日本にもあった嘗糞2016/01/15

 昔の朝鮮に人糞を嘗める風習があったということで、これを嘲弄の対象とする日本人がいます。

 人糞を嘗めるというのは、中国や朝鮮で体の健康を診断する方法の一つだったようです。親の糞を嘗めて病状を探る、あるいは宮廷の医者が皇帝や王の糞を嘗めてその日の健康状態を見るといったことです。 実際に行われたかどうかなかなか確認しようがありませんが、可能性はあります。

 ところでこういった風習を嘲る日本人は、わが国でもかつてこの風習があったことを知らないようです。 わが国の場合は中国や朝鮮とは目的が違い、人糞ではなくおしっこが混じった糞尿を嘗めます。 「目的が違う」というのは、肥料としての良し悪しを見分けるためです。

 かつての日本では糞尿が農耕の重要な肥料として使われてきました。 農民たちは糞尿を集めるために努力します。 糞尿は都市で大量に入手できますから、町人が多く住む長屋のトイレなどが糞尿肥料の供給場所となります。 糞尿は「金肥」と言われるほどに価値あるものでした。 だから都市のトイレは権利として設定されました。 例えばここのトイレはあそこの農民が汲み取る権利を持っている、というようになる訳です。 長屋の家主は店子から家賃をもらわなくても、この農民からもらうお金でやっていけたという話もあります。 そして農民は都市のトイレに汲み取りに出かけると、肥料として十分なものかどうかを確かめるためにちょっと指につけて嘗めるのでした。

 大坂はかつて「天下の台所」と言われるほどに経済が発達していましたから、肥料となる糞尿は売買されました。 町で汲み取られた糞尿は桶に入れられて船で運ばれます。 大阪の東側に位置する東大阪や大東、寝屋川は水路が発達していました。 この水路に糞尿を載せた船を走らせ、周辺に住む農民に売るのです。 農民たちは、ちゃんとした糞尿かどうか、ひょっとして水増しでもされていないかを確認するために、指をつけて嘗めます。 そして納得すればその糞尿を買うわけです。

 このように日本では糞尿を嘗めるというのが日常的にあったという話は、昔はごく当たり前の事実だったのですが、今は知る人がほとんどいないようです。 だからこのような我が国の伝統を知らない無知な日本人が、朝鮮人は糞を嘗めていたと嘲弄するのでしょうねえ。

 自分の国のことを棚に上げて他民族を嘲弄するというのは、品性卑しく醜悪なレイシズムでしかありません。

 韓国人の無知は困ったものですが、日本人の無知もまた困りものです。