張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) ― 2013/11/01
私と同村に住んでいる某は、駅舎をぶっ壊し、日本人を殺せと喚き、某は深夜駐在所に暴れ込み、巡査を走らせた。 同県内の某所では、集団で倉庫破りをし、日本人のやくざと渡り合った。 ある団体ではビールの特配を要求して、応じない地方事務所の役人を袋叩きにした。 私の身近から遠い地方で起きたいろいろな事件は、愈々どぎつくなるばかりだ。(69~70頁)
屋台で焼鳥で一ぱい飲んだ紳士が酔った時、何かのはずみに「おれは朝鮮人だぞ」と、隣りにいた人と喧嘩するのを見て、私は呆れた。 戦争中には、朝鮮人であることを、ひたかくしにかくしていた卑屈さを自覚してのその反発であることは、私にはわかるが、喧嘩を売られた日本人には理解できない。 私の村にOという人がいる。借金をとりに来た日本人を殴っておいて「朝鮮人連盟をしらないかッ」と脅したりする。 そういう人たちの中には、日本人を女房にし、日本語しか知らない子供を持ち、恐らくは日本の土になる人が多い。そうした「朝鮮人意識」が一時非常に盛んであった。 これもあまりにも強かった「日本人意識」「大和魂」に反発したのはいうまでもない。 そういう裏の心理がわかっていても、やはり私は悲しい。民族意識がその人を不幸にすることを、私は否定できないが、それかといって民族を否定することもできないのだ。(70頁)
私の近所に同胞が七八世帯住んでいる。 その殆どが焼酎造りをしていた。 今年の春、Pという人と弟さんが、深夜酔っぱらって、村の駐在所と付近の店を、ぶっ壊してしまった。 そういう乱暴をしないでは居れなかった理由を私は認める。 それを説明するのは省いて、その兄弟は翌日警察に引っぱられた。 残った人が、こわれたガラス戸や家具を弁償して、新しいのを入れた。兄弟は地方検事局で一月ほど調べられて、無罪となった。 この間「朝連」の支部役員が検事を訪問したり、いろいろ手を尽くした。 兄弟は村長に陳謝して、新制中学その他へ多額の寄付をした。かれこれ十万円ほど使ったという。 Rという人がいる。 この人は酔って、近所の人を罵倒し、殴り込みをする。電車を停めなかったというので駅長を殴った。 翌日、彼は関係方面へ、あやまって歩く。年に何回もこんなことをする。 Gという人も同じように酔うと、方々に迷惑をかけて歩いて、あとで「どうも酔うと気が変になりますので、どうか大目に見て下さい」と稚気をふりまいて歩く。 村の人は一応笑って過す。けれども、肚の中では、「どうも朝鮮人というのは乱暴だな」と思っていたらしく、今度の「朝連」解散の理由を「暴力団体」だと発表した時、「あんな乱暴な団体じゃ取締ると思いましたよ」と、一口でいってしまった。 酔って乱暴はするが、そのあとで気の弱くなる同胞の性格を私はよく知っている。(76~77頁)
朝鮮人が怒ると、煮え沸る薬缶の蓋をとるようなものになるのだ、と。 わーッと湯気が立つような怒り方。 湯気が出てしまえば残った湯には力が残らないのだ。怒気をぐっと耐えに耐えて、ねばり強く、頑張るものに、勝利が来る。 三十六年間の隠忍自重したあのねばり強さを解放後の朝鮮人は失ったような気がする。(77頁)
張赫宙の「在日朝鮮人批判」は自民族を冷静に見た所感です。だから非常に興味深いものです。
通名登録制度を悪用した事件 ― 2013/11/02
外国人の通名登録制度を悪用する事件が発生しました。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131101/stm13110121480007-n1.htm
外国人が日本で名乗る通称を悪用して携帯電話を不正売買したとして、埼玉県警組織犯罪対策課と大宮西署は1日、組織犯罪処罰法違反(隠匿)と詐欺容疑で、韓国籍の無職、文炳洙(ぶんへいしゅ)容疑者(通称・青山星心(しょうご))=別の同容疑で処分保留、さいたま市西区清河寺=を再逮捕した。通称を悪用した犯行を組織犯罪処罰法で立件するのは全国初という。 同課の調べでは、文容疑者は区役所で短期間に通称登録を何度も変更。新旧の通称を使い分け、平成22年10月以降、約160台のスマートフォンやタブレットなどの端末を購入、古物商へ転売したとみられる。 再逮捕容疑は8月7日、「青山星心」の通称で、さいたま市の家電量販店でスマートフォン2台を詐取。過去の通称だった「清永泰斗」を名乗り東京都内の古物商で転売し、約7万2千円を得たなどとしている。 同課によると、文容疑者は端末代を分割して月々の料金に上乗せする制度で端末を購入したが、支払いは一切せずそのまま転売。同課の調べに「料金を踏み倒す気はなかった」と犯意を否認する一方、売却で得た金は競馬などのギャンブルに使ったという。 頻繁に通称変更することを不審に思った区役所の届け出を受けて捜査したところ、犯行が発覚した。文容疑者は通称の違う複数の身分証を使い分け、売買を重ねていた。
