土地調査事業2008/04/23

 日韓併合直後の1912年からはじまり、1918年に終了した朝鮮の土地調査事業について、拙論で

「調査事業は私有財産制の確立であって、「土地収奪」ではない。そして韓国の現在の土地所有制度は、この調査事業による新たな制度を継承し発展させた結果であることを強調せねばならない。「土地収奪」は間違いである。」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai

と論じました。2007年11月26日付けの韓国の報道で、これを裏付けるものがありましたので紹介します。

>11月26日17時25分配信 YONHAP NEWS 【ソウル26日聯合】韓国沿海にありながらこれまで地籍公簿(土地台帳・地籍図)に掲載されていなかった島が1419件に上ることがわかった。行政自治部が26日、こうした衛星写真と地籍図などによる調査結果を明らかにした。  韓国の地籍公簿は1910年代に日本により作成されたもので、当時の低い測量技術と苦しい経済事情のため、人が住むには適さない島や規模が小さく経済的価値がない島は公簿に登録されていなかった。行政自治部は2010年までにこれらの島を調査し、地籍公簿に登録する事業を進めていく考えだ。>

 ここでは現在の韓国の土地所有の基礎となる「地籍公簿」の起源が、1910年代に朝鮮総督府で進められた土地調査事業であることを示しています 。  つまり土地調査事業は近代的所有制度の確立であって、だからこそ今日の韓国の土地所有制度に繋がっているのです。  上記で紹介した韓国の報道は、日帝の遺産が今の韓国の基礎となっていることを意味します。

コメント

_ きゃべじん ― 2008/04/26 08:03

日本でも土地所有が近代化されたころには、それまでの入会地や所有者不詳地に入れなくなった住民から「収奪だ」という不平がでましたよね。
韓国で言う「日帝の収奪」ってほとんどが近代化にともない世界のどこでも生じたありふれた摩擦だったのではないかと思います。

_ 辻本 ― 2008/04/29 16:34

 “韓国で言う「日帝の収奪」”は、文字通りに収奪あるいは強奪の意味で使われています。
 このような使い方が、歴史を歪曲するものですね。

_ マイマイ ― 2010/01/09 08:45

書かれている内容に同意できます。祖父一家が戦前戦中20年間日本で定住した原因は「土地調査事業」にあります。私がこのことばを初めて知った当時(30年ほど前)は、やはり「土地収奪」に近い感覚で受け留めたように思います。
数年前から個人的な家の歴史を整理するために資料を読んでいくなかで、異民族の植民地行政によって合法的に行われた「近代的所有制度の確立」と認められるようになっています。
「両班(ヤンバン)の土地には手を出さないだろうと高く構えていたら、あれよあれよという間に失った」この事業が行われたとき10歳から16歳だった祖父が父に伝えた一族が申告手続きを取らなかった理由です。無念さを感じる一方で慶尚道の山間部の故郷を出た祖父のその後の人生を考えると「近代化」の始まりでもあります。「明治維新」のような自民族が主体となった社会改革ができなかった当時の朝鮮半島の国内外の政治・社会情勢が残念に思います。
日帝の遺産は鉄道、道路、学校制度、電力事業をはじめとして多岐にわたっています。ただこれらの事業は植民地行政のもとで行われたのですから、朝鮮民族のための慈善事業ではなかったという事実を両国が肩の力を抜いて認め合う環境の中で、韓国側が「現在の韓国の基礎となっている」と多分に謝意を込めて、いってほしいというのが私の理想です。
 このブログは考えを新たにすることが多いので、時折訪問させてもらいます。

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