通名禁止、40年前から「左」が主張と実践2013/01/05

 1970~80年代の古い話をします。

 在日韓国・朝鮮人が通名(日本名)を名乗ることについて、差別的な日本社会が在日の民族性を否定するために通名を強制している、だから在日は通名を捨てて本名を名乗り、自らの民族的アイデンティティを確立せねばならないという主張がありました。いわゆる「本名を呼び、名乗る運動」です。この考え方は解放運動と結びつき、在日が本名を名乗ることは日本社会の差別に対して闘うことのように考えられました。

 特に公教育でこの考え方が広まり、同和(解放)教育の集会では、教師たちの取り組みの報告として「うちの学校では何人の在日生徒を本名宣言させた」が、自慢のように語られたものでした。

 また民族差別と闘う運動団体や解放運動団体は、教育委員会に圧力をかけ、在日生徒に通名を捨てて本名を名乗らせる指導をするような指針を作らせることもしました。

 このような「本名を呼び名乗る運動」は、さらに「通名禁止」を実践するところまで現れました。一部の公立学校(解放運動や日教組の影響の強い)では、入学してくる在日生徒の名前を、保護者や本人の了解なく、本名を強制的に使うところが出てきました。また一部の大学(左系が強いR大など)でも、今もそうだと思われますが、通名で入試を受けて入学してきた在日を、本人・保護者の了解なしに強制的に本名を使っていました。

 このR大に入ったある在日学生は、今まで本名をほとんど使ったことがなく、高校でも全くの通名で過ごし、R大の入試も合格通知も通名で来たのに、入ってみたら通名ではなく馴染みのない本名(しかもそれまで聞いたことのないハングル読み)で呼ばれてビックリして、どうしたらいいいか、という相談を10年程前に受けたことがありました。この大学に入ってみると、朝鮮文化研究会等の活動家が入れ代わり立ち代わりやって来てオルグされて、非常に困っているとのことでした。そしていずれ帰化しようと思っていたので、これを機会に家族と相談してすぐにでも帰化を考えているとのことでした。

 このように「本名を呼び名乗る運動」というのは、‘日本社会の差別性=保守的・右翼的体質が在日の民族性を否定するために通名を強制している、だから在日が通名を捨てて本名を名乗ることは日本社会に対し闘うことなんだ、君も在日なら共に闘おう’という考え方だったのです。正に左翼運動の一貫だったのです。

 つまり「通名禁止」は「左」が主張し、そして場所によってはそれを実践していたということです。

 私は、本名を名乗るか通名を名乗るかは本人の選択によるもので、周囲がとやかく言うべきものではない、特に学校等の公権力が本人の了解なしに通名を使わず本名を使うのは、かえって人権侵害だと反対したのでしたが、某活動家氏より差別者=右翼扱いされました。

 しかしいくら考えても、アイデンティティであろうと何の理由があろうと、本名を名乗るか通名を使うかは本人が考えて決めることであって、周囲が強制すべきものではありません。周囲は、本人が通名を名乗りたければ ‘ああそうですか、そうしましょう、しかし必要な時は本名を使いますよ’ で十分です。

 かつての「左」の「通名禁止」主張は個人の自由権侵害と言えるものです。なお今の「右」の「通名禁止」主張については先に論じました。

 どちらも人権侵害の困った主張だと考えています。

【参考】

「通名と本名」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

続「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

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