今は外国人登録制度がなくなり在留カード制で、通名登録は住民票で行なうことになりました。これは近年の制度変更で、現在どのように運用されているかは勉強不足で分かりませんが、おそらく変わっていないのではないかと思われます。
外国人の登録通名の変更方法は、二種類あります。一つは婚姻等の身分行為に伴うもので、この届出をしておけば登録通名を変えることが出来ます。これは日本人が婚姻等によって戸籍名を変えるのと同じです。
もう一つは、任意に変える場合です。これをしようとしたら、その名前を使って生活してきたという疎明資料が必要です。かつては外国人登録の切り替え時(昔は最長3年ごと)に、その疎明資料をもって登録通名を変えることができました。
また切り替え時ではなくても、住所変更等を届出た際に疎明資料があれば通名を変えることができました。 いずれにしても、登録通名はいつでも自由に変えれるというものではありませんでした。
今回の事件は「区役所で短期間に通称登録を何度も変更」とありますから、疎明資料をどのように用意したのか、あるいは婚姻等の身分行為の届出などの方法を使ったのか、等々の手口に関心があります。
また「新旧の通称を使い分け」「通称の違う複数の身分証を使い分け」とありますので、もはや無効となったはずの旧の通名の記載のある公的証明書をいつまでも持ち続けてきたことになるのですが、そのようなことがどのようにして可能だったのか?にも関心があります。
悪意を持つ犯罪者は、法の抜け穴を見つけるものです。制度上は歯止めがあっても、彼らは簡単にすり抜けるんだなあ、と思いました。法の厳格な運用が求められていると思います。
権逸の『回顧録』 ― 2013/11/07
権逸は1960年代に在日大韓民国居留民団の団長を務めた人です。彼は1987年に『回顧録』を刊行しており、そのなかに終戦直後の朝鮮人の‘振る舞い’について次のような興味深い記述があります。
法はあって無きに等しく、警察は文字通り無力であった。したがって、非人道的で破廉恥な行為が平然と行われ、理性が喪失した社会のようであった。このような社会状態が醸しだしたものであるかも知れないが、左翼朝鮮人だけでなく、一般の在日同胞のなかにも、故なく威張り散らして、法を無視することが少なくなかったことは、良識ある同胞の憂慮するところであったし、私たちは見るに忍びなかった。当然のように無賃乗車する者もいたり、中には白墨で車内に『朝鮮人専用』と書いて他人が入るのを拒むことすらあった。傍若無人というほかなかった。
顧みると、当時のこのような行動は、長い間抑圧されてきた者の自然発生的な反発感から出たものであり、またそれらの者たちにとって感情的には痛快感が得られたかもしれないが、このような行為は敗戦で萎縮した日本人の胸に、朝鮮人に対する憎悪感を植えつける要因になったのではないだろうか。加えて、朝連と建青の絶え間ない抗争は、この憎悪感を増幅させた上、新たな軽蔑感を生じさせたのではなかろうか。
日本の統治下で、三十六年もの間、日本人たちが朝鮮人に加えた数々の行動に比べると、朝鮮人のこのような一時的な、ほんの一年もつづかなかった行動は、大したものではないと言えるかもしれないし、また左翼の闘争理論からすれば当然だと言えるかも知れないが、民族的な立場から見ると、将来のための配慮が足らなかったのであった。当時もそう思ったが、今その時のこと思い出すと、全身から汗が流れる思いがしてならない。(以上106頁)
この権逸の随想は、張赫宙の 「戦争中には、朝鮮人であることを、ひたかくしにかくしていた卑屈さを自覚してのその反発であることは、私にはわかるが、喧嘩を売られた日本人には理解できない。‥‥借金をとりに来た日本人を殴っておいて『朝鮮人連盟をしらないかッ』と脅したりする。‥‥そうした『朝鮮人意識』が一時非常に盛んであった。これもあまりにも強かった『日本人意識』『大和魂』に反発したのはいうまでもない。 そういう裏の心理がわかっていても、やはり私は悲しい。」 と相通じるものです。
