在韓米軍の慰安婦の話(3)2014/11/03

(解説)1950年代から1970年代まで、韓国に駐屯していた米軍は6万人を越えていて、彼らを相手にした基地村(米軍基地周辺の遊興街)の女性は約2万人であった。 そのうち9割近い数の女性が京畿道に住んでおり、低学力、強姦、父母の不在、人身売買のような境遇を経て基地村に流入した。 韓国政府は1961年11月に倫落行為防止法を公布したが、1972年7月に基地村浄化委員会総合プログラムを承認して、基地村の女性を対象に一週間に二回の性病検査を義務付けた。 多くの基地村女性たちがペニシリンショックと米国軍人の犯罪で命を失ったが、その死に対して何の抗議も出来ない状態だった。 自分たちの権利主張ができなかったのである。  (カリソンH.S著。イ・チョンジュ訳『同盟のなかのセックス』2002)

(資料)国会で提出された「基地村女性の人権に関する法案」

去る7月大韓民国の国会で「駐韓米軍基地村 性売買被害 真相究明および支援に関する特別法案」が発議された。 法案には基地村女性の人権侵害の真相究明と、被害者と遺族の生活を支援する内容が盛られた。 この法案は‘新しい政治民主連合’のキム・クアンジン議員の代表発議として、キム・サンヒ、キム・ジェユン、パク・ナムチュン、ペ・ジェジョン、ペク・ジェヒョン、ユ・ソンヨプ、チャン・ハナ(以上‘新しい政治連合’)、キム・ミヒ、イ・サンギュ(以上‘統合進歩党’)議員等、10人が共同発議した。

法案は国務総理の所属として「駐韓米軍の基地村性売買被害真相究明および被害者支援委員会」を設置し、性売買の被害事件に対する真相究明作業に着手することとした。 委員会は設立後4年以内に駐韓米軍基地村性売買被害についての資料収集・分析を完了して、活動期間が終ってから6ヶ月以内に駐韓米軍基地村性売買被害事件真相調査報告書を作成せねばならないと定めた。

被害者に対する生活支援も明示した。 政府がこの事件と関連して負傷した被害者に医療支援金を支給し、被害者およびその遺族に対しては生活支援金を支給できるようにした。 また家がない被害者に対して国家や自治体が建てた住宅に優先的に入れるようにして、鉄道等国家・自治体などの公共交通機関利用料を免除・割引を受けることが出来るようにした。 国家や自治体が被害者に対する相談・治療、自活教育と技術教育などの業務を支援する公共施設も運用することとした。

キム・クアンジン議員は「法案が通過して、当時の駐韓米軍基地村女性たちの人権蹂躙実態が明らかになって、この方々の名誉が回復され、今残っておられる方が円満な生活を維持できるように支援がなされることを希望している」と語った。 国会女性家族委員長であるユ・スンヒ議員(新しい政治連合)も、昨年の国政監査で1977年に朴正熙大統領が親筆で決裁した「基地村浄化対策」資料の公開し、国家が基地村の女性を直・間接的に管理したと指摘している。

法案は現在所管の常任委員会である国家国防委員会に回付された状態だ。 しかしセウォル号特別法政局で国会がオールストップの状態だから、期日内にこの法案についての本格的な議論が始まるのは困難とみられる。 国会関係者は「何よりも基地村性売買被害女性の人権問題を扱う法案が初めて提出されたということに意味がある」と語った。  (以上 キム・ギョンファ朝鮮日報記者)

在韓米軍の慰安婦の話(4)2014/11/07

(写真)基地村女性たちの宿舎として使われた所で、現在は閉鎖されている。 数字は部屋番号の表示だ。 当時のアメリカタウンは計画的に作られており、人々はタウン全体を‘会社’と呼んだ。 会社は女性たちに宿舎を提供し、一定金額の家賃を受け取った。女性たちはここで寝食し、代わりにクラブで働いた。 一部の女性たちは子供を連れてここで暮らしたが、米国軍人と契約同居するようになると、子供を外部の委託母に預けて仕事をした。

宮田節子の創氏改名論2014/11/10

創氏改名に関する拙論に対して次のようなコメントがありました。

宮田節子は左翼系の研究者ではあるが『創氏改名』(明石書店)という金英達らが書いたまっとうな本の共著者でもありそういう初歩的な間違いをするのは解せないですねえ

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/21/7467784

 宮田節子の主張について、もう少し検討したいと思います。

 創氏改名は日本風の名前を強制することではなく、それまで朝鮮の伝統になかった家族名を新たに付けることを強制するものです。 だから金、朴、李のような先祖伝来の民族姓で創氏することが可能であったし、そのような人の割合が2割でした。     宮田節子はこのような創氏改名の目的を知っていながらも、『創氏改名』(明石書店 1992年1月) の第一章の最後の結論部分で、次のように論じています。

