金銅弥勒菩薩半跏思惟像2006/10/09

 韓国の国宝で著名な半跏思惟像は、よく日本の広隆寺や中宮寺のそれと比較されます。 http://sca.visitseoul.net/korean/buddhism/i_buddhist_image07010.htm しかしこの仏像は朝鮮のどこの寺にあったものなのか、それとも出土品なのか、あるいは中国にあったものなのか、ひょっとして日本から持ち運ばれたものなのか、全く分からないものです。つまり由来が余りにも不明で、実は朝鮮産かどうかも定かではありません。     この仏像は、日韓併合直後の1911年か12年に、朝鮮人骨董商が李王室に売り込みに来て、購入されたものです。従って植民地時代は李王職博物館の所蔵となっていました。   この骨董商がどこから入手したのか、経緯が不明なのです。朝鮮半島内のどこかで出土したものだろうと推測されています。

 久野健『古代朝鮮佛と飛鳥佛』(山川出版社)に次のような記述があります。

>韓国には、この宝冠弥勒(広隆寺の半跏像のこと)ときわめて近い金銅弥勒半跏像が、徳寿宮美術館に伝えられていた。本像は現在ソウル中央博物館に陳列されているが、まことに宝冠の形式から面相まで広隆寺像に近い。この金銅弥勒像の出土地は、あまりはっきりしない。   この像について本像を朝鮮総督府で購入することを勧めた関野貞博士は、慶尚北道の五陵廃寺より出土したと記しているが、確証があるわけではない。この問題について、1969年10月に朝日新聞社の講堂で行なわれた黄寿永教授の「韓国における半跏思惟像の研究」と題する文化講演会は、この金銅弥勒像の出土地についても、一歩進める発表であった。同氏は、従来の諸説を紹介したあと、本像については、1918年に韓国から出た「仏教新報」に稲田春峰という人が「この像は、1910年に忠清南道の僻村から出土したものである」と述べている。黄寿永氏は、先年忠清南道の僻村を調査している時に、ある寺で、稲田氏を知っている高齢の僧に出あい、稲田氏のいっていることなら信用してよいということを聞いた。忠清南道の僻村というと、昔の百済に属するという研究を発表し、興味を惹いた。しかし、最近教授にお目にかかり、この点をたしかめたが、あれは大分前の考え方だと言葉をにごしていた。>

 結局、朝鮮半島から出土したらしいが、どこかは分からない、ということのようです。   日本ではあり得ないことですが、朝鮮では何十cmもある仏像が完形で出土する例があります。従って1mの大きさのこの弥勒像も破損しないまま出土してもおかしくはないのですが、出土場所が不明というのは、どういうことなのでしょうか。

  韓国ではもう少し研究が進展していると思ったのですが、そうでもないようです。  この仏像が朝鮮産、しかも新羅の仏像と断定することは躊躇すべきではないかと思います。