解放運動 ― 2014/05/02
朝鮮の李朝時代の両班の、現在から見れば非道徳的な振る舞いについて論じました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186
買えばお金を払う、借りたものは返す、という現代では当たり前の倫理は、両班と常民との間では成立しなかったのです。常民は両班の無理難題に黙って従う、それが朝鮮の中世社会です。
これを読んで、だから朝鮮人なんて奴は‥‥などと溜飲を下げて自らのレイシズムを高める人もいるでしょう。 しかし、日本ではこんなことはあり得ないと思ったら大間違いです。 つい十年ほど前まで、このような非道徳な振る舞いがまかり通ったことが、一部ですが日本社会の中にあったからです。
それは解放運動の世界にありました。
活動家の転落 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593
ここで藤田敬一さんは、ある解放運動活動家の非行について
「約束は守る。借りたら返す。買うたら払う」は、市民生活の常識です。それを長年にわたって破ってきたとは。情けなさに身もだえする年の暮れ
と述べておられます。 そこでは特定の活動家のことになっていますが、解放運動に接したことのある人、特に会社の総務や役所などで業務上に解放運動と付き合わねばならなかった人には実感できるのではないかと思います。 「さもありなん」「こちらもそうだった」と。
同和対策事業が1969年に施行されました。 その事業の中で、奨学金制度があります。 同和奨学金は他の奨学金に比べかなり有利でしたが、それでも借りたものですから返さねばなりません。 しかし返済した人は0に近いでしょう。 解放運動は、わが運動に参加すれば奨学金は返さなくていいと宣伝していました。 これを真に受けた人が多かったのです。 確かに解放運動の先進地域では、返済金を肩代わりする制度を行政に作らせたこともありました。
同和地区の産業を活性化するために、同和企業に融資する制度もありました。 利息はほとんど0で、非常に有利なものです。 しかしこれも返済した人はほとんどいないでしょう。 同和企業の社長さんが「そんな(返済義務)こと、行政が何とかしてくれる」と言っていたのを今も鮮明に記憶しています。
解放運動がモラル崩壊をもたらしたと言えます。 これが1970年代から2000年代前半までの30数年にわたり、解放運動が日本中に猛威をふるったなかでの出来事でした。 ほんの最近です。
隣国の古い時代の李朝両班モラル喪失を知って溜飲を下げる前に、近年のわが日本ではどうだったかを検証すべきでしょう。
今の若い世代の人たちには想像もつかないような世界が、日本にもありました。
【拙稿参照】
闇に消えた公金―芦原病院・同和行政 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418
これが「真摯に反省」? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079
飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080
解放運動に入り込むヤクザ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616
水平社宣言 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798
部落(同和)問題は西日本特有の問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936
解放運動の「強姦神話」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192
活動家の転落 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593