【拙稿参照】 闇市における「第三国人」神話 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai
張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446
終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’ ― 2013/11/14
これまで張赫宙や権逸の随筆記事から終戦直後の在日朝鮮人の‘振る舞い’について紹介しました。
張赫宙「在日朝鮮人批判」(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714
張赫宙「在日朝鮮人批判」(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446
権逸の『回顧録』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587
ところでこの歴史的事実についての本格的な研究論文としては、加藤晴子「在日朝鮮人の処遇過程にみられる若干の問題について―1945~1952年」(『日本女子大学紀要 文学部33』昭和58)があります。 在日の運動団体からの反発を予想したのでしょうか、論文の標題は‘小論文’か‘研究覚え書き’程度のようですが、中身はよく資料収集しており、ちゃんとした論文です。この論文の最後の結論部分には次のように記されています。
在日朝鮮自身によって、本稿が扱った時期における自己の言動や生活態度を省察しようとする作業がなされぬまま、日本及び日本人の植民地支配の責任のみが追及される状態は、健全なものといえないであろう。
この論文が出た時は民族差別を正当化するものとして、かなりの批判があったように記憶しています。その後今に至るまで、このような方面での研究はあまり進展していないようです。 むしろ次のような所論が広く行き渡っており、加藤が言うところの「健全でない」状況が続いています。
政府、警察、マスコミが一体となった、こうした朝鮮人の生きるための闘いへの弾圧と悪意に満ちた宣伝‥‥‥ 敗戦によってもほとんど変わることのない日本人の朝鮮人に対する考え方は、敗戦による混乱の中で、たくましく活気にあふれた在日朝鮮人の活動に対する反感を生み、非難、中傷を生んでいった。 (内海愛子「『第三国人』ということば」 明石書店『朝鮮人差別とことば』1986年11月 126~127頁)
戦後刊行されている各地の警察史や市町村史のなかには闇市を支配していたが朝鮮人と「台湾人」であり、あたかも悪の溜まり場であったような表現の「第三国人」という言葉で闇市について述べている。‥‥‥ 確かに一部朝鮮人、「台湾人」のなかには無賃乗車をしたり、市場(闇市のこと)の取締りに当たって警察に抵抗した人々もいたが‥‥‥朝鮮人の職業の一つであった戦後主要都市にできた小規模市場を「第三国人」が暗躍する「闇市」と表現するのは誤りである‥‥‥ 警察の統制から表面的に解放されたはずの朝鮮人だったが、戦前期と変わらない治安対象として位置づけられて、戦後も警察から抑制されることになった。闇市、濁酒の手入れのときは警察発表がそのままマスコミに流され、法に服さない朝鮮人という印象が広がっていった。当時、在日朝鮮人の多い地方新聞には闇や濁酒製造の記事が多数掲載されている。‥‥ (樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』同成社 2002年6月 156~157頁 173頁)
当時の朝鮮人は闇市や濁酒という違法行為、或いはまた法やルールを無視した乱暴な‘振る舞い’を繰り返していたのでした。彼ら朝鮮人たちは、自分たちは解放民族なのだから日本の法律に従う必要はないとして、自分たちの民族性を誇示しつつ違法行為や乱暴な‘振る舞い’を行なったのです。
「悪の溜まり場」「法に服さない朝鮮人という印象」は、確かにそういう違法行為や乱暴な‘振る舞い’をする朝鮮人が一部とはいえ多かったからです。 これには当然警察の「抑制」「手入れ」があるものですし、治安対象となるのも当然でしょう。 しかし内海や樋口はこれが「警察の統制から解放されたはずの朝鮮人」に対する不当なものであり、「闘いへの弾圧」といっています。 つまり朝鮮人の違法行為や乱暴な‘振る舞い’に対しては、警察は容認すべきであったという主張をしているのです。
