張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)2013/10/27

 張赫宙(1905年生)は戦前(=日帝強占期)の朝鮮人作家として有名で、小説「餓鬼道」「岩本志願兵」や脚本「春香伝」などがあります。終戦(朝鮮の解放)直後は親日文学者の代表的存在と批判されました。その後日本に帰化して「野口赫宙」名で歴史小説やミステリーを書いて活躍。1997年没。

 張赫宙の簡単な経歴は以上です。彼は戦後の『世界春秋』(1949年12月号)という雑誌に、「在日朝鮮人批判」というエッセイを書いています。戦後の混乱期のなかで、自分が体験した在日朝鮮人たちの‘振る舞い’について語るものです。在日朝鮮人の知識人による所感であり、大変興味深い資料です。このうちの一部を紹介します。

終戦直後の或る夜、私は信州に帰るために、満員すし詰めの汽車に乗り、箱の中の通路に、漸く足のおき場を見つけた。 が、その頃栄養失調の私は、僅か十センチ平方のその足場に立ち通しで居ることは困難であった。それは非常な苦痛であった。        と、ある駅に列車が停まった。窓から入る人を防ぐために、そこの窓際の人は窓を閉めて開けなかった。 が、顔の黒い頑丈な人が、ガラスをぶっ壊すばかりに叩いた。 窓際の人は、仕方なく開けた。 外の人はキッと中の人を睨んで、窓から入るなり、馬鹿野郎と怒鳴って、窓際の人を殴った。  激しい勢いであった。 私はそのことばの発音で、すぐに朝鮮人だとわかった。 窓から入ってきたのは四人だ。座席と座席の間にも人が立っていた。 四人は土足で私たちを押しのけ、踏みつけながら、思い思いの方に進んだ。 押しのけ、つきのけ、大変な乱暴だ。 と、その人達は網棚に手をかけた。 はっと見ていると、リュックや鞄をばらばらと下へ投げる。 悲鳴が起きたり不平が出た。 が、なにッ?と睨まれて皆は黙った。 網棚を一間ほどあけたところに、その人は悠然と横になり、ほくそ笑んで、煙草をふかした。 ほかの三人も同じようにした。網棚から網棚へ、彼らは朝鮮語で話しを始めた。その真下に居る人達の顔へ、煙草の灰が落ちたりした。 が、皆、泣きね入りだった。          わたしは四人をたしなめようと思った。 不愉快であった。 図太さに呆れた。非難のことばを、朝鮮語でいおうと、私は身構えた。 が、無駄だという気がして、私は眼をつぶった。 彼らが下車するまでの二時間、私は泣きべそをかいていた。(69頁)

信州から現住の村へ引越して間もなく、東京からの帰りに、武蔵野電車に乗った。 例によって車内は混雑した。 途中のある駅で、入口の扉が開くと同時に、おい、そこどけ、という身ぶりで、先頭の赤ら顔の人が、頑丈な腕で、中に居る人を二つに分けながら、八人ほどつづいて乗った。 と乗客がさっと箱の両端に遠のいて、一坪ばかりをあけた。  危険を避ける時のあのかんの早さと機敏な動作で、さっと遠のく人達を尻目に、その八人は、「さあ、常会をやろう」 と、日本語でいって、車座になって、ふざけた。 議長を決めたり、議題を出したりして、悪ふざけるのだ。 赤ら顔の牛のような頑丈な男が、私の靴の上に座ったので、  「君、そこをどいてくれ」 といったら、「なにィ」と、その人は私をにらんだ。 「あのう、こんな狭い中で、こんなことしないでもいいと思うがね」 と、私はすかさず朝鮮語でいった。 「へ! きさま(イチャシッ)!親日家だね?」 と、憎々しく見つめて 「おい!ここに親日家がいるぜ。こいつの面を見ろよ」 と、仲間にいった。 「なに?親日家?どこだ。どいつだ?」 「殴っちまえ」 「まあ!止せ。議長!殴るか殴らないか決めよう」 「ヘッヘへへ」         両方に遠のいた人々の中には、学者、新聞記者、教授、そういう顔が相当にいた。 皆がじっと心配して私を見ている。 私は、同胞諸君が私を殴らないであろうことを知っていた。 彼らは悪ふざけをしているにすぎない。 解放された喜びを、そういう風に表現しているのだ。 何処かで、地下壕でも掘らされていた徴用夫であろうか。 彼等の顔やからだに、それが現れている。私は裸にされたように恥ずかしく情けなかった。 所沢でその八人は下りた。 私は窓際で、黄昏れる武蔵野の平野を眺めながら、複雑な感想にふけった。(69頁)

コメント

_ fm ― 2013/10/28 00:16

その頃の張赫宙は英親王を取材して「李王家秘史 秘苑の花」を執筆していた時ですね。朝鮮を捨てて日本に帰化する彼が何故英親王の半生を題材にして小説を書こうとしたのか、英親王も何故多分面識がない彼の取材を受けたのか、知りたいものですが、昭和20年代の張赫宙を研究されている方々は英親王に関心がないのか、誰も「秘苑の花」を取り上げません。朝鮮戦争を書いた「嗚呼朝鮮」は取り上げますが。英親王の半生を紹介するエピソードには「秘苑の花」に登場するものがあるので、英親王の回想が元になっているのか、張赫宙の創作なのか、もう分からないのかも知れませんが。

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