旭日は軍国主義のマークか2012/09/06

 去る9月3日付けの『朝鮮日報』に、日本の旭日旗は「軍国の亡霊」であり、ドイツナチスの鉤十字と同じだとする記事が大きく掲載されました。

 ところが、この『朝鮮日報』の同じ紙面の別のページにある金栄作さんという方のインタビュー記事では、この方が日本の「旭日中綬」という勲章を受章したと明記されていました。

 本当かなと思って調べたところ、平成18年(2006)秋の叙勲受章者(旭日章)のなかに、この方の名前を見つけ、本当だったと分かりました。   http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/protocol/pdfs/h18_au.pdf

 功労概要として、   「日本研究の振興及び日韓相互理解の促進に寄与」  とあり、経歴として   「元 国民大学校日本学研究所 所長   元 国民大学校社会科学大学長  国民大学校名誉教授」  とあります。

 この旭日章という勲章に「旭日」が装飾されているのは当然です。

 「旭日」は軍国主義のマークなのかどうか、『朝鮮日報』が混乱しているということでしょう。  この新聞のご都合主義というか、一貫性のなさというか‥‥。

 ところで、旭日旗は日本の軍旗ですから、ドイツと比較するなら、ドイツで昔からある軍旗でナチス時代にも使われ、現在もドイツ連邦軍の軍旗である黒十字と比べねばならないと思うのですが、いかがなものでしょうか。

法に対する思想が根本的に違う日本と韓国2012/09/11

 韓国の李大統領が、自分のした謝罪要求発言について釈明したようです。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120910-00000019-mai-kr

 この記事の中で気になったことは、韓国が日本対して不満を抱く一つが、「日本はいつも法律を持ち出してきて解決済みだと主張する」ということです。

旧日本軍による従軍慰安婦問題などについて日本政府は「賠償や財産、請求権の問題は法的に解決済み」との立場だが、李大統領は「なぜ法律論になるのか」といら立ちを示し、「日本は柔軟に対応してほしい」と強調。そうした思いが竹島上陸につながったと示唆した。‥‥‥

 かつて拙稿で、朝鮮人と日本人では法律やルールについて考え方が違うのではないかと論じたことがあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuichidai の(追記)

朝鮮関係資料を調べるときに私の感じる印象が、法律やルールについての朝鮮人の考え方が日本人とは異なっていたのではないか、ということです。‥‥‥ 彼らには、人の行動を制約する法律やルール(以下「法」という)というのはお上が下々に対して課するもの、つまり支配のためのものであるという発想があるようです。だから支配される立場である下位の者ほどそれを守らねばならないが、逆に支配する立場の上位に昇ればそれだけ守る必要がなくなる、守らない程度の大きさがその人の社会的ステータスを表す、となっていきます。従って「法」を生真面目に守るのは低い地位の人間のすることだ、というような価値観になります。コリアンタイムもここから派生したものではなかろうか、と思います。     これはアジアで古くからある価値観だと考えられます。この考えではお上が下々を規制するものが「法」ですから、議会やみんなで決めたものよりもお上の個人的意思のほうが優先される社会となります。   一方近代的な考えでは議会やみんなで決めた法律・ルールが「法」ですから、上位の者こそが率先して「法」を守らねば下々も守るわけがない、あるいは「法」を守ることによって自分たちの権利が保証されるとなります。   前者の古代アジア的価値観は後者の近代的なそれとは全く違い、「法治」ではなく「人治」といわれる所以です。彼らはこの伝統的価値観を引きずってきたのではないか、というのが私の仮説です。

 今回の李大統領発言の釈明は、この古代アジア的価値観が現れたものと考えます。つまり日本の政府は下々の国民とは違ってお上なのだから、法律というものにこだわる必要はないだろう、なのに何故法律を持ち出すのか、という不満となります。

 しかし日本では法治国家なのだから政府も法律に基づいて判断・行動するのは当たり前となります。一方韓国では法律よりも人間の情を優先するという考え方となるわけです。

 韓国は今なおこの古代アジア的価値観を強固に維持していると言わざるを得ません。

 法に対する考えが、日本と韓国で根本的に違っているのですから、解決は難しいでしょうねえ。

法より情を優先する韓国社会2012/09/16

 前回のブロク(9月11日)で、「韓国では法律よりも人間の情を優先するという考え方となる」と論じました。

 これの実例としては、最近のオリンピックサッカーに日韓戦で、朴鍾佑選手が領土主張のプラカードを持って回った事件を挙げることができます。オリンピック憲章違反であることは明白なのですが、韓国社会ではマスコミも含めて、憲章違反を咎める意見はほとんど出てきませんでした。「よくやった!」「当然の主張をして何故悪い」といった反応でした。

 日本でしたら、気持ちは分かるが憲章に違反してはならない、だからそれなりの罰は仕方ない、という反応になるだろうと思うのですが、ここに法・ルールに対して日本と韓国の考え方の違いが表れているように思います。

