古代から続く伝統的葬法「草墳」(5)2026/03/11

東国新続三綱行実図

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035 の続きです。

 古田博司さんの『朝鮮民族を読み解く』という本の中で、「草墳」が触れられているのを見つけました。 李朝時代の「草墳」がどういう状況であったかが書かれています。 参考までに紹介・引用します。 ↑はその93頁にあった挿図で、「草墳に仮庵を設け喪に服す孝子『東国新続三綱行実図』1618年」というキャプションが付けられています。

死ぬと遺体を薦にくるんで、野辺にはこび、あるいは虎や狼の餌食になるのを避けて樹上に放置した。 これを草墳という。

なぜかといえば、そのまま土に埋めると骨が黒く腐ってしまい、霊力が落ちて、子孫に繁栄をもたらさないと信じられていたからである。 乾いてあめ色になった骨が取りたくて放置乾燥したのであった。 この葬法は今日でも、韓国は全羅道の西南海岸部や島嶼などの限られた地域に残っているが、李朝時代は全国的な風習であった。‥‥

さて、人死して、遺体を厳重に薦でくるみ野辺に安置すると、子孫たちは死者を悼んで数日の宴会をした。 これは飲酒肉食の饗宴であった模様である。

約3年後、肉や皮が落ちて遺体が骨だけになると、これを棺桶に入れて初めて埋葬する。 これは今日の韓国では洗骨葬と言っている。 現在の全羅南道西南島嶼部では、入棺のとき、実際に骨を洗い、これをきれいに並べて包むからである。 李朝初期には、このときシャーマンを呼んできて紙銭(これは中国のものと形が異なり、日本神道の御幣のようなものであった)を使って、招魂する。 そして埋葬後、子孫たちはまた大宴会をした。 (以上、古田博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書 1995年1月 94~95頁)

 「そのまま土に埋めると骨が黒く腐ってしまい、霊力が落ちて、子孫に繁栄をもたらさないと信じられていたからである。 乾いてあめ色になった骨が取りたくて放置乾燥したのであった」というのは、どういう資料に基づいているのか分かりません。 ムーダン(巫堂 무당 朝鮮のシャーマンのこと)からそんな話を聞いたのでしょうか。 或いはひょっとして古田さん独自の考え方かも。

飢饉のひどかった1671年、ソウルの藁葬(薦でくくって野辺に曝した遺体。つまり草墳)は6,969体と報告された。 王朝はこれを役夫と僧軍を派遣して全部埋めさせた。 怨磋の声が巷に満ち、民衆は役夫の袖にすがって哭いたと『実録』にある。 翌年にはソウルにあった藁葬を10里の外に出して、埋め込んだ。 その数3,060体。 このたびは役夫に賄賂をやり、埋葬を遅らせるものも出て来たとある。

民衆はついに、年月をかけてよい埋葬地を選べないと悟ると、王陵に隠れて埋め込むようになった。 権勢のある王様の墓は縁起のよい吉地に決まっているからである。 これを偸葬という。 (以上、同上 99~100頁) 

 『李朝実録』という出典が明記されているので、年代や遺体数といった数字は確かでしょう。 李朝時代半ばですが、草墳がどのような実態だったのか、想像するとちょっと怖いですね。

 最後に出てくる「偸葬(투장)」の「偸」は、「盗」と同じ意味です。 王陵だけでなく、領議政(日本の太政大臣に相当)などの権勢家のお墓でも勝手にこっそり埋葬します。 〝李朝時代の庶民のたくましさ”と言えるかも知れませんね。 これは〝父母は「吉地」に葬ってあげてこそ子孫は繁栄する”という儒教の親孝行思想に基づくそうで、それに加えて土地の排他的私権が確立していなかった時代のために〝墓地は自由に定めることができたから”と考えられます。 〝先祖のお墓は子孫が常時管理しておくべきもので、それを怠れば他人に偸(盗)まれる”ということでしょうが、王様や時の権勢家のお墓に自分の親の墓をつくるとは、ちょっと想像を絶する世界ですね。             (終わり)

古代から続く伝統的葬法「草墳」(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684

古代から続く伝統的葬法「草墳」(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659

古代から続く伝統的葬法「草墳」(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734

古代から続く伝統的葬法「草墳」(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035

 

【拙稿参照】

在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164

在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521

土葬と火葬            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074

京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102

コメント

_ 羽柴道三 ― 2026/03/15 11:35

昔の朝鮮半島には熊が生息していたので、樹上に放置しても虎や狼からは防げても、熊の餌食になってしまうと思うのですが、どうなんでしょうかね?
熊は狼などよりは少ないと思うので、多少はマシだったのかな?
この辺りの情報は少ないので、疑問は深まるばかりです。

_ 辻本 ― 2026/03/16 00:35

植民地時代ですが、野犬が草墳の遺体の手や足を咥えて街を歩くという事件があったそうです。
このために総督府は草墳を禁止たという話でした。
確かめられませんでしたが、ありそうな話です。
いくら旧慣尊重といっても、死体遺棄罪に相当すると思われます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック