね。 祖国の韓国では喪服は今ではほとんど黒になっていますが、伝統を色濃く残す地方では近年まで白喪服、喪主や遺族は麻製の薄黄色の喪服を着たようです。 なお喪主は昔から儒教の伝統により長男に限られます。
今の在日は日本人と同様に黒の喪服を着ており、また女性の喪主も誕生しているという話を聞いたことがあります。 そして日本人と同じく在日もほとんどが火葬となりました。 火葬と喪服、在日はこの点でも日本に同化していると言えそうです。
しかし民族の伝統の土葬にこだわる人がごく僅かにいるようで、そういう人のために土葬も可能な霊園を経営している韓国系のお寺が京都にあります。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102 なお本来の民族伝統では、土葬する時に棺担ぎ(상여꾼)が鐘や太鼓を叩いて歌(상여소리)を歌いながら棺を運んで埋葬するのです(下記参照)が、この韓国系寺院の霊園でもやっていることなのか、そこはよく分かりません。 しかし今どき棺担ぎはいくら民族を大事にするとしても、在日には存在しないだろうと思います。
以上見てきたように、今の在日韓国・朝鮮人は葬送儀礼でも民族の伝統をそのまま持ち込まず、一部の民族主義者が寿衣(死装束)などに民族の痕跡を残す程度で、大まかに言って葬礼は日本に同化してきました。
とすると今の日本で物議を醸しているイスラム教徒たちの土葬を含む葬送問題を考える上で、在日の葬法の100年の歴史は参考になるのではないでしょうか。 この問題は早急に結論を求めるのではなく、100年単位で考えながら、最終的に彼らが同化する方向で解決を探るべきだというのが私の考えです。
ありていに言えば、イスラム教徒に土葬を禁止して火葬を要求することは、彼らには宗教を捨てることを強要されているという意味に受け取られて摩擦が生じ、時には対立するまでに至ります。 しかし彼らも日本で亡くなれば、たとえ嫌であっても経済的な理由などで今のところ火葬するしかないことを理解しています。 なにしろ日本では外国人が土葬できる霊園が余りにも少なく、また遺体を故国に送るには多額の費用がかかりますから。
ということで私の考えでは、彼らには今の日本の現状を説明して火葬を自然に受け入れてもらえるように気長に待つしかないだろう、ということです。 イスラム教徒が土葬できる霊園がもっとたくさん増えればいいのですがねえ。 あるいはシンガポールのように、土葬は認めているが埋葬期間を15年と定め、それを過ぎると掘り起こして火葬等に改葬する方式(再埋葬もあるが、やはり15年という期限がある)が参考になるかも知れません。
要するに、イスラム教徒は日本人にも受け入れられるような葬送文化に変わることが求められており、そうなれば日本人はその新たな葬送文化も自文化の一つとして受け入れて文化の幅を広げるようになるだろう、というのが私の主張です。 (終わり)
【参考】
韓国伝統の葬礼(土葬の棺担ぎ行列)の動画。 喪主や遺族は薄黄色の喪服、参列者は白喪服を着ている。
https://www.youtube.com/watch?v=6w9dXoqTF3E&t=1439s https://www.youtube.com/shorts/77oAR3Ktiwk
【土葬に関する拙稿】
土葬と火葬 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。