差別の現実から学ぶとは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789
かつての解放運動との交渉風景 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508
郵便ポストを設置させた解放運動 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784
韓国フェリー沈没事故―大統領の不用意発言 ― 2014/05/06
去る4月16日午前、韓国の全羅南道珍島沖で乗客乗員476人を乗せた大型フェリー「セウォル号」が沈没する事故が発生。 救助された者は174名に過ぎず、死者260名、行方不明42名(5月5日現在)。 乗客に高校2年生の修学旅行生325人と引率教師14人がいたので、韓国社会が大きな衝撃を受けた。 この事故のニュースは当然韓国の方が詳しいので、私はずうっと韓国語のニュースばかり見ていました。
朴大統領は事故の翌日(17日)に、周囲の反対を押し切って事故現場を訪問。 しかし現場では救助活動体制を整えて救助に全力を注がねばならない時であった。 そんな時に国家の最高責任者である大統領が訪れるとそちらにもかなりの人員を割かねばならないので、現場の混乱が増すだけである。 大統領は被害者家族が集まっている体育館を訪れると、救助活動の遅れを責め立てられた。 そして「皆様のおっしゃることは実行します」と言ってしまった。
それから被害者家族たちは救助活動の中身に口を出し、要求するようになった。 いわく「民間の潜水士をもっと入れろ」「ダイビングベルを投入しろ」等々。
救助作業には海軍や海上警察(海上保安庁にあたる)の災難救助隊の潜水士たちが全力で当たっていたのだが、被害者家族にはもどかしかったようである。 一方で民間の潜水士の一部が、救助に参加しようと来たのに拒絶されたとか言い出し、韓国マスコミもこれを取り上げたものだから、「何故民間の潜水士を入れないのか!」と詰め寄った。 先の大統領の言があったため、汎政府事故対策本部はこれを受け入れざるを得なかった。
結果は予想通りのものだった。 民間の潜水士は個々の能力差が余りにも大きいため、チームを組んでやらねばならない救助作業には役に立たないのである。 その時の記者会見では「被害者家族の意思を尊重して行なった」という一言が付け加わった。 そこには、‘足手まといになるだけの民間潜水士は入れるべきでないのに大統領の一言のために仕方なく入れた、結果はやはり駄目だった、’という気持ちが込められていたのが歴々であった。 結局、対策本部が選んだ民間団体の潜水士のみが参加することになった。
次に現れたのが「アルファ潜水技術公社」という民間団体。 ダイビングベルという機械を投入すれば潜水士は20時間も水中作業できる、これを使うように申し入れたら拒絶されたと言う。 これを韓国のマスコミが取り上げたものだから、被害者家族が「何故使わないのか!」と詰め寄った。
ダイビングベルとは、ベル(鐘)のような容器を逆さにしてそのまま水中に沈めて中に空気を入れると、そこで潜水士が休憩できるというもの。 一々水上に上がらなくても済むから、作業効率が非常に高まる「優れもの」という触れ込みだった。 これも被害者家族が強く要望し、また大統領の言もあったことから無視できず、導入せざるを得なかった。
結果は無残であった。 沈没地点が救助作業で非常に混雑しているところにダイビングベルが割り込んできたから、混乱をもたらしたのである。 さらにダイビングベル自体が予想通りに役に立たない。 それどころか危険なのである。 ダイビングベルは暖かくてまた潮流のほとんどない静かな海で、なおかつ周囲に誰もいない海でのみ使えるシロモノだった。
これを導入し設置するためにかなりの人員と作業スペースを割かれてしまい、実際の救助作業に支障が生じたのである。 この時の記者会見でもやはり「被害者家族の意思を尊重して」という一言が付いた。
