日本人をバカにした本―橋本治と中島京子2015/01/12

 毎日新聞の書評欄に、中島京子さんが橋本治『バカになったか、日本人』(集英社)の書評を書いています。 読んでみて、新聞にこんなことを堂々と書く人がいるのかとビックリした次第。

 書評によれば、日本人はバカになったそうです。 そして「日本国民の頭はもう少しよくならなければならない」と強く訴えています。

一つ覚えの「景気回復」、あとは「丸投げ」

本書は、著者が二〇一一年〜一四年の間に書いたエッセイをまとめたもので、<東日本大震災>から<安倍政権が進める憲法改正>までを論じている。 振り返ると残念なことに、進まないのは震災復興と原発事故の収束、進むのは増税と安全保障政策と改憲論議、そして後退するのは社会保障政策、という三年間だった。 この政治状況を、昨年末の史上最低投票率衆議院選挙で承認して締めくくってしまったわけで、主権者たる日本国民は、「バカになったか」と疑問を呈されても仕方がない立場にあるように思う。

日本人にも、バカでなかったころがあるのか、明確には示されないが、本書が扱うのは、「戦後」である。震災がすべての始まりだったように語られがちの現代日本の「ヘン」さのもとを、著者はまずその直前、二十一世紀が始まって以来の状況を俯瞰(ふかん)して読み解き、さらにそれ以前に遡(さかのぼ)って、日本社会を色濃く性格づけた「戦後」を整理する。

「『戦後』は『戦後』のまま立ち消えになって行く」というエッセイで指摘されるのは、日本における市民の不在である。 「『近代市民社会』と言われる時の『市民』がそれで、これは『右でもない、左でもない、リベラルな存在』であるはずのものである」「戦後というのは、旧来の考え方から離れて、日本人が『市民』になろうとして、『市民社会』なるものを形成しようとした時代だった」。 主権者である意識を持ち、自分達の社会をよりよくしようと努力する市民。

それを育成するべくメディアも教育も動いたのが「戦後」であったのに、そしてたとえば一九七〇代には、公害をターゲットとする市民運動も盛んだったが、公害が減少したら市民運動も衰退した。 「衰退してもかまわなかった。 日本はどんどん豊かになって行ったから。 『生活が大丈夫だから、政治なんかどうでもいい』になってしまった」。 景気の良さが市民の芽をつぶした。 結果、日本に市民は育たず、それゆえ市民のための政党は生まれず、いつのまにか市民という言葉も古臭く響くようになった。 だから本来市民となるべきだった人たちは膨大な数の無党派層と化して今日あり、政治なんかどうでもよくしてくれる「景気回復」を求めて(そう、好景気こそがこの二十年以上、この国の人々の悲願であり続けている)、「アベノミクス」を唱え続ける政権を支持してしまったというわけだ。

「日本の『戦後』は、『戦後』という時代区分だけがあって、格別の成果も持たず、ただ立ち消えていく。日本で一番厄介な問題は、戦後社会の日本人のあり方にふさわしい政党が今になってもまだ存在しないということだろう」。 それが民主党でも、いわゆる第三極と呼ばれる政党でもなかったことの理由も、明快に記されている。

しかし「景気の回復」といっても、それがかつてのものとは意味を変質させてしまったのが二十一世紀だ、と『二十世紀』の名著もある著者は指摘する。 「物を作る」が無効となり「金融で金儲(もう)けをする」がスタンダードとなった二十一世紀の先進国では、「景気回復」の恩恵に与(あずか)れるのは金を持っている層だけ。 しかし、そこは考えようとせずに、政治に望むことはひたすら「景気回復」、なすべき議論を「丸投げ」「先送り」「素っ飛ばす」「多分忘れる、絶対忘れる」という凄(すさ)まじい方法で避け続ける日本人。

有効な薬についての記述はないが、本書の中で三度に亘(わた)って著者が強く訴えていることは、傾聴に値すると思われる。「日本国民の頭はもう少しよくならなければならない」

 橋本さんは自分が考える理想の「市民」を設定して、そのように動かない日本人は「市民」ではなく「バカ」なのだそうです。 そして彼が「日本国民の頭はもう少しよくならなければない」と三回も強く訴えているのを、中島さんは「傾聴に値する」と全面賛成しています。

 橋本さんや中島さんによれば、「市民」ならば安倍政権を支持しないはずなのに選挙でこの政権を選んでしまった日本国民は「バカ」だということです。 だから自分たちは他の「バカ」な日本人と違って本当の「市民」であり、だから賢いのだと思っているようです。 これが酒席の与太話ではなく、堂々と活字にするとはねえ。

 日本国民が民主的な選挙で選んだ結果が意に反するものであれば、まずは自分たちの力不足を反省すべきものでしょう。 それなのに日本国民はバカだと言いつのっているのです。 そのうち、賢い自分がバカな日本国民を統治してやらねばならないと独裁主義になっていくような気がします。

 これほど日本人をバカにした記事が大手新聞に載ったのにビックリした次第。 これの掲載を決めた編集者の見識も同じなんでしょうねえ。

コメント

_ (未記入) ― 2015/01/16 00:30

民主主義の結果は否定したくないです。
それは民主主義を軽んじる行為ですから。
例え自分が望まない結果が出てしまっても。

_ mahlergstav ― 2015/01/20 17:41

毎日新聞の記者さんも記事ネタに困っていたのでしょう。仕事とは大変なものです。

さて、ここで紹介されている橋本さん、中島さんはマトモに仕事したことが無いように見えます。

1900年代後半の反公害運動のような「市民活動」は自分が叫んだから起こり、成功したとでも思っているのではないでしょうか。

多くの人を動かすのは、会社経営と同じです。言論の自由、思想信条の自由だけでは済まない。脅したりすかしたり、飲ませたり食わせたりの、自分の思想信条や言論とは真逆のことをやらなければならないこともあります。

そういうこととは無縁で済んだのではないでしょうか。幸せな人たちです。

ところで、冷戦時代の日本の「市民活動」にソ連諜報部の資金提供や援助があったことは周知の事実になっています。ベ平連の小田実さんなんか有名です。こんなこともどうでもよいことなのでしょう。下手すると、外患誘致で死刑になりかねない。

反公害運動は、ソ連ばかりでなく、会社が株主の説得材料にも利用しています。ご本人たちが知らない、または知りたくもない力学で進行しています。

自分の理想とは真逆であっても動かざるを得ない国民を見ると、バカに見えるでしょうが、どちらがバカか一目瞭然なんですが。

韓信の股くぐりなんて、死んでも理解できない人たちなんでしょう。

_ 川 ― 2015/04/17 18:05

自分の信条とは真逆の利益を与えたり脅したりなんかを
したことがない人達がこの本と書評を書いた人達だと言うのは
かなり違うと思います。
まず、マスコミやこういう作家と出版社や新聞社の関係自体が
飲ましたり食わせたりの世界ですから。俺の言う通りに
平積みにしろとか売れないのを大々的に宣伝しろとか。
つまらない本だけど俺の弟子だからとかやりたい放題でしょ。
そこから根本的に間違っている。
要はそういう読者や視聴者のニーズがあってそれに答えるためです。
オームは社会的には圧倒的に少数者ですが、その人たちだけの立場に
立った本を大手新聞社が出したとなったら売れますから。
大手新聞社でそんなことタイトルから何からオーム擁護の本を
書くのは他にありませんから。
ゲンダイのようなことを朝日新聞なんかにデカデカと書いたら
儲かるということ。

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