『言葉のなかの日韓関係』(5)2013/04/14

 朝鮮学校における教育については、反日教育ばかりがクローズアップされていて、朝鮮語教育がどうなっているのかについてはそれ程知られていないし、私もよく分からなかったのですが、この『言葉のなかの日韓関係』に収録されている、宋基燦「在日朝鮮人の朝鮮語教育、その実態と意味」という論文で、成程そういうことだろうなあと新たな知識を得ることができました。論者は韓国出身でありながら、実際に朝鮮学校に出かけて取材した上で論じているので、なかなか説得力のある論文です。

 朝鮮学校で使われる朝鮮語というのは、本国で使われる言葉とは違ってきていて、「在日朝鮮語」と言うべきものです。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331

 在日朝鮮人社会では、朝鮮語は日常的な社会生活ではほとんど使われないのですが、総聯機関や朝鮮学校という限られた場所では朝鮮語が日常的に使われています。このような在日の言語状況について、宋基燦さんは次のように論じます。

総聯組織と朝鮮学校では、在日朝鮮人社会の中で公式言語として朝鮮語が日常的に使われる唯一の場所だといえる。朝鮮学校での授業は、日本語の授業を除き、すべて朝鮮語で行われる。日本語を母語としている二世から朝鮮語を学んだ三世の教師が、四世の生徒を教えている光景は、朝鮮学校でのみ見ることができる。朝鮮語を教える先生、学んでいる生徒、いずれも朝鮮語を母語とはしていない。したがって彼らの間の朝鮮語使用には第一言語として日本語の影響が大きく現れる。また、母語が日本語であるために、総聯組織と朝鮮学校でも公式的場面ではない場合、会話は日本語で行われる。それは、総聯の専従職員も例外ではない。彼らも家庭に帰れば、みな日本語を使用しているのである。 (55~56頁)

日本語が母語でありながら、学校では毎日朝鮮語を使っているのですから、朝鮮語教育という点に限ればかなりの成果を収めています。しかし学校が北朝鮮系であることから、開放性あるいは国際性という観点から見るとかなりの問題を抱えることになります。

政治的に北朝鮮を支持している総聯組織と朝鮮学校は、教科書編纂や修学旅行などの事業を通じて北朝鮮と密接につながりを維持している。しかし北朝鮮と日本の間に国交がないため、総聯系在日朝鮮人といっても北朝鮮と日常的に接することができるわけではない。北朝鮮を支持するということは、韓国と韓国から来た人々との交流を難しくさせることを意味し、このような環境は総聯組織と朝鮮学校の言語生活が朝鮮語を母語とする集団として孤立したまま、独自の発達を促す主要因となった。‥‥‥北朝鮮を支持する政治的な姿勢は現実的に総聯系在日朝鮮人たちの共同体を一種の『社会的孤島』へと変換させた。また、このことは朝鮮語を母語とする他集団との接触を制限し、総聯系在日朝鮮人の世界に、独特の形態の朝鮮語使用を成立させていった。 (62~63頁)

 朝鮮学校の朝鮮語はこのように閉鎖的なものになっており、そのために独特な言葉となってきているのです。そして宋基燦さんはこのような朝鮮語について、次のように分析しています。

「彼ら(在日朝鮮人)にとって朝鮮語の使用は『民族意識』の表明である。すなわち、彼らにとって朝鮮語は単なるコミュニケーション・ツールではなく、エスニック・アイデンティティを表出する手段なのである。(54頁)」 「在日朝鮮人の朝鮮語学習と使用は、その実用性よりアイデンティティ・ポリティクスとして機能している。(73頁)」

 つまり在日朝鮮人にとって朝鮮語は民族意識の確認に役に立っているが、学校で習得した朝鮮語が日本で営まれる実際の社会生活では役に立っていないということです。

 ここ10年前から続いている韓流ブームで韓国語を学ぶ日本人が急増しました。これによって韓国語を教えることを職業にできるという、それまででは信じられないような時代になりました。これは朝鮮学校で朝鮮語を学んできた者にもチャンスなのですが、彼らはこのチャンスを生かすことができないでいるようです。或いは韓流ブームに生かすことができないような朝鮮語を教えられてきたと言うこともできるようです。