「アルファ潜水技術公社」の李ジョンイン代表は、当初20時間潜水作業できると言っていたのが80分になり、全く駄目と分かると「これでダイビングベルの性能を立証するよい機会になった」と言う始末。 ダイビングベルを使えと主張した被害者家族はその「性能」を報道したマスコミに抗議するというが、マスコミに踊らされた自分たちを反省しない。 そのマスコミはダイビングベル投入の生中継までしようとしたが、駄目と分かると雲隠れ。 最初は無駄だからと拒絶しながらも後に受け入れた事故対策本部、そして被害者の家族の言うことは実行しますと約束した大統領。
結局救助活動が遅れたことに対して、誰も責任を取ろうとしないままこの件は終った。 朴大統領の不用意な一言が事態を悪い方向に導いたとしか言い様がない。
沈没フェリーの救助作業現場は潮流や深度3~40m、濁水などによる作業自体の困難さだけでなく、このように人的環境にも大きな問題を抱えている。 日本は事故発生当初に援助を申し入れたが、韓国側が断った。それには「また反日か?!」などと批判があったようだが、正解だったのではないか。
もし日本の海上保安庁や自衛隊の援助隊が行ったとしても、その人的環境の悪さに巻き込まれる可能性があったのである。 韓国にしても、この人的環境の悪さを国内に押し留めることができたと言えるのではなかろうか。
フェリー沈没現場は、事故発生後10日ほど経って救助ではなく遺体捜索活動となった。韓国の海警・海軍災難救助隊員たちは、トイレ・食事・休憩・仮眠空間の不十分な劣悪環境のもとで、仲間が疲労や潜水病で次々と倒れていくなか、必死に捜索活動を続けている。
原始社会 ― 2014/05/11
人類がサルから一歩踏み出した段階を「原始的」とし、近代以前の中国・インドを「アジア的」段階としたら、その間に「アフリカ的」段階を挿入したらどうかという話をしました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374
これは吉本隆明が言い始めたことです。 確かにサルに近い人類と、中華文明やインダス文明を形成させた中国・インド人との間には大きな隔絶があり、その間にさらに段階設定した方がいいかも知れません。
ところで「原始的」段階はかつて存在したことが確かだとしても、今は近代社会と接触して変形してしまっています。 純粋な原始社会は現代ではおそらく存在していませんから、今残っている資料から類推し、想像するしかありません。 思考実験とか言うこともあるようです。ちょっと思考実験してみます。
サルから人類への道を一歩踏み出した段階である原始社会はどういうものであったか。 これは今のゴリラやチンパンジーなどの類人猿と大きくは変わらなかったはずですが、「何か」が違い始めていました。 これは200万年前とも300万年前とも言われる太古の時代のことです。 この違い始めた「何か」が、人類の本質です。
次に人類学の分野になると思いますが、記録に残る原始社会の情況があります。原始社会ですから文字がありません。 ですから近代になって欧米の探検家や宣教師、人類学者などがアフリカ・アメリカ大陸、太平洋諸島などで原始社会段階の人たちと接したときの記録、あるいは各民族が残した遠い昔の伝説・民話などの古典から見るしかないです。
このなかで現代人から見ればこれは余りにも理解できないとか、ひょっとしたら気が触れていたのではないかと思われるようなところに注目せねばなりません。 何故なら、「原始的」段階は現代人が想像もつかないような社会だったからです。 それでも、想像もつかないことを想像するのが思考実験です。
原始社会の人間は「自然」と意識が通じるという場面が出てきます。 動物はもちろんのこと、山や川、林に至るまで、原始人は自分たちと同じような意識・感情を持つと観念していました。 吉本の本に紹介されていた例では、アメリカのチェロキー族の昔話があります。
