在日の歴史は恥部?!2007/12/01

 東京にある在日韓人歴史資料館の姜徳相館長が次のような発言をしておられます。

>在日の歴史とは、隠された日本の歴史であり、恥部でもある。> http://www.onekoreanews.net/past/2007/200707/news-syakai05_070711.cfm

 自らの歴史を「恥部」と称するのは、いかがなものでしょうか。おそらくはこういう表現をすることによって、日本人に対して逡巡させる意図ではないかと思われます。

 しかし在日にとっては果たしてどうなのでしょうか。

 少なくとも自分たちの歴史が自慢できるものではないことを表明するものでしょう。しかも「恥部」というあまりにも刺激的な言葉なのですから、なおさらです。

古代朝鮮語2007/12/08

> この「私」を表す朝鮮古代語は「吾」を当て、発音は「ナ」です。「サ」ではありません。 >日本の奈良時代に相当する朝鮮三国時代でも同じです。

 この根拠となった資料は何ですか。私は聞いたことがありませんので、ご教示ください。

>新羅時代の郷歌に残されている「吾」で、「ナ」と発音されたようです。 >出典は、『古代朝鮮語と日本語』金 思火+華 明石書店 1998年2月10日、です。

新羅の郷歌は25首ほどしか確認されていないものです。これから古代朝鮮語、しかもその発音まで復元することは不可能です。  「ナ」と発音された、という説はいかがなものかと思います。  なお第一人称を「ナ」と発音したのは、古代日本語にあります。例えば「なおと」は「な」が私、「おと」は弟で、わが弟、という意味になります。  日本語の起源は朝鮮語であるという思い込みから、古代朝鮮語で「吾」は「ナ」であるという説が生じたものと思われます。

>問題は、発音にばかりにあるものではなく、第一人称を「私」と表記したのはいつ頃からかということにあります。 >ということは、第一人称を「私」といったことは、後世のことと考えられます。

 「私」はもともとは「公」に対する言葉であって、一人称ではありません。一人称として使われるようになったのは、日本では中世の終わりころからでしょう。  おそらく朝鮮語でも元来「私」は一人称で使わなかったのではないか、使うとしたら、植民地時代における日本からの影響ではないかと思います。

>なお、現代朝鮮語では「吾」はオ、「我」はアと発音します。 >仮に「吾」が「ナ」でないとしても「サ」ではないでしょう。

 「吾」「我」「私」を「オ」「ア」「サ」と読むのは、漢字の音読みでしょう。問題は朝鮮固有語での読み方です。  古代朝鮮語の固有語として、「吾」を「ナ」と発音したことの証明は不可能であり、同様に「サ」と発音しなかったことの証明も不可能です。

>朝鮮半島の話し言葉って、いつごろから分かっているのか――という事です。

 15世紀の表音文字(訓民正音)より以前の言葉の復元は、かなり困難です。

>古代の朝鮮語が明確に分かっていないといけないと思うのですが、それはいつごろから、どのような文献によってわかるのか? という事です。

 『日本書紀』に古代朝鮮語がいくつか記録されています。比較的まとまった資料となるのはそれぐらいで、あまりにも少ないものです。

>それともう一つ、同じ朝鮮半島でも、地域や時代によってずいぶん違っていたのではないか――とも思うのです。 >こういう事について、定説はできているのでしょうか?

 百済語、新羅語、高句麗語は違うはずですが、資料そのものの数があまりにも少なく、はっきりとしたことは分かりません。  だからこそ、国内の地名が朝鮮由来であるとか、万葉集は朝鮮語で読めるとかいうような、根拠のない悪質な俗説が流行ります。

「差別と闘う」ことへの疑問2007/12/15

>講義の中で大賀氏は、笑いを交えながらこう語っていたことが思い出されます。 >「日本共産党はいう。『何故、部落と呼ばれる地区にだけイイ住宅が次々と建つのか。地区外の市営住宅はオンボロやないか』、と。しかし私に言わせればそれは間違った考え方、ねたみ差別だ、と。我々を批判する方々も(解放住宅に)住んでみたらええんや(ここで一同笑い)」>