 法より情を優先する韓国社会の実例として、もう一つ「前官礼遇」を挙げねばなりません。特に「平等」「正義」等を標榜する司法界における「前官礼遇」は、もうビックリするしかありません。最近話題になった韓国映画「トガニ」は、障害者施設で実際に起きた強姦・強制わいせつ事件を扱っていますが、この映画のもう一つのテーマが「前官礼遇」なのです。

 裁判官が職を辞して弁護士を開業するのは韓国でもよくあることです。しかし韓国では、元裁判官が弁護士開業した直後に引き受ける裁判では、担当裁判官は先輩の弁護士を尊重して、そっちに有利なように判決を下すのです。有利といっても半端じゃなく、教え子少女強姦という重犯罪でも、懲役数ヶ月で執行猶予付きという超寛大な処罰(「トガニ」による)にしてしまうぐらいです。

 つまり裁判官は、法や正義よりも、先輩・後輩の情を優先するのです。これが韓国司法界の「前官礼遇」です。従って裁判官を辞めて弁護士になった人は、それこそ超高値で弁護依頼が来るそうです。ほぼ100%近く勝訴できるからです。ただし、この効き目は1年までだそうですが。

 こんな弁護士と対決しなければならない相手側の弁護士は、最初から諦めムードなり、その次の控訴審に力を入れるとのことです。また韓国でも一部ではこの悪習を改めようとする動きはあるようですが、なかなか難しいようです。

 1980年代でしたか、韓国好きの方が「しゃくし定規に法律とかルールとか言う日本よりも、情によって柔軟に対応してくれる韓国の方がよっぽど人間らしい」と書いたことがありました。

 法やルールを無視して優遇してくれた韓国人の情に感動したのでしょうけど、いかがなものなんでしょうかねえ。

「原子力ムラ」は差別語では‥2012/09/22

 「原子力ムラ」とは、

原子力産業や原子力を用いた技術およびそれに対して肯定的なマスコミなどの集団を指す言葉。日本の伝統的な村社会が排他的であるという特徴をなぞらえて、原子力廃絶論者が揶揄的に使う。 2011年流行語大賞にノミネートされた。

と説明されています。「ムラ」を否定的な意味で使っているのですが、都会人が地方を「田舎者」と卑下する心理に似通っています。

 ところで、これは「田舎差別」というだけに止まらないと思います。というのは、「ムラ」というのは、同和地区(被差別部落)を指すのに使われる言葉であるからです。口語ですから、文章の中では主に会話文に出てきます。

「あの人、ムラの人とちゃうか(‘違うか’の方言)」  

 このような言い方は、同和地区の人も、地区外の人も使います。ネットで「ムラ 同和」あるいは「ムラ 部落」で検索すると、出てきますが、数はそう多くありません。そういう使い方をする人が減ってきているのでしょうかねえ。

 それはともかく、「ムラ」が同和地区を指称する言葉として古くから使われているのを知っている私には、「原子力ムラ」というのは「原子力関係の社会は特殊部落だ」という意味に聞こえてきて、なじめないのです。

 「特殊部落」とは、同和地区を指す典型的な差別語とされています。これを使うと、すさまじい反応が出てきたものでした。例えば1970年代に司会者の玉置宏がテレビで「芸能界は特殊部落だ」と発言して、激しい糾弾を浴びた事件がありました。

 また現代コリア研究所が「現代朝鮮研究所」の時代であった1968年に、「朝鮮研究は日本史学の特殊部落」と書いて、激しい糾弾を浴びた事件もありました。   http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=71434&thread=01r04

 これらの「特殊部落」の使い方は、何も同和地区を念頭に置いたものではなく、自分たち同士で集まり排他的な傾向にあって特殊な環境になっている、という意味で使われています。おそらく「特殊部落」が同和地区を指すという知識自体がなかったのでしょう。知っていれば使いませんから。それでも人格を否定されるほどの激しい糾弾を浴びたのでした。

 「原子力ムラ」という言葉を考案した人も、「ムラ」とは同和地区を指す場合があることをおそらく知らなかったのでしょう。

 あるいは人権団体が何の抗議もしないところをみると、ムラ=同和地区という言葉の使い方は無くなりつつあるのでしょうかねえ。

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?2012/09/25

 韓国の大統領候補で、元大統領の娘でもある朴槿恵氏が、父の政権下の弾圧について謝罪しました。

[ソウル 24日 ロイター] 12月の韓国大統領選の与党セヌリ党候補、朴槿恵(パク・クンヘ)氏が24日、父親の故・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の政権下で弾圧された被害者らに謝罪した。     ソウルの党本部で記者会見を行った朴氏は、「軍事クーデターや維新憲法、人民革命党事件は、憲法の価値を損ね、韓国の政治発展を遅らせた」と発言。「(政権によって)苦しめられた方々や家族に改めて心から謝罪する」と述べた。 今回の謝罪会見は、選挙戦で歴史的障害を取り除き、支持率の回復を目指す狙いがあったとみられる。       朴元大統領は、1961年の軍事クーデターで政権を掌握し、72年には任期延長を認める憲法改正を強行。人民革命党事件では、反共法に違反したなどとして、8人に死刑が執行された。18年にわたった朴正煕政権では、高度経済成長が成し遂げられた一方、人権弾圧も繰り返された。       朴氏はクーデターは不可避で最善な選択だったとした上で、「(子どもが親の)過ちを指摘するのは容易ではないと思うが、大統領候補になった以上は客観的になり、国民と思いを共有すべきだ」と語った。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE88O01520120925