家の近くの山には白カシの木がたくさんあったんだけど、そのカシの木が興奮しておびえているって、父さんは言う。 ‥‥父さんは白カシの林に木こりが何人も入っているのを見つけた。 幹に印をつけたり、全部切り倒すにはどうすればいいか調べたりしているじゃないか。 木こりがいなくなると、白カシは泣き出したんだってさ。 だから父さんは、もう夜も眠れやしない。 それからは毎日、木こりのようすをじっと見張っていたわ。木こりたちは、馬車の通れる道をてっぺんまでつくろうとしたの。 父さんがチェロキーの仲間たちに相談すると、みんなで白カシを守ろうってことになった。 木こりたちが引き上げるのを見はからって、夜の間に総出でその道をあちこち掘り起こして、深い溝だらけにしたんだ。 女も子供も手伝ったよ。 ある日、木こりたちが道をなおしていると、突然一本の大きな白カシの木が馬車の上に倒れてきたの。 ラバ二頭が死んで、馬車はめちゃめちゃ。 とても立派で元気なカシの木だったから、倒れるはずがないのにね。 木こりたちはとうとうあきらめたよ。 ‥そうして二度と戻って来なかったんだよ。 満月の夜、チェロキーは白カシの林でお祝いの祭をしたの。 黄色いお月様の中で輪になって踊ったのさ。 白カシも歌ったよ。歌いながら、枝と枝を触れ合わせ、チェロキーの頭や肩にやさしく触ったんだ。 仲間を助けようとして命を投げ捨てたあの白カシの木に、みんなでお弔いの歌を歌ってあげたわ。(吉本隆明『アフリカ的段階について』春秋社 1998年 40~42頁)
現代社会でこんなことが起きれば、チェロキー族の人たちは不法侵入罪、器物損壊罪、業務妨害罪等々に問われるでしょうし、犯行動機が「切られようとした白カシの木が泣き出したから」と供述されたら精神鑑定に回されることでしょう。 しかし現代人にはちょっと理解できないチェロキー族のこのような考え方と行動は、原始社会の心性が表れたものと思われます。
原始人が自然と意識を通じ合うということは、動物の鳴き声や風や川の流れ、雷鳴、雨足など自然界に現れる音が人間の口から出てくる音声と同じように聞こえることです。チェロキー族の人には白カシが風に揺られる音などが白カシの泣き声として聞こえて、その気持ちを察したものと思われます。
現代では非常識と言われてしまうような精神状況が原始社会にはありました。 何故このようなことを獲得したかと言えば、言葉を持つようになったからです。 人間が自分の中にある意識を外に出す時に口や喉を使って発する言葉は、サルから一歩踏み出した段階においては自然界にある音と区別がつかなかったと思われます。 とすると原始人たちは、自然の音には自分たちの発する音声と同じく意識があるものと観念していたと言えるでしょう。
自然界のあらゆるものには意識があるという観念は、あらゆるものに神が宿っている思想(アニミズム)に繋がります。 アニミズムは原始社会のものだから我々には関係ないと突き放してはダメです。 何故なら人間も自然の一部であるという厳然たる事実があるからです。
現代の無謀な開発に対し「これでは美しい山・川・海が悲しむ」と感じる力が歯止めをかけ、自然を保護する貴重な力になるのです。 人間も自然の一員であるからには、原始人が有していた心性は今なお僅かながらもずうっと維持されてきています。 現代人が失いそうになっている原始人の心性は、自然と共存せねばならない我々人類の知恵として大切にしていかねばならないものです。
『SAPIO』が変身か? ― 2014/05/15
今回の(フェリー沈没)事故は(SAPIOの)記事が正しかったことを証明したが、だからといって本誌が懸念した日韓関係の軋轢が解決するわけではない。同特集のリードでこう指摘した。 「韓国の嘘がバレる日が近づいてきた今こそ、我々は『ざまあ見ろ』と罵るのではなく、正しい知識と歴史的事実、そして国際社会の常識を共有できる隣人となるべく手を差し伸べる包容力を見せるべきだ」 ところが、この文章が本誌ウェブサイトなどに紹介されると一部の読者からは “嘘つきと付き合えるものか“ “悪いのは向こうなのだから放っておけ” “サピオは頭がおかしくなったのか”といった反論が寄せられた。実に憂うべき病巣が日本にもある。 (『SAPIO』2014年6月号 3頁)
「子供を叱るな、いつか来た道」と格言は戒めるように、先に発展した我々が後に続く国に範を示し、必要なノウハウを提供するのは当然であり、「そんなことも出来なかったか」と馬鹿にするのは驕りである。 (同上)