「闇市」などの新興部門のハデに映る景気をねたんでか、「闇市」で威張っている「第三国人」というような戦前の差別意識を裏返した新しい差別感情が‥‥公然と増幅されるようになり、‥‥現在もこの種のデマがまかり通っている。 (リチャード・H・ミッチェル『在日朝鮮人の歴史』彩流社 のうち金容権の訳注 139頁)
一部には「解放された民族」の特権を振りかざして、かつての日本人による差別と蔑視に反発した、行き過ぎた行為も少なからずあった。これが韓国・朝鮮人にたいする日本人の排他心をあおるのに、大いに利用された。 ‥‥日本の敗戦の直前まで「日本の法令下」で戦争への協力と犠牲を強いられてきた韓国・朝鮮人の心情に対する理解は皆無である。 (姜在彦・金東勲『在日韓国・朝鮮人 歴史と展望』労働経済社1989年9月 122~123頁)
金や姜は、朝鮮人は戦前に差別され続け、そして戦争に協力と犠牲を強制されたのだから、そのような違法行為や乱暴な‘振る舞い’を理解すべきであると主張しています。
こういった同胞たちの行為と‘振る舞い’に対して張赫宙や権逸のように苦々しく思った朝鮮人もいたのですが表面にはなかなか現れず、むしろ革新・左翼系の多くの人たちが彼らの‘振る舞い’を積極的に擁護してきたのです。
そういったなかで10年程前の本ですが、金賛汀が次のようにかなり冷静な記述をしており、目を引きます。
在日朝鮮人の間には植民地支配を通して、法律は朝鮮人を苦しめるために存在しているという意識から、順法精神は極めて薄く、統制物資の密売密造に犯罪意識はほとんどなかった。 その上日本の敗戦で自分たちは「解放国民」になったから日本の法律に従わなくてもよいという思い込みもあった。 ‥‥戦前抑圧され、おとなしかった朝鮮人が「解放民族」という立場を利用して、日本人の命令に従わず、勝手な振る舞いをするので日本人は苛立ったのである。」(金賛汀『在日 激動の百年』朝日選書 2004年4月 100~102頁)
「東方礼儀の国」は屈辱的な言葉だった ― 2013/11/22
韓国・朝鮮人は自国を表す言葉として「東方礼儀の国」を自負的に使います。韓国の観光案内書にこの言葉はしょっちゅう出てきますし、韓国のお年寄りは「昔は東方礼儀の国と言われたのに、今の若者は礼儀がなっとらん」と嘆きます。
北朝鮮でも2000年に韓国の金大中大統領を出迎えた際、金正日がこの言葉を出してきて自分たちの「美徳」であり「誇りに思う」と言っています。
訪朝初日、百花園招待所を訪れた金正日(キム・ジョンイル)総書記は、金大中大統領にこう言った。「われわれは『東方礼儀之国』という美徳を有している。『東方礼儀之国』を誇りに思うからこそ、多くの人民たちは(金大統領を)出迎えた」 첫날 백화원초대소를 찾아온 김정일이 김 대통령에게 말했다. "섭섭지 않게 해 드리겠습니다. (우리는) 동방예의지국이라는 도덕을 가지고 있습니다. 동방예의지국을 자랑하고파서 인민들이 김 대통령을 환영하러) 많이 나왔습니다." 우리는) 동방예의지국이라는 도덕을 가지고 있습니다. 동방예의지국을 자랑하고파서 인민들이 김 대통령을 환영하러) 많이 나왔습니다
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/06/2013100600096.html
また韓国人が北朝鮮を無断訪問して金日成の墓に参拝して国家保安法違反に問われた事件で、韓国の裁判所は自国が「東方礼儀の国」なのだからという理由で無罪を言い渡したこともあります。
韓国裁判所「東方礼儀の国を勘案して…」金日成の墓参拝、無罪‥‥‥ 無断で北朝鮮を訪問して金日成(キム・イルソン)の墓を参拝した容疑について裁判所が無罪と判断した。‥‥裁判所は「東方礼儀の国である大韓民国で、普段から理念的に偏向性が明確でない人の単純参拝行為は、亡くなった人の冥福を祈る儀式として見ることができる」と述べた。 법원 "동방예의지국 감안해 … " 김일성 묘 참배 무죄‥‥‥무단 방북해 김일성 시신을 참배한 혐의에 대해 법원이 무죄라고 판단했다.‥‥재판부는 “동방예의지국인 대한민국에서 평소 이념적 편향성이 뚜렷하지 않은 사람의 단순 참배 행위는 망인의 명복을 비는 예식으로 볼 수 있다”고 말했다.