 かつての時代の国策が誤りであったなら、謝罪すべきはその国家を引き継いだ大統領でしょう。しかし朴槿恵氏はいまだ大統領候補にしかすぎません。とするとこの謝罪は、国策の誤りを犯した父親の子供であるが故に行なったということになります。

 韓国では、特に民主化運動=左派の人が父親の責任を子供の朴槿恵氏に向けてきました。これについて、韓国ではたしなめる人はいないようですので、韓国では受け入れられやすい考え方と思われます。だからこそ朴槿恵氏は謝罪したのでしょう。

 「親の因果が子に報い」なのですが、この性向は何も韓国だけでなく、日本の革新・左翼の人にも見られるものです。この場合は、日本の軍国主義・侵略に加担した者の罪は子孫も受け継ぐという思想です。

 これについては、かつて拙稿で論じたことがあります。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuuhachidai

 別の喩えで言うと、元小作人の孫にあたる子供が階級闘争・農民運動の歴史を学んで、地主の孫にあたる同級生に向かって 「お前のじいちゃんは僕のおじいちゃんを苛めた。あの農地解放で済んだと思うなよ」 という、ウソかマコトか分かりませんが、そんな話があったことを思い出します。    結局はこのようなレベルのことだと思います。

朝鮮での徴用令施行は1944年2012/09/28

 こういう記事を批判するのは本意ではないのですが、やはり歴史事実の間違いは指摘しておかなくてはなりません。

在日の思い詠み歌集に     ◆生野のチョさん「過去でなく未来見て」     在日コリアン1世で2003年に帰化した大阪市生野区の歌人・チョ奎通(チョギュトン)さん(71)(本名・松田圭悟)が短歌214首を収めた『在日の歌 知らざる故国 何ぞ恋しき』(中井書店)を出版した。自身の半生を振り返りながら、日本と朝鮮半島のはざまで揺れる心情を、日本で学んだ短歌で表しており、チョさんは「日韓や半島、在日の歴史への理解を深めてもらえれば」と話している。(増田尚浩)     自身の半生を振り返り、約20年で詠んだ短歌をまとめたチョさん(大阪市生野区で)      1940年に現在の韓国・慶尚北道に生まれたチョさんは、父の徴用をきっかけに、43年に来日。父は東京の軍需工場や三重の陸軍飛行場で働き、家族を養った。     「五七五 七七」のリズムで詠む短歌に興味を抱いたのは中学時代。「31文字で一つのドラマを作る魅力を感じたから」という。     幼少期の飛行場の空襲体験は鮮明だ。     爆撃の炎はつつむ飛行場 父を憂いて母は狂えり          チョさんは終戦を三重で迎え、高校卒業後、就職で生野区に移住。趣味の短歌を新聞投稿をきっかけに本格的に始めた。     79年に来日後初めて韓国に渡ると、生家の場所は花畑に。61年に帰郷がかなわず過労で亡くなった父を思った。     徴用の父の再び踏めざりし 故国の家跡に遺影を置きぬ          その後も韓国を訪問。しかし、価値観や習慣で距離を感じ、日本での暮らしが、今の自分を形作っているとの思いを強くした。ただ、日本人と結婚した子どもたちの将来を考えた帰化には、今も複雑な思いを抱いている。     祖国とは憧れにして住めぬ国 六十年の空白あれば         そも我は韓国人か日本人 時に自問す帰化なせし今も      領土問題で対立が際立つ日韓関係。チョさんは「過去ではなく未来を見据えることが大切」と語り、在日の若い世代に、「過去のしがらみを抱えた1世とは違い、友好を築く役割を担ってほしい」と願う。     日韓の血をひく孫よ願わくば 玄界灘へ橋をかけくれ       (2012年9月24日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120924-OYT8T00055.htm

 このなかで 「1940年に現在の韓国・慶尚北道に生まれたチョさんは、父の徴用をきっかけに、43年に来日。」  「徴用の父の再び踏めざりし 故国の家跡に遺影を置きぬ」とあります。

 3歳にときに「徴用」された父親に従って1943年に来日したということなのですが、この父親は「徴用」ではありません。なぜなら、徴用令が朝鮮半島に適用されたのは1944年であるからです。

 また徴用というのは戦時動員ですから、徴用された人が幼い子供を連れることはあり得ません。