これまで嫌韓・反韓をさんざん煽ってきた『SAPIO』が、このたび突然変身したかのようです。 元々嫌韓・反韓ではなかったのだと言いたかったようですが、これまで扇情的な見出しで売り上げを伸ばし、レイシストたちから愛読されてきた雑誌です。 売り上げ減を覚悟でレイシズムとの決別を宣言したのなら、まあ理解できる範囲なのですが‥‥。
これからの紙面作りに注目します。
韓国映画 『南営洞1985』 ― 2014/05/20
韓国の映画『南営洞1985 国家暴力:22日間の記録』を鑑賞。 映画の宣伝文句は次の通りです。
1985年、軍事政権下の韓国。民主化運動の中心人物であった金槿泰(キム・グンテ)は、公安警察に不当逮捕され、22日間の壮絶な拷問を受けた。これがアメリカの人権団体を通して国内にも知られるところとなり、軍事政権への不満が噴出。87年の6・29民主化宣言への呼び水となった。 金槿泰の死去を受け、彼が残した自伝的手記を、韓国きっての社会派監督、鄭智泳が映画化したのが「南営洞1985」である。彼をモデルにした主人公、キム・ジョンテ役にパク・ウォンサン。冷血非道な拷問技師、イ・ドゥハンをイ・ギョンヨンが演じている。
映画は苛酷な拷問シーンが続き、まるで暴力映画か恐怖映画のようでした。実話に基づいているとされているのですが、ちょっと気になる点が一つありました。
それは公安警察側がこれはデッチ上げであることを自覚しながら冷酷な拷問を繰り返し、事件を作り上げていったとしている点です。 これはおそらくあり得ない想定でしょう。 公安警察は、韓国を共産主義から守らねばならないという使命感があり、この容疑者が正にその手先であるという確信があるからこそ、拷問してでも供述を得ようとしたはずです。 だから、本当は違うかも知れないなどと考えながら拷問したという映画での想定はリアリティがありません。
ところで映画では、韓国の公安警察は捜査および情報収集能力が非常に劣っているという表現をしていました。 容疑者が拷問に耐えかねてどこそこで誰と出会ったという虚偽の供述をし、警察はそれを記録するのですが、実はそれはアリバイがすぐに分かるようなモノだったという場面があったのです。 ある人間を敵国のスパイではないかと捜査するなら、その人の行動パターン、接触人物、通話記録、お金の動き等々をすべて調べ尽くした上で、相当詳しい見通しを持った上で逮捕するものですが、映画ではそんな捜査をしなかったことになっています。 もしこれが事実ならば、韓国公安警察の捜査は稚拙であり、また捜査員の能力がかなり低いということになります。
韓国には北朝鮮からのスパイ(間諜・工作員ともいいます)がかなりの数で送り込まれていたのは事実です。 しかし韓国当局がこのように稚拙な捜査と苛酷な拷問を繰り返していたとするならば、肝心のスパイに行き着くことはありません。 そもそも22日間も拷問したところで、大した情報を得られるものではないのです。 だから本物のスパイは見逃していたと言っても過言ではありません。 当局は北のスパイ組織を摘発したと発表したのですが、本当のスパイたちは腹を抱えて笑っていたことでしょう。
近頃の韓国では北の影響を受け、或いは北の指令を受けて行動していると思われる団体が目立ちます。 北のスパイが今なお暗躍していることを窺わせますが、こういう事態の遠因として、かつての稚拙な捜査でスパイを見逃してきたからと言えるのではないかと思います。
韓国映画「南営洞1985」を見て、昔の私だったら、北に対する警戒があれほど厳しい韓国の捜査当局がこんな無能であるはずがないと否定していたでしょう。 しかし近頃の韓国の様相を見ると、案外その通りだったのではないだろうか、などと思うようになりました。 韓国の捜査官たちは使命感だけは高くて捜査能力が低かったから、拷問に頼ろうとしたと思えます。
韓国と北朝鮮の崩壊論 ― 2014/05/25
朝鮮半島にある二つの分断国家を名指して、「この国はまもなく崩壊する」というような主張は昔から多いものです。 しかも予言者ではなく、れっきとした専門家がそれを言います。 しかし、それが当たった験しはないと言わざるを得ません。