「殊ニ徴兵制度実施セラレタル今日皇軍トシテ些ノ差別ナク渾然一体トナリテ軍務ニ精励シツツアリ、若シ現在軍隊中ニ金某、李某等混ジリタリトセバニ思ヒヲ致サバ、其利弊又自ラ明カナルモノアリ」 (マル秘「朝鮮及台湾住民政治処遇ニ関スル質疑応答」 内務省管理局、45年3月6日)      天皇の軍隊の中に、「金某、李某」が混入するのがたえがたいという思いが、にじみ出ているのではないだろうか。 (40頁)

 このように宮田は、創氏改名は日本が金とか李とかの民族名を「耐え難い」と思っていたから実施したものと主張しています。

 しかしその主張の根拠となった資料をよく読むとその内容は、日本の軍隊では朝鮮人も日本人も区別なく、だから金某、李某を名乗る朝鮮人の兵士たちも日本人と「一体となって軍務に精励」している、このことを考えると何の問題もない、というものです。

 実際に当時の日本軍内には民族名を名乗る朝鮮人軍人が少なくありませんでした。 有名なところでは洪思翔、白善燁、李垠、金錫源などがいます。 宮田は当然これを知っていながら「天皇の軍隊の中に、「金某、李某」が混入するのがたえがたいという思いが、にじみ出ている」と論じたのですから、資料の誤読とともに矛盾を指摘したいと思います。

 その誤読と矛盾を糊塗するためでしょうか、『新版 韓国・朝鮮を知る事典』の「創氏改名」項の説明では、引用資料中の「皇軍トシテ些ノ差別ナク渾然一体トナリテ軍務ニ精励シツツアリ」という重要部分を省略しています。(291頁)

 宮田の創氏改名論について、拙論では「かつて『創氏改名は日本風の名前を強制することによって民族の抹殺を図った政策』という説が広まっていましたが、この考えを未だに引きずっておられるようです」と評しましたが、この評価を変える必要はないでしょう。

(註) 金錫源は日本名を「金山錫源」としていたが、これが創氏改名による名前なのか、通名なのかが判然としない。 当時の朝鮮人は、民族名で創氏しても通名として日本名を名乗る場合もあったし、逆に日本名で創氏しても通名として民族名を名乗る場合もあったし、そんな通名を持たない場合もあった。 金錫源は日中戦争で勇名を轟かせており、金山錫源よりも金錫源の方で名が通っている。

民族名で応召した朝鮮人2014/11/14

 植民地時代の朝鮮における徴兵に関して、次のようなコメントがあり、ちょっとおかしいなあと気になりました。

創氏改名以降は大半が日本名、特に数的に多い徴兵兵は皆そうだったと思います。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557#c

 ところが、上の写真は李圭憲著『写真で見る韓国の独立運動』(高柳俊男・池貞玉共訳 1988年11月 国書刊行会)の158頁にあるものです。

 キャプションは次のようになっています。

日帝は徴兵検査に合格した壮丁に徴収令状を発給すると同時に、その家に「壮行旗」をたて、「栄誉の家」としてほめそやす喜劇を演じた。

 この写真をよく見ると、応召された人の名前は「張埈植」となっています。 日本人でも極めて珍しいですが、トヨタの役員さんのように「張」さんがおられます。 しかし「埈植」は明らかに朝鮮人の民族名です。 つまりこの人は朝鮮人で、日本名に変えることなく、民族名のままで徴兵されたということになります。

 そして民族名で応召された朝鮮人の若者を、隣近所みんなが祝い、激励したということです。

 朝鮮での徴兵制の施行は1944年ですから、創氏改名から4年も経った時期の話ですね。

 宮田節子はプロの歴史家ですから当然この写真を見ているはずですが、どうして「天皇の軍隊の中に、『金某、李某』が混入するのがたえがたいという思いが、にじみ出ているのではないだろうか」 と論じたのか、理解できないところです。

法治国家かどうか疑問の韓国2014/11/19

 産経新聞のソウル支局長が韓国の朴大統領に関して書いた記事が名誉毀損に当たるとして起訴された事件について、かなりの批判が内外から集まっているようです。 この事件を解説する記事のなかに、韓国社会あるいは韓国という国家の特性を分析するものがあります。

 その一つを紹介します。 日本経済新聞の鈴置高史さんはソウル特派員を経験した人で、韓国に関する本をいくつか出しておられます。彼がこの産経事件に関連して、韓国は法治国家でないと分析・解説しています。