 その当時(1970~80年代)は「ねたみ差別」論が盛んに言われていました。  ある同和教育推進校で、一般生徒が部落民の生徒に「あんたらえーねえ。ただで勉強教えてもろて」と発言して、大きな問題になったことがありましたが、これを思い出しました。  当時は解同の言うことはきっと正しいと、私も含めてみんな判断停止状態でしたねえ。

>あっしらは、反差別の「闘い」の為の、行政への要求闘争は、運動の方法論として必要なことだ、と教えられてきました。 >大賀氏は‥我々学生にも、もっとマルクス・レーニンを読め、と強く勧めていました。>

 私もかつては解同に賛成の意見をもっていました。しかしこの行政要求闘争だけは馴染めませんでした。今はすべて馴染めなくなって、かなりの年月が経ちます。

 民闘連に関わった時、行政に「我々は民族差別をなくすためにこれだけ努力している。行政は援助しろ」と要求する闘争に連れていかれました。その終了後に、「運動というのもは自腹でやるものだ。役所にお金を呉れというのは乞食と同じだ。」と言って、非常に怒られたことがありました。

 「反権力」を唱えながら、何故その権力から自分らの運動資金を取ろうとするのか、分かりませんでした。今は昔ですが、こういった思い出があります。

北朝鮮の砧2007/12/22

 韓国では1970年代頃までは砧を打つ風習が残っていましたが、その後は廃れました。  北朝鮮ではおそらくまだ残っているだろうと推測していたのですが、『現代コリア468号』(07年1・2月号)に次のような報告がありました。

>2005年の秋。‥‥長白県の夜、電気がなく真っ暗になった川縁からは「コーン、コーン」という乾いた音が響いていた。北朝鮮の女性が洗濯物を棒で叩く音だった。もの悲しいその音は、夜遅くまで絶えなかった。>   五味洋治「中朝国境で見た北朝鮮の現実」

 これを分析しますと、夜に打ち、さらに乾いた音がしていますので、これは洗濯ではなく砧です。洗濯は昼間にするもので、夜になってある程度乾いた段階で打つのが砧だからです。  乾いた音が「コーン、コーン」としていますので、これは綾巻を使うⅠ型の砧と思われます。Ⅱ型の砧では、トントンという音で、なかなか響き渡るものではありません。  ちなみに叩き洗いの洗濯では、水漬けした衣類ですので、べチャあるいはバシャという音になります。

 川縁から聞えてくるとありますが、これは疑問です。洗濯は川で叩き洗いしますが、砧はこれを持ち帰って家の中で打つものです。川縁に建つ家であれば間違いがないのですが。

 北朝鮮に砧が残っていることは確実なようです。しかも韓国では今や見ることが困難で、日本では全く絶滅したⅠ型の砧ですので、非常に興味深いものです。

 北朝鮮が崩壊する時には、ぜひ資料収集に行きたいものです。

 なお当雑誌の編集後記には「それにしても暗闇の北朝鮮から女性たちの砧を打つ音が聞えてくる描写には胸がつまった。」とあります。

弱者の腐敗2007/12/29

 エリック・ホッファーに次の言葉があります。

「権力は腐敗するとしばしば言われる。しかし、弱さもまた腐敗することを知るのが、等しく重要であろう。権力は少数を腐敗させるが、弱さは多数者を腐敗させる。憎悪、敵意、粗暴、不寛容、猜疑は弱さの所産である。」    (『魂の錬金術』より)

 ここで言う「弱さ」とは、「弱者」「被差別」と言い換えることができます。  そう!弱者の腐敗は多数なのです。  権力の腐敗には糾弾すればいいのですが、それでは、それよりはるかに多数の弱者・被差別者の腐敗には一体どうすればいいのでしょうか?  ちょっと考えさせられる一文です。