徐正禹氏(人並の生活のためには企業を脅して金をとる)2008/07/22

 徐正禹氏の論文のうち、第6章の「6.2」を引用・紹介します。 http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/index.html

>6.2 専従者の給与及び待遇について

 一般的に社会運動の専従者の社会的地位と待遇は低い。特に人権運動の専従者の社会的地位と待遇はさらに低いと思われる。これは先に人権運動で給与を得ることに暗いイメージがつきまとうからである。このことが運動の人材不足を招く最大の要因となっている。その解決には組織の財源確保が前提となるが、しかし、仮に財源が満たされていたとしても、年齢に応じた社会的平均給与を支給することに躊躇する団体が多い。組織内外からの批判を回避しようとするからである。「清く貧しく」あるべきとの風潮がいまだ存在するからであるが、そのことによって、多くの活動家が30歳代を前に、専従者を退職する傾向にある。そのため、運動体にせっかく培われたノウハウが蓄積されず、運動の発展が阻害される結果となる。  また、30歳代を越えてもなお専従者を継続する場合、生活に必要な給与を表向きに支給できないことから、裏会計で操作するか、あるいは本来組織に納入すべき金を、個人の収入に繰り入れ、またそのことを組織として黙認する手法が広く取られてきた。むしろこのような公開されない手法が、長年の間行われることによって、不祥事を招く原因となり、却って組織に対する内外の信頼を失う結果となる。

 部落解放同盟にかかわる「不祥事」もこの専従者の待遇が原因の一つとなっている。要するに、人権運動体が専従者の待遇に関して、余りにも無関心なのである。仮に専従者の待遇が、厚遇であるとの批判が出れば、公の場で何をもって厚遇とするのか、また待遇のあり方はいかにあるべきか議論によって解決すべきである。

 ところが、専従者の待遇に限らず、人権運動は往々にして、金の問題の議論を避ける傾向にある。特に給与の問題を自ら語ることは、信用を失うとの風潮が支配しているのである。そのため、給与の問題は、常に迂回した議論、即ち結論として給与を上げる結果を導くように全体的課題を提起し、そこから給与を上げざるを得ない空気を組織内に醸成するといった腹芸的手法がとられる。実際の議論は裏で行われ、決定する。このようないわば、日本の運動体の伝統的手法が、往々にして混乱の元ともなる。

 専従者であれ、人間である以上、人並みの生活は保障されなければならず、それは組織の責任でもある。適切な私的欲求は公然と認められなければならない。そのような作風を、人権運動体の中に確立しなければ、優秀な人材を確保することは不可能であり、それは人材が命である人権運動体にとって早急に実現しなければならない課題である。 >

 なおこの引用文の前にある第6章の「6.1」については http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/05/3611255 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/07/21/3641934  これをあわせて読むと、彼のお金に関する考えが垣間見えて、興味深いものです。

 要するに、専従者に「人並みの生活を保障する」ために、企業に「脅威を感じさせ」て、しかも「多額であるほど効果的」にお金を調達する、という主張のようです。

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