法治国家ではない証拠を自ら発信            先ほど引用した、翌11日付の「産経前ソウル支局長起訴に対する我々の視点」(日本語版)の社説では、こうした批判も付けずに、堂々と以下のように書いています。         今回の事態は産経が自ら招いた。前支局長の記事は独身の朴大統領が妻帯者と男女関係があるかのように誹謗した性格が濃厚だ。市中に飛び交う疑惑を確認せず無責任に送り出したという非難から自由になれない。産経は訂正報道はもちろん、謝罪表明さえ真摯にしなかった。さらに前支局長と産経は、普段から度が過ぎる嫌韓報道で批判を受けていた人物と報道機関だった。        「普段から批判を受けていたこともあって起訴された」……なんて書いたら、世界から法治国家とは見なされなくなると、論説委員は考えなかったのでしょうか。

鈴置:考えもしなかったのでしょう。韓国では当然の話ですから。それにこの論説をそのまま英文にして世界に発信しています。「Dealing with defamation」(10月11日、英語版)がそれです。         米国務省の人権担当者がこの記事を読んだら、韓国が法治国家ではないことの明確な証拠として、この記事を保存しておくに違いありません。2014年版の人権報告書にこの事件を盛り込むためにも。

韓国の異様さを訴える韓国人            結局、韓国は普通の国ではないのですね。

鈴置:日本や米国、欧州を普通の国とするなら、韓国は普通の国とは言えません。「普通の国」の水準から言って法治国家でもないし、そうなろうともしていません。

憲法の上に“国民情緒法”          「不愉快な相手なら、別件で起訴できる」のですか、韓国では。

鈴置:できるのです、韓国では。だから記事の前文でも「産経の反韓姿勢が(起訴に)影響を及ぼした」と書き、本文にも以下のくだりがあるのです。        検察は産経の前支局長が韓国と関連し、論議を呼ぶ記事を何本も書いていることにも注目した。

韓国人は「不愉快な奴だから、無理やり法律を適用してもやっつけるのが当然」と考えます。法曹界も含めです。韓国の知識人が「我が国には憲法よりも上に『国民情緒法』なるものがある」としばしば苦笑するのもそのためです。

  以上は 『日経ビジネス ON LINE 早読み深読み朝鮮半島』http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141014/272539/?P=5より引用

 この『日経ビジネスON LINE』では、最近でも「韓国はなぜ「法治」を目指さないのか 『儒教国家群』を岡本隆司准教授と読み解く」と題して、さらに詳しく論じています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141110/273627/?P=1

 鈴置さんは韓国が普通の国とは言えず、法治国家でないと明言しています。 これと同様のことは、私もかつて拙論で繰り返し論じてきました。

 法治国家というのは、国家・社会の根本原理です。 韓国が法治国家でないということは、韓国は日本とは同じ価値観を持つ国ではなく、違った価値観を持つ国だと考えるべきだということです。 別に言えば、単に意見の相違といったレベルではなく、もっと根源的なレベルでの違いです。 そしてこれは価値観の違いですから、どちらが正しいかと言うことは出来ないのです。

【拙論参照】

韓国の古代的法規範意識    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/27/1873691

韓国の法意識         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/10/1900716

韓国の法意識(続)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/17/2393593

法に対する思想が根本的に違う日本と韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/11/6570566

法より情を優先する韓国社会  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

韓国の非常識判決ー対馬の盗難仏像 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/27/6732313

非常識がさらに非常識を呼ぶ―対馬仏像盗難事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744868

法を軽視する韓国の民族性    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/01/6967936

法治主義と儒教2014/11/23

  現代世界における法治主義は歴史的に遡ると、西欧に根源を求めることが出来ます。 だから法治主義は欧米崇拝思想だという主張がよく出てきます。 日本では千葉大学の趙景達教授が欧米の法治主義よりも、東アジアの儒教民本主義の優位性を主張しています。つまり法(ルール)よりも情緒(民本主義)が大事と考えておられるのです。 韓国が法治を否定して儒教に向かうのは歴史的淵源と根拠があるもので、正当であるとするものです。

「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義―趙景達   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/28/7233914

「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義(続)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/02/7235833

 なお韓国が法治国家ではなく儒教国家であるというのは、先に紹介した京都府大の岡本隆司准教授も主張しておられますが、こちらは儒教よりも法治の方の優位性を説いています。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141118/273967/

 日本は法治国家を国是としていますが、韓国は法治よりも儒教に基づく徳治に重きを置いていることは趙さんも岡本さんも認めているところです。 ただしどちらが優位であるかについては、このお二人には意見の差があります。

 ところで法治と徳治とは、一方が正しいとしたら他方が間違いとなるほどの大きな違いがあります。 従ってこの違いをぶつけ合うと、相手を打ち負かすまで行くか、それとも感情のしこりを残したまま喧嘩別れするしかないものです。 日韓関係がこうならないためには、相手は価値観の違う人なんだと互いに認め合う、或いは折り合っていくしかないと考えます。

