本国で中年男性からツバを吐きかけられた在日少女2014/08/22

 25年も前の本ですが、小林靖彦編『在日コリアン・パワー』(双葉社 1988年3月)にファッションデザイナー朴美恵子さんの次のような話があります。 彼女が高校を卒業してから韓国に留学したときのことです。

韓国の人から在日の陰口はよく聞きましたよ。 在日は、日本人みたいに金使いが荒いとかね。韓国からみると、在日韓国人は日本人だってみる人も多い。ヘタすると、日本人よりタチが悪いって思う人もいたりしてね。(51頁上段)

 そして彼女は、最初の訪韓時の屈辱的な体験を語ります。

みんな揃いのブレザーを着て胸に名札をつけ、デパートで買い物をしてたとき、中年の男が私のとこに来て、ものすごい剣幕でギャーとわめいたの。そして、ペッと私の顔にツバを吐きかけたんです。ショックでしたよ。いきなりワッとかなんとかののしられて、ホッペタにツバ吐きかけられたんだもの。       びっくりしたし、腹も立ったけど、周りにいた人たちが、みんながみんな、あんな人ばかりじゃないと慰めてくれたし、私も全員が在日同胞に対してそういう感情をもってるとは思わなかった。留学しても遊びまわっている同胞もいたから、もっともだなと思う点もありましたよ。(51頁下段)

 韓国の本国人が在日韓国人に対してかなり厳しい感情を持っていることはよく聞く話なので、朴さんのこの体験談はリアリティがあります。

 また彼女は本国人に対して引け目を感じていたようで、ツバを顔に吐きかけられるという屈辱を受けながらも、「もっともだなと思う点もありました」と語っています。 この点も、1970・80年代の在日の情況を知る私には、さもありなん、と思うほどに非常にリアリティを感じました。

 今この話を読み返してみると、かつての韓国では、中年男性が20歳前の在日少女の顔にツバを吐くという犯罪行為があっても被害者の在日少女側がそれなりの理屈を見つけてじっと我慢せねばならなかった時代があった、ということになるのでしょうね。

【拙稿参考】

在日コリアンと本国人との対立

  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

コメント

_ よく考えないと ― 2014/10/22 00:45

名前は確か以前に使ったものです。
在日の人が隠れて住んでいたかもしれない田舎から,大阪に来ています。
在日の方で今の運動はおかしいといわれる方もいて,色々難しい事があるという事を感じています。
リンク先では投稿が閉め切られているので,ここに書きますが,今上で紹介した方は,国籍を韓国朝鮮にしておく事で韓国朝鮮人(民族)と思い込む運動をおかしいという意見で,おそらく,批判されている,在日朝鮮人には在日朝鮮人というもの独自の文化があるはずでそれを追究していこうという流れにつながるのだと思います。
私は日本国内の言語少数者(大阪自体がそうだと思うのですが)としてこの考えには同調できます。
日本国内のある地方の方言で育った人に,韓国人なら韓国語を話せというのは抑圧以外の何者でもありません。
こんなことで韓国人と日本人が意見一致させるのは,国粋主義は同時に拝外主義であり,東洋に即していえば中華思想だという証明だと思います。
個人個人にとって自分の言葉とは幼いときから話している言葉です。それの取り替えは大変困難であり,時間をもてあました知的エリートだけが出来る事です。
私が英国で世話になった知人はアイルランド系です。本人は先祖が移住して長いので一族皆英国籍ですが,奥さんはニュージーランド出身のアイルランド国籍です。どちらも普通にわかりやすい英語を話しますが,これは高等教育を受けているからです。(地元のイギリス人はなまりがひどいです。)こういう人が自分はアイルランド系である,またアイルランド人である,と自覚し,証明するのは,その言葉のためではありません。言葉以外の何かがある事は確かなのです。
社会言語学では民族の特徴は第一に言語であり,言語のちがいは,その保証に国家を必要とするということを教えていますが,同時に使う人の意思によってそれがかわる事も教えています。
関西人はまだしも沖縄の人は琉球語を話す限り通常東京や関西の人には理解されませんが,自分を琉球の人と考えるか,日本人と考えるかは,沖縄社会の意思で決まるでしょう。そこで東京語が話せない限り日本人ではないという論理は不毛です。

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