徐正禹氏(1990年代後半の運動停滞の契機は2001年の国籍特例法案である)2008/07/21

 先に徐正禹氏が公表された論文にある標題のような矛盾を指摘しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/12/3623934

 誤解のないように、関係する主要部分を引用・紹介したいと思います。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html

>在日コリアン人権運動の理論構築について(要旨)   HM05E015 徐正禹    (指導教授 吉田勝次)

1、はじめに  1970年日立就職差別裁判に始まる民族差別撤廃運動は、1980年代に最も高揚したが、1990年代後半以降、今日に至るまで停滞状況にある。停滞の契機となったのは、地方参政権獲得運動に対して、政府与党のプロジェクトチームが発表した日本国籍取得特例法案である。外国籍のまま参政権を要求する運動と世論に対して、日本国籍を届出によって取得できるこの法案は、それまで、日本国籍取得をタブーとしていた、在日コリアン団体の虚をつく結果となり、参政権運動は急速に後退した。

 他方、民族差別撤廃運動が最も高揚していた1980年代、外国人労働者の移入が焦眉の課題となっていた経済界から、共生という言葉が頻繁に使用され始めた。共生は外国人労働者を日本社会に融合させるための概念として出発したが、その後、障害者、ジェンダー等あらゆるマイノリティ問題に対処する新たな概念として、1990年代から急速に日本社会を席巻し始めた。

 経済界、行政が共生を積極的に推進し、社会に定着し始めた1990年代以降、在日コリアンの民族差別撤廃運動だけでなく、部落解放運動をはじめとする日本のマイノリティ運動も停滞状況に入った。また、労働運動、反公害運動他社会変革を求める運動全般も停滞した。

 本論は民族差別撤廃運動が、日本国籍取得という壁のまえで立ちすくみ、日本社会を席巻する多文化共生論にからめとられた結果、停滞状況を余儀なくされたとの仮説の下、改めて民族差別撤廃運動を歴史的に総括し、日本国籍取得論と多文化共生論がいかにして、在日コリアンの民族差別撤廃運動を停滞に追い込んできたかを検証し、両論の背景及び本質を解明することによって、在日コリアン人権運動再生のための理論構築に資することを目的とする。>

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