1970年代の韓国はいわゆる朴正熙の軍事独裁政権時代で、米国と日本という大国に従属し、国内では民主人士を弾圧する暗黒国家だ、このような国は長く続くことはあり得ず、まもなく崩壊するだろうという主張が大きかったものです。 日本では日本の左翼・革新系の専門家が主張していたし、岩波の月刊誌『世界』では毎号大きなスペースを割いていました。 しかし韓国は国家危機に陥ったことはありましたが、崩壊することなく、現在まで続いています。
一方1989年から始まった東欧・ソ連の社会主義の崩壊により、朝鮮半島でも北の社会主義はまもなく崩壊するという主張が大きくなりました。 1994年には金日成が死去し、大飢饉が訪れ、国際的制裁もあって、確かにこれでは崩壊するだろうと誰もが思うほどでした。 しかし「苦難の行軍」を呼号する北朝鮮は、数百万人の餓死者を出しながらも崩壊することなく現在まで続いています。
北朝鮮崩壊論は、もはや耳に蛸が出来るほどです。 北朝鮮を素直に見れば、こんな社会が20・21世紀のこの世にあるんだと妙に感心するとともに、これではいつかは破綻するだろうと確信はします。 しかし、‘まもなく崩壊する’、‘崩壊は時間の問題’、‘数年も持たない’などと言われ続けて20年以上経って、今なお存続しています。 三代目世襲政権は、今のところ揺るぎは見えません。 「崩壊論は信じてはいけない」の典型例です。
以上から「崩壊論」を主張することは慎重にならねばならないと思うのですが、現在も手を変え品を変えて「崩壊論」が跋扈しているのが現状です。
この2年ほど前から出てきたのが、三橋某の韓国経済崩壊論。嫌韓ブームに乗っているのか、本をかなり出しており、また雑誌にもよく登場します。 しかしこのような韓国崩壊論は、上述したように40年前の1970年代に盛んに流布されていたのと二番煎じに過ぎないように私には思われ、これを主張する論者は嫌韓ブームに踊るピエロのような印象しかありません。 それでもこの論者はこれでお金が儲かって生活できるのですから、日本はいい国だと思います。
朝鮮半島だけでなく、日本でも1年半前に安部政権が樹立された当初、政権すぐさま崩壊論がたくさん出てきました。 しかし今はこの政権の長期化は避けられそうにありません。 また中国も数年前から、バブル経済が深刻化により経済崩壊すると予想する人が多かったですが、そんな気配は見せないまま今に至っています。
崩壊論は地震予知と似ています。 大地震は数百年・数千年の単位で考えると、いつかは必ずやってきます。 これは確実なことです。 しかしそんなことは素人でも誰でも言えることです。 これから十年以内に大地震がおきると予知すれば、何%かの確率で実際に起き、残りの90%以上は外れます。 これでは当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界と同じですから、人騒がせだけで、役に立たない予知です。
崩壊論も同じです。国家史を数百・数千年ほど遡れば、革命・内戦・侵略・敗戦など崩壊情況に陥った歴史の繰り返しです。 だからどんな国でも数百・数千年の単位でみると「いずれ崩壊する」とは誰でも言えるほどに確かなことです。 北朝鮮や韓国、日本も同じく、これから数百・数千年先を考えるならば、いつかは崩壊して今とはぜんぜん違う社会になる、あるいは北朝鮮、韓国、日本という国家そのものが存在していないだろう、というのは確実だと言えますが、そんなことを幾ら言っても全く意味をなさないものです。
逆に誰もが全く予想しない時に、崩壊が起きます。 典型的なのが1989年から1990年代に起きた東欧・ソ連の社会主義崩壊です。
多くの人が崩壊を予想する時には崩壊は起こらず、誰もが予想しない時に崩壊が起きるというのが「歴史の教訓」です。 だから北朝鮮や韓国は、もうこれでは崩壊しないだろうとみんなが思った瞬間に崩壊することでしょう。
そこで誰もが予想しない、私だけの崩壊予言をしてみます。 それは「南北共倒れ説」です。 シナリオは二つあります。