http://japanese.joins.com/article/632/176632.html
韓国にしろ北朝鮮にしろ、「東方礼儀の国」は ‘アジアの東にあって人として行なうべき道である礼節や礼儀作法をよく守って実行している国’ というように肯定的な意味で使われています。
しかし「東方礼儀の国」は本来こういう意味ではありません。韓国の『国語大辞典』(省安堂 1997年10月)には、この言葉を次のように解説しています。
{名詞} 「東方にある礼儀を知る国」という意味で、「我が国」を指し示す。<参考:我が国が昔から中国で「事大の礼」を非常によく守っているために、中国人たちから得るようになった不名誉な名前である。今日、むやみに使ってはならない言葉である。 동방예의지국(東方礼儀之国){명} ‘동쪽에 있는예의를 아는 나라’라는 뜻으로 ‘우리나라’를 일컫던 말. <참고; 우리나라가 예로부터 중국에 ‘사대의예’를 지극히 했기 때문에 중국사람들에게서 얻게 된 불명예스러운 이름이다. 오늘날 함부로 쓰지 말아야 할 말이다’>
「東方礼儀の国」の「礼儀」とはこの辞典にあるように「事大の礼」のことであって、‘人間として行うべき礼節’ の意味ではありません。「事大」とは小国が大国に従い事(つか)えることです。古来朝鮮は中国皇帝の徳を慕って朝貢し礼儀を尽くすという 「事大の礼」 を行なってきました。そして「東方」とは中国から見て「東」という意味ですから、この言葉の主体は中国です。
従って「東方礼儀の国」とは中国人が朝鮮について、東に位置する朝鮮は小国でありながら我が中国皇帝によく仕え、またよく言うことを聞く国である、礼儀をわきまえており感心なことである、という称賛であって、実は朝鮮を見下すものです。ここで言う「礼儀」とは、自主性を欠いて勢力の強いものにつき従うことによって自分の存立を維持することを意味する事大主義なのです。だから韓国の大辞典の著編者は「不名誉な名前」であり「使ってはならない言葉」だと注意を呼びかけたのです。
このように「東方礼儀の国」は、本来は韓国・朝鮮にとって屈辱的な言葉であったのですが、今では民族の誇りを表す言葉として北でも南でも大いに使われているのです。
言葉にはこのように本来使っていた意味とは違って、全く反対の意味で使われることがあります。
孫崎享の沖縄独立論 ― 2013/11/29
文藝春秋の『2014年の論点』を購読。こういう類の本は、各論者が2~4頁程の分量に書いているので、簡潔で読みやすいものが多いです。成る程そういうことだったのかと知るものがあれば、何だ!これは?と疑問に思うものもあります。なかには孫崎さんの「沖縄独立論はいま、現実的なのか」(130~131頁)のようなビックリ仰天の論文がありました。
過去「沖縄独立論」は床屋談義のように、実現するはずのないことを語るという色彩を持っていた。 その段階は終わったと思う。今や、沖縄の人々は現実味のある政治課題として沖縄独立論を語り始めた。‥‥ 中国経済が拡大していけば沖縄の中国との結びつきは当然強まる。これに加えて、台湾、香港、韓国との結びつきが増える。こうしてみると、日本本土との結びつきは沖縄にとって唯一ではない。‥‥ 沖縄県民が住民投票で「独立する」と投票すれば多分日本政府になす術はない。現下の国際政治では地域住民の意思が何よりも重視される。 「尖閣諸島は1ミリとも譲らない」と言っているが、沖縄が独立すれば、こんな議論もいっぺんに吹っ飛ぶ。
これが、かつて外務省国際情報局長や駐イラン大使という外交の重職を務めた人の書いたものとは、とても信じられないものです。
日本の領域の一部が独立するとどうだろうか、というのは小説で出てきます。古くは高橋和巳の「邪宗門」や、井上ひさしの「吉里吉里人」がありました。なかなか面白かったのですが、あくまで小説。
しかし孫崎さんは自らの主義主張として「沖縄独立」を訴えています。この人が中国のチベットやウィグルでも同様の主張をするのなら、少しは説得力があるのですがねえ。今の日本で孫崎さんがもてはやされていることが、どうも理解できません。