西川清『朝鮮総督府官吏 最後の証言』 (続)2014/10/21

創氏改名は強制ではありません。強制ならば、総督府からの指令があったはずです。これについて、総督府がはっきり言っているのです。     「創氏改名は自由である」と。    むしろ、朝鮮人が日本名を欲しがったという話も聞いたぐらいです。道庁の朝鮮人管理の人でも、創氏改名しない人は沢山いました。はっきりとは覚えていませんが、私のまわりでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」という命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。       総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うこと聞かないということはできません。それが名前を変えなかったということは、創氏改名は自由だったということです。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/06/7451338

 著者の西川清氏は戸籍関係の部署にはいなかったようです。だからと思われますが、この方の「創氏改名」に関する説明は間違いだらけです。彼のような総督府官吏でも、部署が違えば間違いの噂話を真実と思い込んでしまっているようです。創氏改名とは日本名をつけることというウソの噂話は当時から広まっていたのですが、当時の総督府関係者も誤解していた情況だったということでしょう。

 創氏改名に関するこのような誤解は朝鮮史研究者にも今も残っています。例えば平凡社『新版 韓国朝鮮を知る事典』(2014年3月)の「創氏改名」項目では

朝鮮人から固有の姓を奪い、日本式氏を名乗るように強いた政策。‥‥<日本式氏をつけることは任意>とされたが、末端では凄まじい強制があった。‥‥日本の氏を名乗らされたという屈辱の思い‥‥

というように間違いをそのまま記しています。

 間違いの要点を説明しますと‥ 「固有の姓」は創氏改名後では朝鮮戸籍の本貫欄に記されることになり、消えて無くなることはありませんでした。 だから総督府は朝鮮人の固有の姓を証明する文書(戸籍謄本等)を発行することができました。 「朝鮮人から固有の姓を奪い」は間違いなのです。

 ところで「日本式の氏」というのが家族名称であるなら、これを強制したのは間違いありません。 これはその通りです。 それまでの朝鮮の伝統には存在していない家族名称を作れ! というのが創氏改名の目的だからです。 何故なら朝鮮社会では家族で共通する名称というものがなかったのです。

 そして「作れ!」と強制された家族名称として日本風の名前で創氏するか、それとも金、朴、李などの先祖伝来の民族名で創氏するかは任意だったのでした。 だから民族名をそのまま家族共通の名前として創氏することが出来たし、実際にそのようにした朝鮮人も少なくありませんでした。 創氏改名は日本風の名前を強制するものではありませんでした。

 今私の手元に1944年(創氏改名令の4年後)の朝鮮銀行職員名簿がありますが、朝鮮名の方が結構います。なかには日本人部下がいる朝鮮名の主任もいます。

 このように日本風の名前をつけるかどうかは任意でしたから「日本の氏を名乗らされた」というのは間違いです。 創氏改名は、家族名称がないという朝鮮の伝統に家族名称を新たに付け加えるという政策なのです。

 ところでこの『事典』の「創氏改名」を執筆した宮田節子さん。朝鮮史研究では有名な方なのですが、何故このような説明をしたのかに関心を持ちます。 かつて「創氏改名は日本風の名前を強制することによって民族の抹殺を図った政策」という説が広まっていましたが、この考えを未だに引きずっておられるようです。