かつての解放運動との交渉風景2011/08/27

 『こぺる』最近号(2011年9月)に、京都の消防局に勤めていた方が、かつての解放運動との交渉風景を記録しておられる。

「消防職員の採用は人事委員会の競争試験により実施されてきた。それに関して、ある支部との交渉の場面で返答に窮した体験がある。‥‥

☆「俺の甥が消防の試験を受けた。不合格になった。これは部落差別や。どうしてくれるんや。この前の市交渉の時、お前とこの局長が選考採用で採用すると言うてたぞ。」   この唐突な発言に対し、一瞬答えに窮した。‥‥

★「消防の試験に不合格になったことがすべて部落差別によるものではないと思っています。」   この回答に支部長が興奮した。

☆「就職の機会均等が奪われてきた。これが部落差別やと分からんのか!」

★「就職の機会均等を奪われてきたことと消防の試験に不合格になったこととは別問題です。」   このやり取りをしているあいだ罵声を浴びて膠着状態に。‥‥

☆「もうエエ。不合格になった俺の甥を選考採用せ―。局長も採用すると言っていた。」

★「局長クラスの対市交渉の席に私も同席していましたが、局長はそのような発言をしていません。」   この発言に支部長がまた興奮。膠着状態が続く。

☆「消防として採用できるやろ。」

★「消防として単独で採用できません。」

☆「どこが採用するのや。」

★言葉として出したくなかったが、「京都市の人事委員会が試験します。」

☆「ほんなら今から人事委員会を呼べ!」   (それきた。この時、時計は午後十時をまわっていた。)

★「もう深夜になっています。今から人事委員会を呼ぶことはできません。」   この応答でまた罵声を浴び、しばらくもめた。交渉終了時には日付が変わっていた。 ‥‥‥」   『こぺる』№222号 5~6頁

 解放運動とのこのようなやり取りは、東日本の人たちや、解放運動を知らない人たちには、おそらく実感できないものだろう。  支部長という要職にある者が、こんなことを要求するなんて、本当だろうか?と思われるに違いない。

 解放運動は、こんな人間を組織の要職につけてきたし、またあんな要求をしても何の違和感も持たない運動だったということである。