「朝鮮」は韓国ナショナリズムを封鎖する??2015/10/02

 日本は1910年に大韓帝国を併合して植民地としました。この日韓併合時に日本は「ナショナリズムの高揚を封鎖する」ために「朝鮮」という旧称をつけたという論文が発表されているのを知りました。 小川原宏幸『伊藤博文の韓国併合構想と朝鮮社会―王権論の相克』(岩波書店 2010年1月)で、その「第五章 韓国併合」の「第二節 韓国併合の断行」の「第二項 国称および王称をめぐる交渉」で、次のように論じています。

なぜ日本は、朝鮮と改称することにしたのであろうか。 1910年6月から7月にかけて開催された併合準備委員会では、併合後の呼称について「南海道」や「高麗」とするといった案が出た。 小松緑によれば「韓国を併合して帝国の一部とする以上、その名称を南海道とするがいゝといふ説もでたが、台湾の旧称を存した例によつて朝鮮とすることに極まつた」という。 台湾の整合性において「旧称を存し」て朝鮮に決定されたとする回想である。しかし台湾との整合性で「旧称」を用いるというのであれば、「韓国」という「旧称」を排する必然性には疑問が残るであろう。(408頁)

一方、「高麗」を主張したのは逓信大臣兼拓殖局副総裁であった後藤新平であった。 後藤は「韓人の歴史的心理を顧念して高麗と称するの議を出したが、桂、寺内の賛同を得ず、議は遂にこれを「朝鮮」と為すに決した」という。 「韓人の歴史的心理」への配慮から、旧称である「高麗」を選択するというのであるから、逆に言えば、「朝鮮」という呼称は、朝鮮人の「歴史的心理」を蹂躙しようとする意図にもとづいて選択されたことになるであろう。(408~409頁)

朝鮮という呼称を強く主張したのは寺内(正毅)であったと考えられる。‥‥では、なぜ寺内は朝鮮という呼称を用いたのであろうか。‥‥まず、右で述べたように、朝鮮人の「歴史的心理」を積極的に否定する必要があったという点である。‥‥かつての中国との宗属関係のような形態に逆戻りさせる呼称だという‥点にこそ日本政府の意図があった‥‥(韓国の)自主性の積極的否定は、「大韓ナショナリズム」を否定し、「支那の属国の様な状態に陥った時に、支那人の用ひた名」としての「朝鮮」を用いさせることで、かつての従属性を呼び起こさせ、併合後の朝鮮に劣位を植えつけようとしたものだった(409~410頁)

 なお本稿の題名は、この論文の最後にある「併合後の国号に『朝鮮』が選ばれたのは、『韓国』という呼称にもとづくナショナリズムの高揚を封鎖する」(413頁)にから取っています。 「ナショナリズムの封鎖」という表現は、ちょっと聞き慣れないというか新鮮に感じました。    このように小川原さんは「朝鮮」という国号には「従属性」があり、もう一方の「韓国」という国号には「自主性」がある、だから日本は植民地化する時にナショナリズムを封鎖するために敢えて従属性を有する前者の「朝鮮」を採用した、と論じています。

 これにはビックリ。 なぜなら戦後の在日朝鮮人社会では、「朝鮮籍」か「韓国籍」かで凄まじいまでの争いがあったことを知っているからです。 「朝鮮籍」を主張する人は朝鮮総連系になりますが、「朝鮮」こそが民族の自主的統一を表すものであって、「韓国」は祖国統一を妨害する対米従属の名称だと言っていました。 

 このように「朝鮮」には自主性があり、「韓国」には従属性があるというのが朝鮮総連系の認識です。 今回取り上げている小川原さんの見解とは時代こそ違っていますが、全く正反対です。小川原さんは専門家ですから、朝鮮総連のこのような認識を知った上で敢えて発言されたと思われます。

 ところで「朝鮮」は従属であり、「韓国」は自主であるとする小川原さんの考え方ですが、どうも理解できません。 「朝鮮」には中国人が建国した箕子朝鮮や衛氏朝鮮、そして14世紀以降の李氏朝鮮王朝のように中国に服属してきた歴史もありますが、一方では民族5000年の歴史の祖である檀君が「朝鮮」を建国したという輝かしい説話が連綿として語り続けられてきたからです。

 つまり「朝鮮」は中国に服属した時期もあるにはありましたが、一方では国内でその中国王朝成立よりもはるかに古い時代に檀君が「朝鮮」を建国したんだという説話によって我が「朝鮮」は自立していたとナショナリズムを鼓舞してきたのです。 この檀君神話は朝鮮民族において13世紀以降現在に至るまで根強く広まっており、果たして「朝鮮」は従属だと言えるのかどうか、という疑問なのです。

 朝鮮の民族史において、中国人が建国し中国に服属した箕子「朝鮮」と、中国よりも古い5000年前に檀君が建国したという「朝鮮」との相矛盾した二つの「朝鮮」がありました。 もし「朝鮮」が後者の檀君を想起させれば、ナショナリズムを刺激します。 そしてここに解放後北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が「朝鮮」という国号に強くこだわった理由があります。

 日本は1910年の日韓併合に当たり、「朝鮮」には従属の意味があるからこそこれを植民地の名前にした、という小川原さんの説は疑問です。

【拙稿参照】

「朝鮮」という国号  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/21/7802232

コメント

_ 健介 ― 2015/10/02 08:26

私もこの手の本を読んだことがあるが、一様にむりがあり、学問的手法を知っているのだろうかとおもうことがある。
 どこから持ち出したか知らない、結論がさきにきているから、普通に読んでいても疑問に思う。問題設定はいいが結論が出ないなら、出ないとすればいいがそれができない。18世紀に住む人々です。
19世紀になって、不可能性の証明ということがされて、それ以後不存在の証明ということが重要となった。
 池に鯉がいるかいないかはつりをしていただけではわからない。したがって水をすべてださなければならないが、その水を出す方法はない。したがって池に鯉がいるかは知ルことはできないということです。いろいろ調べたが日朝関係は古代からも含めて、まあ合いつわりが多いと思ってみることが一番正しいと判断している。特に朝鮮人が書いたものは歴史ものでも似たようなことが必要だと見ている。檀君神話などもそれのひとつに過ぎない。
 檀君神話にいたってはいつごろからそれが出て、いつごろから朝鮮庶民に普及したかといったことについて帰した本を読みたいと思ったが、田舎では無理でしょう。朝鮮の歴史書は11世紀に出た三国史記と三国遺事があるだけで」、それ以前のものはないというから、その中に檀君神話があるはずでしょう。どのくらいかかれているかが知りたいが、マア読んだことはない。
 一般民衆がいつごろからそれを知ったかという研究はあるのだろうか?

_ (未記入) ― 2017/06/23 12:31

併合時の名称を使用しようとしても、清国領域内の有名な古地名の「韓」は、日清関係を考えれば日本は使えません。似たような国名問題で今のギリシャとマケドニアは喧嘩になってます。仕方ないからその前の名称とすると「朝鮮」。

清に遠慮する必要が無ければ、日本としては「韓」の方がいいです。伝承や古代史の三韓征伐や三韓調と結びつきますから。
朝鮮から大韓帝国への国号変更は皇帝号を名乗り清と決別することですから清が気分を害し日本が好むような国号でも構いません。

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