朝鮮人も日本人もない2014/11/29

 毎日新聞で「五輪の哲人」という連載をしていますが、そのなかで次のような記事がありました。

戦後70年に向けて:五輪の哲人 大島鎌吉物語/3 朝鮮人も日本人もない

1936年8月1日、ベルリン五輪は幕を開けた。五輪史上初となる聖火リレーが行われ、ギリシャ・オリンピアから運ばれてきた聖火を手に最終走者が10万人収容の五輪スタジアムに現れると、会場は熱狂の渦に包まれた。  その開会式を前に、日本選手団の中でちょっとしたいさかいがあった。日本は選手179人、役員70人の大選手団を編成した。その中には日本が統治する朝鮮の選手も含まれていた。

「なぜ我々が朝鮮人の後ろを歩かねばならんのだ」

入場行進の際の選手の並び方を決める時、陸軍の騎兵隊に所属する馬術の選手がそんな不満を漏らした。背の低い選手が前に来るよう順番を決めており、小柄な朝鮮の選手が馬術の選手より前に並んだ。それがマラソンに出場する孫基禎(ソンキジョン)だった。

前回ロサンゼルス五輪の陸上三段跳びで銅メダリストとなった大島鎌吉(けんきち)は34年に関西大学から毎日新聞社に入り、運動部記者として記事を書きながら、競技生活も続けていた。その年の日米国際対抗陸上競技近畿大会では15メートル82の世界新記録をマークした。           ベルリン五輪で大島は陸上日本チームの主将に指名され、開会式では日本選手団の旗手を務めることになった。

大島は馬術の選手を一喝した。      「ふざけるな。ここはオリンピックの舞台だ。平和の祭典だ。朝鮮人も日本人もない。気に入らないならこの場を去れ」

生前の大島、孫と交流のあった明治大学商学部の寺島善一教授(69)は孫から聞いたエピソードを明かしながら、こう振り返った。         「孫基禎さんは『こんなに親身になって自分のために怒ってくれた大島さんは、人間的に信頼できる人だと思った。兄のように慕って付いていきたいと感じた』と話していました。その後もずっと2人の親交は続いたんですね」  ‥‥ <文・滝口隆司>

http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20141106ddm002050162000c.html

 この記事は、戦前において朝鮮人を侮辱・差別した日本人に対して、同じ日本人が「朝鮮人も日本人もない」と一喝したという美談です。 この美談の核心である「朝鮮人も日本人もない」という言葉は当時としては、同じ天皇陛下の赤子なのに何故差別するのか! と同じになることに注意を引かれました。

 この類の話は、戦前では割とよく出てきます。 植民地時代の朝鮮では、日本人が現地の朝鮮人に対して乱暴な言葉を使って侮辱・差別することが多々あったのですが、その時に日本人警官が「何を言っているのか!同じ天皇の赤子だぞ!」と叱りつけたという話がよく出てきます。 そして叱られた日本人は「天皇」という言葉におののいて、謝るしかなかったというのです。 なおこれは聞いた話なので当時の資料に出てきたものではありません。

 しかしこれはおそらくあり得る話だろうと思います。 というのは、戦前の同和問題(部落差別)に対して当時の水平社が闘うときに使った論理が正に「同じ天皇の赤子」でした。 特に軍隊内での差別に対して、水平社がこの言葉を出すことは非常に有効だったようです。 軍人たちはこの言葉を聞いた途端に姿勢を正し、言うことを聞くのでした。 当時としてはあからさまな差別言動に対して、たとえ泣く子も黙る日本帝国軍人であっても、これには黙ってうな垂れて聞くしかなかった時代でした。

 この論理は一君万民思想(=天皇の下では臣民はすべて平等)なのですが、これが差別問題解決の大きな武器になったということです。 これが植民地朝鮮では「朝鮮人も日本人もない」ということになるわけです。 そしてベルリンオリンピック金メダリストの孫基禎は、差別発言した日本人にこの言葉を使って一喝した大島について、「人間的に信頼できる人だ」と高く評価したのです。

 しかし「朝鮮人も日本人もない」は神社参拝・創氏改名・徴兵制等々の「皇民化政策」と同じ発想ですから、今では民族を否定する同化だとして厳しく批判されるものです。 確かに朝鮮人も日本人も同じように扱うという平等(=反差別)の考えは、朝鮮民族の否定に繋がるものと言えるかも知れません。

 日本の明治以降の国民の理念であった「皇民化」=「同じ天皇の赤子」=「一君万民」をどう扱えばいいのか。 平等なのか?それとも民族の否定なのか? その裏表面すべてを考察せねばならないところです。