【シナリオ1】
① 北朝鮮の崩壊が始まり、韓国が統一事業着手。
② 北朝鮮人民軍の武装解除に失敗し、韓国国軍と北朝鮮人民軍間で戦闘激化。
③ 北の住民の生活保障が困難となって流民化。 治安の悪化が韓国まで波及。
④ 朝鮮半島全体が大混乱に陥り、韓国政府の機能が喪失する。
【シナリオ2】
① 韓国で親北民主政権が樹立され、韓米同盟を解消し、北朝鮮と統一協議を始める。
② 北朝鮮が統一事業の主導権を握り、韓国政府は北朝鮮政府の影響下に置かれる。
③ 北朝鮮の主導のもと選挙が実施され、統一人民政府樹立される。
④ 新政府の軍隊・警察の指揮権を北朝鮮が掌握。
⑤ 旧韓国地域では治安悪化、旧韓国民が大量亡命。
⑥ 朝鮮半島全体が大混乱に陥り、新政府の機能喪失。
このような「南北共倒れ説」は今のところ誰も予想していないので、先の「歴史の教訓」からすれば一番よく当たるのではないかと勝手に思っているのですが‥‥。 しかしここまで来れば、未来小説と同じですねえ。
韓国の前官礼遇 ― 2014/05/28
韓国の司法界における前官礼遇が問題となって、次期首相に指名されていた安大熙元最高裁判事が辞退することになりました。 毎日新聞の記事を紹介します。
http://mainichi.jp/select/news/m20140529k0000m030054000c.html
【ソウル澤田克己】韓国の次期首相に指名されていた安大熙(アン・デヒ)元最高裁判事(59)が28日、指名辞退を表明した。客船セウォル号沈没事故で引責辞任を表明した鄭火共原(チョン・ホンウォン)首相の後任として朴槿恵(パク・クネ)大統領から22日に指名されたばかりで、朴大統領には大きな打撃となる。 安氏は判事退任後の昨年、弁護士事務所を開設。5カ月で16億ウォン(約1億6000万円)の収入を得ていたことが判明し、問題視されていた。首相就任に必要な国会聴聞会を乗り切るのは難しいと判断した模様だ。 韓国では、判事や検事を退任して開業した弁護士が、口利きを期待する依頼人から高額報酬を得ることが社会問題となっている。 朴政権では昨年、初代首相に指名された金容俊(キム・ヨンジュン)元憲法裁判所長も息子の兵役逃れ疑惑などで指名辞退に追い込まれた。
この記事の中の 「韓国では、判事や検事を退任して開業した弁護士が、口利きを期待する依頼人から高額報酬を得ることが社会問題となっている」 のところが前官礼遇です。 これについては、1年半ほど前の拙稿で論じたことがあります。
法より情を優先する韓国社会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093
法より情を優先する韓国社会の実例として、もう一つ「前官礼遇」を挙げねばなりません。 特に「平等」「正義」等を標榜する司法界における「前官礼遇」は、もうビックリするしかありません。 最近話題になった韓国映画「トガニ」は、障害者施設で実際に起きた強姦・強制わいせつ事件を扱っていますが、この映画のもう一つのテーマが「前官礼遇」なのです。 裁判官が職を辞して弁護士を開業するのは韓国でもよくあることです。 しかし韓国では、元裁判官が弁護士開業した直後に引き受ける裁判では、担当裁判官は先輩の弁護士を尊重して、そっちに有利なように判決を下すのです。有利といっても半端じゃなく、教え子少女強姦という重犯罪でも、懲役数ヶ月で執行猶予付きという超寛大な処罰(「トガニ」による)にしてしまうぐらいです。 つまり裁判官は、法や正義よりも、先輩・後輩の情を優先するのです。 これが韓国司法界の「前官礼遇」です。 従って裁判官を辞めて弁護士になった人は、それこそ超高値で弁護依頼が来るそうです。ほぼ100%近く勝訴できるからです。 ただし、この効き目は1年までだそうですが。
韓国の前官礼遇はこれまで一部の人が問題にしていただけでしたが、今度はかなり大きな問題となったようです。 韓国はこれを機会に法治国家の道を歩んでほしいと思うのですが、どうでしょうか。 喉元過ぎれば熱さ忘れる‥ 元の木阿弥‥ なんてことにならないよう願っています。